第41話 八重の夢
「黄金色の髪をもつ人が海の向こうにはいるというのか、兄上!」
「そうじゃ八重、しかもな、目が青いお人までいるというぞ」
山本八重は、兄の覚馬とそんな会話をしたことがある。
「すごいすごい。あってみたいのう! 話してみたいのう!」
「会えるさ。これからはきっと海の向こうの国に誰でも行ける時代になる」
「未来には夢しかないのう、兄上!」
みんながいた懐かしい日。鉄砲の稽古の合間に、母上が作ってくれたおっきなぼた餅を食べながら。
弟の三郎や、悌次郎くんも一緒だった。
悌次郎くんはこの数年後、白虎隊士中二番隊として戦地に向かうことになる。伊東家と山本家はお隣さん同士だった。
「いやあ、にわかには信じられませぬ」
三郎と悌次郎くんは、覚馬の話に半信半疑だった。
八重が笑う。
「なんだそなたらは、子供のくせに頭が固いのう」
「姉上の頭が柔らかすぎるんだって、俺らは普通だって、なあ、悌次郎」
「僕はまず海を見たことがないから、その向こうに国があって、黒船ではるばるやって来たなんて言われても、想像を超えすぎてて」
「なー」
「そう、それなんじゃ兄上」
「どれじゃ八重」
「悌次郎サンの言うとおり、海の向こうにもいろんな国があるらしいと聞いてはいたが、たしかに自分たちには関係のないことだと思っておった、今までは。月に誰かが住んでいたとしても、一生関わりようがないのと一緒。でもいまやそうではなくなった。わたしたちの常識など、案外簡単に変わる。であればだ」
「ふむ」
覚馬は年の離れた妹の話を、いつも興味深く聞いてくれる。
「海の向こうへ行けるというのならば、いつか時の向こうにだっていけるのでは。つまりは、100年後の世界や、100年前の世界を見に行くことができる」
となりで三郎は、完全に彼の理解を超えた姉の話の飛びかたに、おばけでも見るような顔をしている。
悌次郎くんも同じである。
「そうきたか!」
覚馬は手で膝を打った。
「あるかもしれないよね、兄上」
「ありえる、ありえる」
八重と覚馬の想像は果てなく広がっていく。
「わたしたちはどうやってそれを知るのかな?」
「同じことだろうな。黒船が来るかもしれない、未来からの」
八重よ。兄は言った。
機会というものはいつか訪れるかもしれない。それを見逃すな。
時が来たら、お前の力いっぱいを世界中に見せてやるのだ
「兄上、わたしはやってるよ」
鶴ヶ城の廊下を大股で八重は進む。漂う籠城戦下の緊張感と火薬のにおい。
慌ただしくすれちがった男に声を掛けられる。
「八重殿、次のご指示をいただけるか」
「用事を済ませたら、あとで参る」
八重は外に出て石垣の陰に向かい、あたりをきょろきょろと見回しながら、持ってきた小さな握り飯を大地と岬に手渡した。
「貯めてある食料はまったく余裕はない。このくらいしか用意できなかったけども、食べな」
「悪いね」
「ありがとう」
石垣によりかかって、八重の夫の尚之助が彼岸獅子に紛れて入城してきた二人を興味深げに眺めている。
「あなたは情け深い」
八重は照れたように声を少し荒げる。
「あんたたちのこと、わたしはまだ疑っているんだからね! ……まあ、彼岸獅子が上手に踊れるから、少しは信用したようなものの」
(彼らの彼岸獅子に対するこの絶対的な信頼は何なのだろう)
顔には出さないようにしながら、内心岬は思った。
戦っているときは冷徹な戦闘マシンのようだったけれど、いまこうして一緒に話している分には、八重はちょっとぽっちゃりした愛嬌のある女の子だ。
「敵を追い払ったら、わたしたちの家であなたたちにおいしいもの食べさせてやるよ。何がいい? いまのうちに母上に頼んであげる。ちょっと楽しみだね」
「八重ちゃんは前向きだねえ」
大地の言葉に八重は(そうかな?)とでもいうふうに笑い、首を傾げた。
「大地殿の言いたいことわかるよ? まわりでは死傷者が続出している、家族を失ったものも多い。あまりはしゃぐのが良くないとは自分でもわかっている。しかしわたしはこうすることで自分のめんたむ……? いやめんたるか。めんたるを守っている部分もあるのだ」
「おや、八重ちゃんは英語いけるんだ」
「うむ! 兄上から、『これからは異国の言葉を学ぶことが大事っぽい』と聞いていたので、すこしずつ勉強している」
「やるね。ねえ八重ちゃん、僕は君に助けてもらいたいことがあるんだよ」
「ふむ、言うだけ言ってみな?」
「ちょっとお城の中のいろいろなところを調べて回りたい」
「は?」
にこにこしていた八重の顔が、急に戦闘モードへと変わった。立ち上がって激高する。
あ、しまった。大地は思った。
「ふざけるな。いまがどういう状況かわからぬのか。そんなのダメに決まっておろう。いったい何を探るつもりだ。お前やっぱり不審者ではないか。えまーじぇんしー!えまーじぇんしー!」
「うわああ、違う違う!」
「八重さん、話を聞いてください」
岬が彼女の前へ進み出た。
「お前たちは間者だ」
八重が鋭くにらみつける。
「説明をさせてください」
「お前はわたしをだますつもりか」
「わたしは正直に本当のことを話します」
「嘘つきに限ってそういう」
岬は大地のほうをちらりと見て、それから八重に向き直った。
「秋月大地の妻は嘘を申しませぬ」
岬と八重はにらみ合う。
「名乗りを上げたな。……いいだろう。川崎尚之助の妻が、お前の話を聞こう」
八重はその場にもう一度座り込んだ。
「八重さん、わたしとここにいる大地は、未来からやってきました」
「おい」
大地は思わず口を挟んだ。そんなの信用してもらえるわけがないじゃないか。
「大ちゃん、言うしかないと思う。この人に小細工は通じない」
八重はまっすぐ岬を見つめ続け、動かない。彼女はこのときのことをあとで夫の尚之助にだけこう漏らした。
未来ということばを聞いたとき、わたしはぞくりとした。
「おまえは黒船なのか?」




