第54話 再び、1868年の決戦
男は夜道を急いでいた。
彼は子連れだった。時折、険しい表情で後ろを振り返る。
ずっとつけられているのは分かっていた。
「父上」
「吉十郎!」
少年は懸命に走ったが子供の足では限界があった。
とうとう追いつかれてしまう。
街道の途中。どこにも人の住む灯りは見えない。
笠をかぶった三人の男たちが現れ、無言で近づいてきた。
「わしが会津松平家家老西郷頼母と知ってのことか!」
大声で名乗っても、返事がない。
頼母はゆっくりと刀を抜いた。
「大丈夫、一緒だ。我ら家族は、ずっと一緒だ」
父は息子に穏やかな口調で声をかけた。
少年はうなずき、震える両手で刀を握って構える。
三人の男たちが刀を抜くと同時に襲い掛かって来た。
少年が何かを叫びながら刀を振り上げた。恐怖のあまり目を閉じた。
金属音がした。二度三度と。
そして人のうめき声や、倒れたような音がした。
父が斬られたのだろうか。何が起きたのか分からない。
少年がおそるおそる目を開けると、闇の中、長い槍をもち自分たちの前に立っている者がいた。その向こうに男たちが倒れている。
槍を持つものはこちらを振り返った。その目が赤く輝いている。二つに結われた長い銀髪が揺れた。
黒い、西洋の軍服のような装い。
兎奇子。無表情で父子を見つめていた。
倒れていた男のひとりが、刀を拾い、背を向けている兎奇子に斬りかかる。
兎奇子が無造作に振り返り、槍を鋭く差し出す。
「む……」
男が寸前で止まった。
槍を男の喉元に突き付けて、赤く冷たい目で兎奇子は相手を見据えていた。
「くそ……!」
三人の男たちは逃げて行った。
姿が見えなくなるまでじっと彼らから目を離さなかった兎奇子が、父子のほうを見た。
「先生、ご無事ですか?」
「助太刀感謝する。そなたはわしのことを知っておるのか?」
頼母の問いに、兎奇子は答えない。
「どうか道中お気をつけて」
「……うむ」
頭を深く下げて西郷頼母と吉十郎は去っていった。
今の彼が、他人に詮索されたくない状況であることを、兎奇子は未来の本人から聞いて知っている。
彼は鶴ヶ城を出なければならなかった。父子二人での長い旅がこれから続く。
巨大な寅がいつからか空をゆっくりと旋回している。
兎奇子は早足で遠ざかっていく父子をいつまでも見つめていた。
「片がついたら、あんたを追いかける。うちが守ったる。それまでしっかりな」
そう言って兎奇子は飛び立ち、寅太とともに真っ暗な夜空へ消えていった。
***
鶴ヶ城での籠城戦は続いていた。1868年8月。
当初、押し寄せる西軍を前に、一日二日で決着が着くような勢いだったが、苦しい状況の中、会津は粘り続けていた。
「山川隊、出陣!」
小松の彼岸獅子を使って入城を果たした山川大蔵が馬上から叫んだ。
「いいか!」
若き家老は部下たちを鼓舞する。
「立てこもって我慢をしているだけなど俺の性にあわん。打って出るぞ! あいつら人が大人しくしてれば馬鹿みたいに囲みやがって」
「追い払え、追い払え!」
見送る兵たちも大声で山川隊を盛り立てる。
「旦那様、どうか存分にお働きください!」
女性の声がひときわ大きく響いた。
山川隊の何人かがその声に振り向いて、それからお互いに顔を見合わせた。
(誰の? 誰の? え、かわいい、誰の?)とでもいうように。
そして何人かが笑いをこらえながら、山川大蔵の背中を見ていた。
「ほら、ご家老」
「うるせ」
大蔵は苦笑いをして、うなだれた。それから背を向けたまま、自分の妻トセに向けて右のこぶしを掲げた。
トセは両腕をいっぱいに伸ばして手を振り続ける。彼女に乗っかるかのように他の女性たちも山川隊の背中に声援を送った。
「不思議な戦だ」
川崎尚之助がその盛り上がりを見ながら、どこか冷めた声でつぶやいた。
「いつの時代も女性は元気ですねえ」
大地は彼のとなりを歩きながら、女性たちが数人一緒で「いってらっしゃーい!」というのを眺めていた。
大地たちの素性を知っているからでもあるのだが、鶴ヶ城に入ってからの数日、大地は尚之助と行動を共にすることが多かった。なんだか波長が合うのだ。
尚之助が『不思議ないくさ』について話しを続ける。
「男の仕事は外で戦うこと、女性の仕事は家の中を守ること。古来武家の家庭ではそういわれてきた。会津はとくにその風潮が強い」
「今のこの状況は、それとはちょっと違うね」
「そう、男性と女性が力を合わせて戦っている。戦国時代のいくさとはだいぶ様相が違う。このようなことがここ会津で起こるとは」
「あんたの奥さんがみんなを引っ張って戦っているから、男連中も感覚がバグっているかもね」
「バグっているは未来の言葉か? 分からない単語だ」
「ああ、混乱している、マヒしている、かな」
「なるほど」
尚之助はうなずいて、笑った。
遠くで銃声が鳴った。
「尚之助さまー!」
石垣の上から八重の声がした。
「いた、尚之助さま。また敵襲だよ、手伝って!」
「仰せのままに、お姫様。じゃあ、行くね大地殿。安全なところを見つけて」
大地は八重を追う尚之助の背中を見送った。さきほどまでの明るい盛り上がりはさすがに消えて、周囲の者たち全員に緊張が走る。慌ただしく動き回る。
ほどなく会津兵たちの応戦射撃がはじまった。
なにもできない大地は石垣の影でその様子を見ていた。
八重と尚之助が鉄砲隊の指揮をする。
状況は良くない。尚之助が何度も言っていた。
鉄砲の性能が違いすぎる。
「そうなのか?」
「ああ、有効射程距離が話にならないくらい違う。命中率も、速射性も射手の技量だけではどうにもならない」
「どうすんだよ」
そのときの尚之助の不敵な笑みを大地は思い出していた。
銃撃戦は鉄砲の性能だけでは決まらないよ。
鉄砲隊の最前線に出て銃を構えた八重が、西軍を前にして叫んだ。
「追い払え!」




