第59話 古川春英
照姫が明治21年の世界に飛ばされたとき、そこで出会った徳川慶喜が彼女に言っていた。
『あなたの写真を見たことがある』
松平容保と照姫が並んで本を広げている写真。
その周りには会津松平家の家臣と思しき人々が取り囲んでいる。
そのなかのひとり、照姫のすぐ左に写っている男性。
それが古川春英。会津に生まれた医者である。
***
「困った事態でおじゃるなー」
かわひらこが、夜空に浮かぶ牛車の上で頬杖をついて、鶴ヶ城のほうを眺めている。
「あんなに撃たなくてもってくらい、銃で撃たれましたね」
照もかわひらこの隣で腰かけて、いっしょにお城を眺めている。
「赤べえ、大丈夫だったー?」
彼女の呼びかけに赤べえはうなずくが、その顔は悲しげだった。
「怖かったよね、よしよし」
すり寄って来た赤べえのあたまを照はなでなでした。
鶴ヶ城に立てこもっての籠城戦が始まって数日が立っていた。
大地と、岬が恐らく城の中にいる。
彼らと合流したかったのだが、会津兵たちの攻撃を受けてそれができずにいた。
「あのものたちは自分のするべきことをしたまで。仕方のないことだ」
簾がひらいて、なかから容保が顔をだした。
「わたしに銃を向けさせてしまった。それが兵たちに申し訳ないよ」
容保は疲れが出ているようだった。
(無理もない)
照は思った。
彼はもともと病気がちであったところに、この旅が始まってからいろいろなことがあった。
嬉しい出会いもあったが、いくつかの悲しい光景を見なければいけなかったし、龍と戦ったりもした。
しかも、それだけではない。
容保は手もとの刀の鞘を少しだけ開いた。
「まだ、戻らぬか」
容保の持つ聖刀『白虎』の白い輝きが、著しく弱っていた。
兎奇子のせいだ。数百年後の未来からやって来た、人ではないモノ。
「あいつ、必要以上に刀の力を吸収していったようだ」
容保は去り際の兎奇子の憎々しい笑顔を思い出す。
『ここまでの送り賃はただでええよ。あんたからはもうしっかりもらっているから。ほななー』
兎奇子と寅太は元気いっぱいになって飛び去って行ったが、容保と彼の刀はそのときからずっと調子がでない。
とはいえ刀の輝きは完全に失われたわけではなかったので、一度照の見ている前で試してみた。刀のもつちから、飛行能力がどの程度使えるか。
照がしゃがんで容保の足元を確認して、そのかわいらしい顔をしかめた。
「だからどうしたってくらいしか、浮かんでいませんね」
結果は、ほとんど飛ぶことができなかった。一寸(3cm)にも満たない。
「かわひらこ、どうしたらいい?」
容保はたずねた。
「あかべえからの補給をやってみますが、こっちも病み上がりなので無理はできないでおじゃる」
「時間が必要か。急ぐのにな」
容保は気分が沈んでいた。
体調や聖刀の問題だけが原因ではなく。
「姉上、わたしは自分の無力さが恨めしい」
「わたしもです、殿」
容保と照はそれぞれ別の時代へ飛ばされて、そこで出会いがあった。
ふたりが知っているものたちの、戊辰戦争から数十年後の姿を見た。
いま目の前にいるこの世界の者たちに、自分ができることはないのだろうか。
容保の中で、その思いがますます強まっていた。
それができて初めて、もう一つの会津、会津戦争の悲劇を回避できた世界を選択する資格がようやく生まれるような気がしていた。そしてもう一つ言うとそれは、秋月大地に向かって『わたしはお前の望む世界とは別の会津を選ぶ』と告げる資格だ。
今はまだ……。
容保は自分にこころのうちを明かしてくれた時の大地の顔を思い出すと、また気分が沈むのだった。
「あれは……何者でしょうかねえ?」
照が何かを見つけた。
彼女の言うほうを容保も見ると、そこには夜の暗がりの中で荷車を押す数名の姿があった。
彼らは鶴ヶ城の中から出てきたように見えた。
「兵のようには見えない。何だろう……」
容保はしばらく考えてから、かわひらこに呼びかけた。
「近づいてみよう」
「りょ、でおじゃる」
夜空から降りてくる大きな赤べこと牛車を見て、彼らはさぞかし驚いたことだろう。
「お前たちは何をしている?」
容保が問うた。
容保は、彼らには自分が誰だか分からないはずだと思った。身なりからして、それほど身分が高いようには見えなかったから。
「おや、容保さま」
だから、それは彼の油断であったともいえるだろう。荷車を引いていたものたちの一人がすぐに容保に気づいた。
「そなたは、わしを知っているのか」
近づいて、顔が見えたが、容保の知らない男だった。
「わたしことが分かりませんか。まあ、そうでしょうなあ」
古川春英です。男は名乗った。しかしその名を聞いても、容保にはそれが誰だかわからなかった。春英は静かに笑みを浮かべた。
「わたしの名前に覚えがありませんか。まあ、そうでしょうなあ」




