第26話 七日町
容保たちはお世話になった旅籠を後にした。
主の男性は食料を持たせてくれた。
彼は「あつかましい、あつかましい」とぶつぶつ言っていたが、作ってくれたそのおにぎりはとても大きかった。
「やばい、あのおじさん相当いい人だ」
大地は彼の心づくしに感動しているようだ。
三人は会津若松のまちなかをさらに西へ歩いた。
鶴ヶ城上空で兎奇子たちと交戦した際にはぐれてしまった照姫を探さなければならない。
容保と大地、岬、そして照姫の持つ四振りの聖刀がそろうことにより、『時の杭』を破壊することができるという。
大地は、自分たちの進む左手、南の遠くに時折見える鶴ヶ城を眺めながらつぶやいた。
「しかし、こんな歴史上の大事件の現場を歩いているなんて不思議な気分だ。あそこには松平容保がもう一人いるのか」
「ええ、そうね。これから1か月の籠城戦が始まる」
岬が答えた。
「難儀なこった。この世界の、もう一人の照さんは今どこにいるのかな。さすがに安全な場所にいるんだろ?」
岬が立ち止まった。そのきりっとした眼差しが少し歪んでいた。
「容保さまのそばにいるわよ。当たり前でしょう?」
「え……」
大地はもう一度鶴ヶ城のほうを振り返り、少しの間茫然としていた。
ここは西暦でいうところの1868年。日本の暦でいうところの慶応四年八月。
岬は思った。
わたしにもできることがあるのだろうか? わたしだけがこの世界の歴史の続きを知っている。
お城の東には小田山も見える。
かわひらこが言っていた。バグった状態の『時の杭』がどうやら小田山にある。わたしたちはなんとかしてそれを破壊しなければならない。
いくさなどしている場合ではない。ここままでは世界が、宇宙そのものが消失してしまうという。
侍たちにそう呼びかけたい気持ちもあったが、向こうも多分同じことを言う。
いくさは、きっと関わっている人々の大半が『こんなことしている場合か?』と思っている。
大地のほうをみた。
夫と同じ姿の、他の世界から来た男。
ことあるごとに容保に反発する男。
彼はいったい何が望みなのか。
大地が岬の視線に気づいた
「何?」
「なんでもないわよ」
「岬殿」
気づくと容保が隣にいた。
「教えてくれないか、いまの会津若松城下の状況について」
岬はうなずいた。
「会津側は国ざかいを守備していましたが、西軍に母成峠を突破されました。西軍は猪苗代を通過して、会津若松城下に侵攻。今は一気に鶴ヶ城を攻め落とそうとしていますが、会津は持ちこたえます」
「城下には敵兵があふれているということか。頼みの赤べえは動けない。小田山まで歩いて行けると思うか?」
「厳しいかと。小田山は残念ながらまもなく西軍に奪われます」
「敵の拠点になるということか」
「たくさんの大砲が設置されて、そこから鶴ヶ城を砲撃します」
「小田山から……? 鶴ヶ城までだいぶ遠いぞ。会津にそれほど飛ぶ大砲はないはず」
「西軍の大砲は届く」
「なんということだ」
岬は思った。
いまわたしの目の前にいる容保は1868年1月『鳥羽伏見の戦い』直後の彼である。
鳥羽伏見において、西軍は射程の長い高性能な大砲を投入している。だから現場の兵たちはその威力を身にしみてわかっている。しかし、徳川方の指揮官にはその情報が伝わらないまま終わってしまった……。
容保は静かに考え続けている。
「小田山へ向かう手段を検討する。もしくは消極的ではあるが、刻限までに赤べえが飛べるようになることに賭ける。それが今現在わたしたちの置かれている状況ということか」
容保の険しい顔が一瞬緩んで岬を見た。
「よくわかった。礼を言う。これからも頼りにさせてもらうよ」
微笑む容保が先に進んだ後で、ぼうっとその場に立ち尽くしていた岬は、両手で自分の頬をぱちんと叩いた。
大地がそんな岬をスナギツネみたいな目で見ていた。
「まあ、あいつが最推しなのは知っているけども」
そのとき、容保たちの向かう先からガタゴトとうるさい音が聞こえてきた。
三人は身構えたが、敵とはちがった。
荷物を山のように乗せた荷車だった。男たちが3人がかりで引いている。
「どいた、どいた!」
荷車が土埃をまき散らしながらこちらに向かってくるので、大地は岬の手を引いて横にどかした。
「おお、危ない。どしたのおっさんたち。すごく慌てているね」
勢いよく通り過ぎる荷車。大地が声をかけると、荷車を後ろから押す男が振り返って叫んだ。
「逃げるんだよ! 七日町のほうは敵にやられてもうめちゃくちゃだ。あんたらも近寄らない方がいいぜ!」
荷車の行く先は四つ角があった。これが少し不思議な四つ角で、東西に走る道がまっすぐでなく、かくかくっとほんの少しずれている。
「うおお、進みづらい!」
つまり全速力で通過はできない。
左に少し曲がってまたすぐに右に曲がる。荷車は勢いで何か落っことしたようだったが、男たちはそれどころではないというふうにそのまま走り去っていった。
大地が振り返って荷車の去った方を見た。つられて岬もふりかえる。
「あの、癖の強い四つ角って、未来の会津若松でも残っているな」
「わかる。車で通過するときにウィンカー出すと、道交法上間違いなのよね。会津若松で自動車免許を取るとき、路上教習でひっかけ問題に使われるやつ」
容保たちの行く先には変則的な四つ角がもうひとつあった。煙の臭いが強まるのが分かった。
「平和なときにこの町を歩いてみたかったな」
大地が何の気なしに言った言葉を聞いて、容保の顔がわずかに歪んだ。
七日町はひどい有様だった。
店は民家は大部分が焼き払われ、残っている店先では大量の品物がまき散らされている。漆の食器が砕かれ、華やかな反物が無残に泥をかぶっていた。
焼け出された人々は路上に座り込み煤だらけの顔で茫然としている。
三人は通りを歩いた。悲惨な光景に誰も言葉を発することができない。
「容保のせいだ」
町人の一人の絞り出すような低い声が耳に入った。
「どうして俺たちがこんな目に会う?」
「俺たちがいったい何をした?」
「いままで嫌な侍なんていくらでもいたが、みんないくさだけは起こさなかった。町が焼き払われることなんてなかった」
「容保のやつは、きれいな顔をしてとても聡明だとか、最初の評判だけは良かったが、結局とんだバカ殿だ。誰よりも愚かだった。自分の身だけかわいくて、将軍のごきげんばかり伺って、俺たちのことなんかどうだってよかったんだ!」
容保は立ち止まりただじっとその声を聞いている。
「容保さま」
岬が容保に声をかけた。
「聞いてはなりません。ここを離れましょう」
大通りを一本裏に入ったところで、座れる物蔭を見つけた。
「飲みなよ」
大地が容保にお椀をさしだす。どこかから見つけてきたのだろう黒漆の椀は水で満たされていた。
容保は椀を片手で受け取り、水を飲んだ。
大地は容保のそばに座り、しばらく待ってから声をかけた。
「落ち着いたかい、殿さま」
「ああ、かたじけない」
あれが民の声。
容保は慶喜のことを思い出していた。いつだったか彼に進言したことがあった。
「上様、我らは民の声をもっと聞くべきなのでは?」
大坂城でのことだったか。
京で民の不満がどんどん高まっていることを容保は人づてに聞いていた。
1864年の長州とのいくさで、京の町は損害を受けた。それを徳川の失政とみなすものが多かった。長州に同情するものすらいた。
歩きながら振り返りもせず、慶喜は答えた。
「正論だな。我らも人の意見を参考にしてはいるが、偏っている。味方の意見、支配層の意見ばかりを聞いて、判断している。そこから導く結論は、自分では八方に注意を配っているつもりでも、実際はずいぶんと偏ったものだろう。違う立場、様々な身分からの意見を聞いたらその精度が上がるのかもしれない。でもな容保、少なくともお前はやめておいた方がいいよ」
とてもじゃないが身が持たない。慶喜はあのときそう言っていた。
「大地殿、わたしはそなたに偉そうなことを言っておったのう。信じあうことの大切さだったか。……さぞかし滑稽であろうな」
「民衆なんてあんなもんさ。ちょっとは同情するよ。いままで知らずにいられたのは幸運だったと思うしかない。最後まで気づかずに済んだらよかったのにね」
「お前、冷たいな。なんだかちっとも励まされない」
「別に励まそうとしていないもん。僕はどちらかと言えば、こういうとき文句言っている側の人間だ」
それから大地は向かいに座る岬にも声をかけた。彼女はもしかしたら容保以上にうちひしがれているようだった。
「このへんは思ったよりものにあふれた町だったんだね。あと、何だろう。言葉のなまりがさ……会津以外のひとが結構いなかった? こういうもの?」
「……この時期、旧幕府の関係者が会津にたくさん来ていた。その人たちの需要を狙って商人たちも全国から集まってきていたのよ」
「なるほど大きなビジネスチャンスだったわけだ」
大地は立ち上がった。
もうしばらく休んでいた方がよさそうな容保と岬をかえりみてから、大地は七日町の大通りに一人で足を踏み出した。日差しがまだ少しまぶしかった。
「さてと、僕も少しは働くか」




