第57話 シュレディンガーの照姫
夜になっても、西軍の大砲の音がやまない。昼間ほどの数ではないが、小規模な戦闘状態は続いている。
「なるほど、寝させる気がないな」
大地は自分が失くしてしまった聖刀『青龍』を探して、川崎尚之助といっしょに鶴ヶ城の中を歩き回っていた。
会津の兵たちはいまのところ、夜は交代で休憩をとる余裕がある。
岬は女性陣のところへ顔を出していた。銃弾づくりを手伝うと言っていた。
西軍が砲撃を行っているのは、鶴ヶ城の東南にある小田山から。
天守閣が壁になってくれるので、本丸の西側は比較的安全だった。
「容保さまがどこにいるのかは最高機密だ。我らに教えるようなはなしではない。だが、おそらく本丸西側のどこかだろうなとは、推測している」
尚之助があたりを見回しながらささやいた。
もうひとりの容保。
「尚之助さん、少し休もうよ」
「ああ、そうしようか」
よさげな岩を見つけて、二人で座った。
本丸西側の広場では、いくつかの提灯の明かりがあった。大地たちと同じように座り、お酒を飲んでいる者が多いようだった。
大地もお酒が入った水筒と杯を持ち歩いていた。仲良くなった砲術隊のおじさんからもらったものだ。
尚之助に杯を渡してとくとくとお酒を注ぐ。
「尚之助さん、生まれはどこなの? たまーに西の言葉が出るよね」
「但馬国だよ、八重さんのお兄さんに誘われてね、日新館で蘭学を教えるために会津に来た」
「へえ」
大地は但馬国がどこなのか分からなかった。岬ならば即答なのだろうが。
彼の故郷の近くには何があるかを質問して、そこがいまの兵庫県であることが分かった。
「会津のひとは面白い」
尚之助は杯をくいっと空けた。
「ああ、頑固だとはよく言われるね」
「頑固だな確かに。ほんと、頑固だ。ただその一方で酒には甘くないかなこの人たち。酒の席でのことは、何故かたいがい大目に見てもらえる」
「それは僕も思い当たる節があるなあ」
大地は、尚之助と自分の杯にお酒を継ぎ足した。
尚之助がこぼれそうになったお酒をすする。
「わたしは水戸の人に聞いたことがある。むかし会津から水戸に出張した男がいてね。向こうで歓迎の酒盛りが開かれたそうだ。その男は酒が大好きでたっぷりと飲んだが、酒癖が悪かったんだな。暴れてしまったらしい」
「あらら」
「ケガ人が出てな、水戸の殿さまから会津の殿さまに本気の抗議文がいった。会津からも全力の謝罪文が出されて、なんとか事態が収まった」
「そんなことが。……やっちゃった酒癖の悪い人はどうなったの? まさか、切腹」
「それだけの対外的な過失をやらかしたら普通はそうだな。でも実際は、処罰はあったがそれほど重くなかったらしい。酒の席のことだからと会津の殿さまが大目にみたとか」
「酒に甘いなあ」
大砲の音がときおり鳴る中で平気で酒宴を続ける人々を、大地は眺めた。
大地は戦争を美しいと考えたことなどいままで生きてきて一度もなかったが、会津の侍たちの戦いぶりに心から感服していた。
この戦争は、本来非戦闘員だった家族を巻き込んだ悲惨な戦争ともいえるし、家族で心を一つにして立ち向かうことができた、そばにいることができた戦いでもあった。
八重の家族の姿が心に残ったその一方で、大地は尚之助の様子がなんだか少し気になっていた。
「尚之助さん、調子どうなの、話聞くよ?」
いまも元気がない彼に声をかけた。たぶん自分の想像は当たっている。大地は思った。
「……八重さんは本当によくやっている」
尚之助がつぶやいた。
「そうだね、凄いよあの人は」
「彼女は長い間砲術の腕を磨き続けていたが、それを活かす機会がまったくなかった。いまはやってきたことを存分に発揮できている。しかし、しかしだ。自分が輝ける場所と言えば聞こえはいいが、それは泥船だ」
「泥船……このいくさに勝てる見込みがないということ?」
「この場合の勝ちって何だよ」
尚之助の語気が強くなり、大地は少し驚いた。
「……すまない」
「いいよ、言いたいことは言った方がいい。僕になら何の支障もない」
やはり相当ストレスをため込んでいた。むかし大地が仕事で追い込まれて休職した、その直前のころに尚之助の様子が似ていると感じていたのだ。
「徳川幕府はもうないんだぞ。薩長中心の新政府樹立はもう確定している、ひっくり返しようがない。いったいどうなれば会津の勝ちなんだ」
「……僕じゃわからない。でも、例えば、できるだけいい条件で引き分けに持ち込むとか?」
「それだって無理だ。奥羽列藩同盟の援軍が会津に来ればその可能性がわずかにあったかもしれないが」
「援軍は来ないの?」
「交渉を続けているそうだが、上杉も伊達も、どこも苦しい戦況だ。とてもあてにはできない」
「そっか……」
これが普通の感覚だ。大地は思った。
先行きの見えない戦いに神経をまともに保つことは難しい。
「尚之助さん、もっと飲め。気の利いたことが僕にはなんにも言えないけど」
「いや、聞いてくれてありがとう」
ほかのものの精神状態だっておそらくそうは変わらないはずだ。
大地はあらためて、あたりの人々の顔を見回した。今は士気が高いがそれがどこまで持つか。
尚之助の杯にもう一杯お酒を注いだ。
しかし、みんなよく飲む。酒は貯蔵が少ないから少しずつ飲もう。誰かがそんなことを言っていたような気がするのだが、セーブしているようには見えない。
「飲みすぎじゃないの、お酒無くなっちゃうよ?」
大地は横を千鳥足で通り過ぎて行く女性に声をかけた。その女性は立ち止まって大地のほうを見た。
提灯の明かりで逆光になって、彼女の顔は良く見えないが、大地はおや? と思った。
「そうはいうけれども、お兄さん。明日のお酒を残すことにいったいどれだけ意味があるのかしら。死んだら飲めないもの。ああ昨日の夜、もっと飲んでおけばよかったなあ、なんて思いながら死ぬのわたしいやですよ。どうせなら、ああ昨日のあれが最後のお酒だったんだ。いっぱい飲めてよかったなあ。みんなで騒いで楽しかったなあ、って思いながら死にたい」
「強いね」
彼女はごきげんな足取りで去っていった。
「いまのは知っている人か、大地殿」
「うん、あれはね、照さんだ。顔は良く見えなかったけど、言っていることがすごく照さんだ」
こっちの世界の照姫。
さきほど大地の顔が照の側からはしっかり見えたはずだった。しかし照は自分のことが分からなかったようだ。
『この世界の照は大地のことを知らない』
大地はそのことについて考えてみた。考えても分からなかったので尚之助に聞いてみた。
彼は論理的な思考力がとても高い。
「ふたつの世界の選択はこれから行われる。もし今いるこの世界が選ばれるとすると、あの照さんは僕の記憶があってもよさそうな気がするんだけど」
「……なるほど。おそらくだが君を知っているかどうかと、世界の選択に今の時点では関連性がないように思えるな。これから決まる、どちらともいえないあやふやな状態というのが存在するのではないか? わたしはそう推測する」
シュレディンガーの照姫とでもいえる状態だろうか。
それからしばらくは大地も尚之助も黙って飲んでいたが、向こうからこちらに駆け寄ってくる人影があった。岬だった。
「いたいた、ねえ大ちゃん、わたしも少しお酒を飲みたい」




