第3話 二つの会津①
鳥羽伏見の戦いから離脱した容保。失意の彼の前に現れた謎の二人、岬とかわひらこ。
彼らの願いは、容保が二つに分かれた世界を修復し、選択することだという。
「わかった。わたしに見せてくれ、二つの未来、二つの会津を」
容保は岬とかわひらこに向かって告げた。
開陽丸の甲板で、夜の海風を受けながら腕を組んで様子を見ていた慶喜が、じっと容保を見据えた。
「容保、行くのか?」
「上様、どうやら我らの理解を超えたことが起きています。避けがたい何かが。わたしは行くべきです。ただ……上様のそばを離れることになる。どのくらい時間かかるものか」
「そこは心配していないよ、容保。未来に連れて行くとこの者は言っている。本当に時を操る術が使えるというのならば、たぶん行った先でどれだけ時が経とうとも、この船のこの時間にぴたりと戻ってくることは可能なはずである。というか、そうでなければおかしい」
満足げにうなずくかわひらこ。
「さすが慶喜公、仰せのとおりにござります」
となりの岬は半分あきれ顔。
「なぜそんなことまで理解できるのよ。慶喜さまは聞きしに勝る賢さね」
かわひらこに促されて、容保は黒漆の牛車に後ろから乗り込んだ。
「牛車には初めて乗る」
かわひらこと、最後に岬が牛車に入った。
「容保さま、狭いですがしばし御辛抱を」
かわひらこは、牛車のなかにたくさん積み込まれた巻物の中から一つ取り出して広げた。彼が巻き物の文字を指でなぞると、牛車がふわりと浮き上がるような感覚があった。
車輪が回っているようだったが、音はしない。むしろ、辺りの音が吸い込まれるように消えていく。
「あ、容保さま」
岬が声をかける。
「すだれは開けない方がいいですよ。外は目がつぶれるくらいの光です」
「そうなのか」
「わたし一度えらい目に会いました」
かわひらこは巻き物をなぞり続けていた。
「我らは時の川をゆらりと進みます。未来へ向かって。しばしお休みを」
しばらくして、かわひらこが壁にもたれて寛ぎ出したころ、容保は尋ねた。
「そなたたちが現れる前に、もう一人男の姿を見たような気がした。あれもそなたらの仲間か?」
岬とかわひらこは顔を見合わせた。
「やはり、見えましたか」
「彼はあなたと同じ、もう一人の迷子でおじゃる」
「……迷子?」
牛車にどのくらい乗っていたかは分からなかった。
それはどうやら、一刻とか一日とか、そんな表し方が当てはまるものとも思われない空間だった。
「容保さま、岬さん、着いたでおじゃる」
牛車から降りるとそこはさほど高くない山の上。広がる街並みが良く見えた。
「これは……!」
容保にとっては、とても異様な風景だった。四角くて高い建物が無数に立ち並び、その足元を赤や黄色、白や黒、様々な色とかたちの大きな箱のようなものが列をなして動き回っている。まるでアリの行列のよう。
しかし見慣れた建物と町の向こうの山並みがそこにはあって、ここがどこであるのかを容保に教えてくれた。
「ここは我が国、会津だな?」
町の中央に鎮座する鶴ヶ城の天守閣を彼はまっすぐ見つめた。
「その通りでおじゃる、容保さま」
かわひらこは容保から少し下がったところで町を見ていた。
「あなたの時代から数えて、150年以上の未来。西洋の暦でいえば2025年の会津でおじゃる」
説明するかわひらこのとなりでは、岬が何故だかずっとうつむいていた。さきほどまでの快活な様子が、いまは消えている。
かわひらこが彼女に呼びかけた。
「岬さん、町の規模などを容保さまに教えていただけますか? わたしは仔細までは知らない」
「いいわ」
岬は顔をあげて、まるでお城に語り掛けるかのように話し始めた。
(このとき彼女の話した内容は、聞く人が聞けばとても奇妙なものだったのだが、この時点の容保にはわかりようがない)
「会津若松市の人口は約50万人です。近隣では一番大きな都市。新幹線という乗り物が会津若松市に停まります。それを使えば江戸まで一刻(2時間)かかりません。それから奥羽(東北地方)でいちばん優秀とされる学校、東北大学がこの若松市にはあります」
「すごいではないか」
容保は改めて未来の会津を見回して、それから中央にそびえる鶴ヶ城に目を止めた。
「これほど栄えているのか未来の会津は。江戸や京にもそう負けていないのではないか? 良かった。本当に良かった」
「容保さま?」
岬が思わず声をかける。容保の目からは一筋の涙がこぼれていた。
「わたしはずっと不安だった。自分がやってきたことで、決めたことで、この町に取り返しのつかない災いが降りかかったらどうしようかと。しかしどうだ、わたしの町はこんなにも華やいで美しい」
「違うのです、容保さま!」
いつしか岬の目にも涙が浮かんでいた。彼女は続きの言葉を絞り出した
「……これは分かれてしまった、もう一つの世界」
となりのかわひらこは達観したかのような静かな笑みを浮かべている。
「さて容保さま。このかわひらこは、あなたをもう一つの場所へお連れしなければなりませぬ」
***
(誰かに見られていたような気がする)
とても栄えた会津若松市のたくさんあるビルのひとつ。その屋上で、スーツの若い男がひとりで電子タバコをふかしていた。山を眺めながら、あくびをひとつ。
彼の名は秋月大地。
「やっぱりここにいた」
会社の制服姿の女性が彼に声をかけた。
「あなた、休憩がいくらなんでも長すぎると思う」
長い髪を束ねてメガネをかけた彼女は、大地を無表情で見つめている。
彼は気だるげに振り返った。
「見逃してよ。みんながみんな、君のように仕事が好きなわけじゃない」
大地が深く息を吐くと、白い煙が流れる。彼は先日の全体集会で発表されたことについて考えていた。そしてもう一度山のほうを見てつぶやいた。
「僕もとうとうリストラかあ」
「まだあなたが該当すると決まったわけじゃないでしょ」
「決まっているんだよ。気休めはいい。客観的に見ても、僕のようなダメ社員がやめるのが妥当だと思うもん。これで君の同期は一人もいなくなっちゃうね」
彼は入社したころから彼女のことがずっと好きだった。
つらいことばかりの社会人生活を今までまがりなりにもやってこられたのは、彼女の存在があったから。
大地は思う。昔は良く僕にも笑顔を見せてくれていたのに。ふがいない自分にいつしか愛想をつかされてしまった。
「リストラがほんとに必要なのかはわたしもちょっと疑問。会社全体の業績はそう悪くないわけだし。重役が何人かまとめて変わって、社内のパワーバランスが……」
「どうでもいい。お偉いさんたちのことなんて、僕にはわかんない」
「そうやってあなたはいつも上を毛嫌いする。相手だって人間なのに」
「そうは思えなかった」
「秋月くん、仕事でいろいろあったのは知っているけれど、あなたがまわりに心を開けば何とかなったケースだってたくさんあったのよ」
「お説教は勘弁してくれ。僕のことが随分気に入らないみたいだけど、安心しな、もうすぐ君の前からいなくなる。君はこれからもこの会社で素敵な仲間と楽しくやっていけばいい」
「話はそう単純でもない。……実はね、わたしも会社を辞めることになりそうなの」
「え」
大地は彼女の言葉にとても驚いた。
「そんな、そんなわけないだろ。君は仕事ができるし、上司の受けもいい。みんなに好かれている。いったい誰に言われたの? いくらなんでもめちゃくちゃだよ」
「心配してくれてありがとう」
彼女は大地を見つめて一瞬だけ笑った。まるで出会った頃のようだと、彼は思った。
「……わたし、総務の加納さんと結婚するの」




