第46話 一期一会
「まずはスマンな、ということをいっておきます。容保はん」
「すまんとは?」
兎奇子はろうそくに火をともした。
ささやかな灯が容保と兎奇子の顔を浮かび上がらせた。
長屋の小窓の外は月明かりでわずかに明るい。
兎奇子はろうそくを穏やかな顔で見つめながらつぶやく。
「あんたは、炎を統べる道具……」
そして容保に向けて微笑んだ。
「うちら未来人と平安時代からきた……過去人とでもしましょうか。この二つの勢力の戦争、領土争い。容保はんは結局それに巻き込まれただけや。うちは別に、あんたに個人的な恨みがあるわけちゃうからな、ごめんとは思うよ」
「ああ、そのこと自体はどうこういうつもりはない」
容保は答えた。
「わたしたち武士というのは、もともと領地争いを腕っぷしで解決することが得意なものたちのことだ。そなたらの縄張り争いに文句をつけたら滑稽であろう」
兎奇子はうなずき、どこか虚ろな顔で続きを話した。
「照姫さえいなければ、うちらは違うかたちの解決ができたんじゃないのかなと思ってしまいます」
「……兎奇子殿?」
「照姫の秘める力は強大です。強大すぎます。我ら未来人にとってどうしても排除すべき存在」
兎奇子が容保のほうを向いたその目には、訴えかけるような切実さが込められていた。
「実は、さざえ堂に照姫がいたとき、うちも一緒だった。一緒にさざえ堂に取り込まれていた。うちは新たな時の杭を生成しようとしましたが、それは具体的にいうと、このうちが依り代となって、うち自身が新たな時の杭になろうということでした」
「そうだったか」
「そのときうちは照姫の潜在能力のすさまじさを知りました。そして、うちがこれからすべきことが明確になった。照姫を倒すこと。それがうちの役目です」
容保が強張った目でじっと兎奇子を見据えた。
兎奇子は目をそらし、うつむいた。
「それを伝えておきたかった。あんたもうちも戦う力が戻らん、今のうちに」
それから二人とも黙って、少しの間ろうそくの火を見つめていた。
「そうか。……やはり敵と親しくなるものではないのう」
「容保はん」
兎奇子は顔をあげる。
「分かり合えるのではないかと思ってしまった。妥協点が見つけられるのではないかと思ってしまった。そなたは良い奴じゃからの。だが、それができぬから我らは敵同士なのじゃのう」
「その言葉、この兎奇子心の支えといたしとうござります、やで」
「姉上はわたしが守り抜く」
「上等や」
それから数日のことは、容保と兎奇子、そして頼母の3人にとってどのような意味があったのだろうか。
頼母の講義は毎日行われた。兎奇子は文句をいいながらも、毎日それに付き合った。
今日は会津に伝わる『什の掟』についての講義。
「ひとつ、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ」
「はい、先生!」
兎奇子が元気よく手を挙げた。
「なんじゃ兎奇ぼう」
「うちは、未来からやってきて、『幕末』と呼ばれるあなたたちのいざこざを、ここしばらく眺めていた。だから思うんやけど、武士ってずるいことばっかりやってへん? それはええの?」
それを横で聞いていた容保は苦笑い。
「そう思うのは無理もない」
頼母は力強く二度うなずいた。
「いいぞ、兎奇ぼう。勉強はすればするほど矛盾にきづく。しかし、その矛盾を超えた、普遍的な人としての正しさはきっとある。まだわしたちの誰もそれは知らぬのかもしれぬが、探すことを、考えることをあきらめてはならない。わしはそれが『ならぬことはならぬ』だと思う」
「本の中身を覚えればいいんやろと思っていたけど、もしかして覚えてからが本番なんか?」
「おうおう、これはうれしいのう。兎奇ぼうがそのことに自分で思い至っただけでも、わしが教えた甲斐があったというもの」
それから頼母に茶をたててもらい、容保と兎奇子でそれを飲んだこともあった。
兎奇子は良い音を立てて、お茶を泡まですすった。
「案外うまいな」
頼母が楽しそうに笑う。
「うまかろう、今日、ともに茶を飲んだことをずっと覚えていてくれたら、頼母はうれしいぞ」
そして数日がたち、兎奇子は七輪で魚を焼いていた。
容保と頼母は散歩に出ている。
気づくと背後に寅太がいた。
悠然と立つ寅太をみて、兎奇子は何度か小さくうなずいた。
「……もう行かなきゃやな」
頼母と容保は鶴ヶ城のお堀の横を歩いていた。
この数日、二人はいろいろな話をした。長い長い話をした。
容保は若い時の姿なので、並んだ二人は家族に見えたかもしれない。
ふと会話が止まったので、頼母はどうしたのだろうと思った。
「殿?」
容保は向こうを見ていた。頼母もそちらを見ると。そこには長い槍を携えた兎奇子と巨大な寅が浮かんでいた。
「兎奇ぼう……?」
「じいさま、世話になったな。お別れのときや。容保はんこれを返す」
容保は自分の聖刀を受け取った。
「準備が整ったか」
兎奇子がうなずく。
「照姫の居場所、わかったよ。あんたをそこに送り届けてやる」
「いいのか? そなたは、わたしが姉上に会えない方が都合良いだろう?」
「世話になったからな、一度だけ助けてやる。この一度だけやで。予告しておくけど、会津戦争の時代に戻ったら、ずるいことを遠慮なくやらせてもらうから、そのつもりでな」
「上等だ、受けよう。ただな兎奇子殿、『これからずるいことをやるぞ』と、わざわざ宣言していたら、それは一周回ってもはや正々堂々だと思うぞ」
兎奇子は容保の言ったことについてしばらく考えてみて、それから笑った。
「あんたはややこしいこと言うなあ」
寅太は容保を背に乗せて浮かび上がる。兎奇子とともに。
容保は自分たちを見上げる頼母に呼びかけた。
「頼母、未来を選ぶ戦い、わたしはそなたのために戦うぞ」
「もったいのうお言葉にござる。お会いできてよかった」
「そうだな、良かった。この容保は、西郷頼母と出会えてよかった」
兎奇子が大声で叫んだ。
「じいさまー元気でなー!」
「兎奇ぼう、勉強は続けてくれ」
手を振る頼母の言葉に、兎奇子は何度もうなずいた。
「今夜のご飯だけ準備しておいたから、食べてな」
そうして容保たちは空に消えていった。
頼母が歩いて長屋に戻り扉を開けると、この数日の賑やかさが夢でもあったかのように、いまは静かだった。
ちゃぶ台の上には兎奇子がさっきまで読んでいた一冊の論語があった。
「書物を置きっぱなしにするとは何事か。まったく」
頼母は本を手に取ってブツブツとつぶやいた。




