第58話 籠城の夜
「大ちゃん」
提灯のあかりに岬の柔らかな表情が照らされた。
彼女は、大地のとなりで一緒にお酒を飲んでいた川崎尚之助に頭を下げた。
「尚之助さん、今日も大変だったそうで。お疲れでしょう」
「わたしよりもみんなが良くやった。大地殿にも助けられました。さ、あなたも一杯どうぞ」
尚之助は岬にお酒を注いだ。
「ありがとうございます」
岬はお酒に口をつけ、大地に向けて微笑った。
「おいし」
「では大地殿、岬殿、わたしはこれで失敬するよ。わたしのお姫さまが退屈しているといけない」
そう言って尚之助は本丸西側の広場から去っていった。
(岬が来たから、気を使ってくれたのかな)
大地はそう思ったが、口に出したらまた岬が「あなたは本物の大ちゃんじゃない」と言い出して彼の精神をえぐってきそうなので黙っていた。
尚之助の背中を見送っていた岬は、ひょいっとこちらを向いた。
「きっとわたしたちに気を使ったのでしょうね」
「え? ああ、そうだね」
「お酒まだある? 飲みましょうよ」
広場の片隅の、あかりのあまり当たらない場所に座りなおして、大地と岬は並んでお酒を飲んだ。
大砲の音はさきほど一度聞こえたが、そのあとは途絶えている。
夜は更けていたけれど、この時間でもお酒を飲んでいる人はまだ数多い。
「いくさの時は、人間ではない何かを見かけることがあるというが、あれは本当なんだな」
誰かがそう言っているのが聞こえてきた。
七日町でもそのような話を聞いたのを大地は思い出した。あのときは兎奇子が町の人に目撃されていたのだった。
まさかまた兎奇子が現れたのかと、大地と岬は話に耳を傾けた。
「昨日の夜、大きな赤べこが空を飛んでいてさあ」
そっちかあ、と岬がささやいた。
「お前、それはさすがに、酒を飲みすぎたんだろ」
「いや、本当だって。大きな赤べこが黒塗りの牛車を引いていた」
それは完全に大地たちの知っている赤べこだった。
時空の果てに飛ばされた赤べえ、かわひらこ、そして容保と照。
おそらくこの時代に戻って来たのだ。大地は彼らと合流する必要がある。
聖刀『青龍』を見つけたら、鶴ヶ城を出たほうが良いのだろうか。
大地は胸がチクリと痛んだ。
(懸命に戦っているこの人たちを置いて、自分だけ安全な場所へ?)
「それ、あるいは神様の使いかなにかだったんじゃないの? それでどうしたのさ」
「そりゃ銃で撃って追い払ったさ。あの状況で空から大きな赤べこが来たら。神様の使いかな? どうぞどうぞこちらへどうぞってはならないぞ」
それはそうかも。つまり容保たちはお城に入ることができず困っているということか。
たしかに、大地たちも入城には苦労した。山川隊に紛れることができなかったらどうなったことか。
やがて赤べこの話をしていた彼らの話題は他のことに移っていった。
「岬、僕は思うんだけどさ」
「なあに?」
「祟りという言葉を人は面白がって使いたがる。とくに昔たくさんの人が死んだような場所では。僕は霊魂の存在なんて気にならないけど、もし本当にあるのだとすると、君の方の未来の鶴ヶ城にはいまもきっといるのだと思う。この人たちの霊魂が」
「うん、そうね」
岬はお酒を少しずつ飲みながら、明日その身がどうなるかわからない、それでも陽気におどって宴を楽しむ人々を眺めていた。
「でもこうして実際に生きて戦っている彼らを見るとさ、僕は思うんだ。むしろ未来の鶴ヶ城は、どこよりもそういった悪いものが寄り付かない場所といえるのではないか。彼らが守り続けているから」
岬はうなずいた。
「大ちゃんのいうことわかるよ。そういうはなしはわたしも聞いたことがある。いわゆる霊感がある人が鶴ヶ城を訪れたら、いまでも戦っているたくさんの人の姿が見えたって。もう彼らは憎しみからは解放されていて、ただ、負けたくない負けたくないとそれだけを思いながら、いまでも必死で銃を構えている、そういっていた」
「うん」
大地は岬の言葉を聞いてうつむいた。
「岬、この人たちは、凄いよ……」
彼は泣いていたが、岬はそれに気づかないふりをして、もうひとくちお酒を飲んだ。
「この人たちは僕を受け入れてくれている。それがほんとにうれしい」
「大ちゃんが一生懸命だからでしょ?」
「どうかな……。平和じゃない、乱れた時代のほうが生きやすい人間がいるらしいと聞いたことはあった。それはきっと平穏が退屈でしょうがない、命知らずの、戦うことが好きな人間なのだろうと想像していた。自分がそうなのかもなんて考えたことがなかったよ。でも、少なくとも平和な時代に自分の居場所はなかった」
「……ねえ、ずっと聞いてみたかったんだけど」
「なにかな」
「大ちゃんの世界のわたしにも、あなたの気持ちは伝えたの?」
大地はその質問に驚いて岬のほうを見た。岬は宴を楽しむ人々のほうを見つめていたが、ゆっくりと顔を大地に向けた。
「……言えなかったよ」
「どうして?」
「自信がなかったのかな……」
「受け入れてもらえないと思ったの?」
大地は顔をそむけた。
けれどそれは逃げたわけではなく、むしろ彼は今までで一番、そのことについて考えていた。
「君は、あの会社で、僕の周りで、一番美しい女性だった」
「そんなわけないでしょ」
こんどは岬が戸惑いの顔を見せた。
「僕にはそう見えた。だから好きになった。君の内面は分かっていなかったと思う。岬がこういう人間なんだと、元の世界での僕はちっとも知らなかった」
大地は彼女のことをまっすぐ見ていた。岬も大地のことをちゃんと見て、彼の言葉にうなずいた。
「君への思いは決して嘘ではなかったけれど、そこにはトロフィーみたいなものが欲しいという気持ちがあったように思う。いちばん美しい君を手に入れたら、きっと世間がほめてくれる、見直してくれる。だから……自信がなかったという言い方は少し違うな。僕は、自信をつけるために岬がほしかったんだ。……でも、今は少し違う」
話し終えた大地は、杯のお酒を飲んで、それから岬に笑顔を見せた。
「こんなこと、言ったことなかった」
「そう。じゃあ、あなたはどうやら今、初めてわたしのことを口説いてくれている」
岬も自分のお酒を飲みほして、立ち上がった。
「歩こっか、大ちゃん」
二人はお酒を飲む人々のところから離れて、西出丸のあたりを歩いた。
今は静かだが、昼間はここでも激しい戦いがあった。月明かりが優しく辺りを照らす。
「元の時代では得ることができなかった何かがこの時代にはあると思うあなたの気持ち、わたしにもわかる。なんだったらここで死ぬのも、悪いことではないような気がしてきた」
「ダメだよ、君は元の生活に帰るんだ」
「大ちゃんとのね」
岬が目を細めて静かに笑う。
「軽々しくそんなことを言っては駄目よね。ごめん、いまのはちょっと反省。この戦争はこれからどんどん大変なことになる。食べ物がなくなり、衛生状態も……」
「ここから逃げていいのだろうかとは僕も思う」
そして自分はこの世界を残そうとしている。そのことを岬には言っていなかった。
それでいいのか?
「おや、これは」
岬が足元に何かを見つけた。
大きな凧。人の顔の形をしていて、ベロを出している。大地がそれを手に取った。
「これ、七日町で見つけたな。子供が持っていた。なんでこんなところに」
「……子供たちもたくさん籠城に参加しているからね、誰かが持ち込んだのだと思う」
「これって上げるの難しいの?」
「お、やってみる?」
西出丸の石垣の上で、ふたりは唐人凧を上げてみた。
「大ちゃん、異常に下手だな」
岬が笑う。大地が走り回るが、なかなか思うようには上がらない。
「そんなことない、ほらいい感じになってきたじゃん」
「いや、全然ダメ。貸して見なさいよ、こうやんのよ」
ふたりでああでもないこうでもないとはしゃいでいるうちに、だんだん凧の軌道が安定しだした。
「大砲だろうがなんだろうが、運命だろうが、わたしたちは平気だよ」
高く昇った凧を見上げながら岬がささやいた。
大地が振り向くと、岬の顔がすぐそばにあった。大地はどきっとした。
岬も大地のことを見つめて、顔が強張っていた。
そのまま言葉が途切れた。岬がゆっくり目を閉じた。
凧はふたりから顔をそらして、月のほうを見ていた。




