第25話 託した思い
甲賀門近くの屋敷から、重い足取りで容保が歩み出てきた。
炎に包まれやがて崩れていくだろう屋敷を最後にもう一度振り返り、そこから離れた。
田中土佐と神保内蔵助の亡骸が、その屋敷の中にはある。
少し歩いたところで容保は立ち止まった。
彼は泣いていた。
死んで行く家臣に恥ずかしい姿を見せたくない一心で気を張っていたが、限界だった。
土佐と内蔵助を死なせてしまった。何をどう言いつくろっても、それは松平容保に責任がある。
恨み言を言われたほうがましだった。
内蔵助にとっては、最後に容保と話すことができて、わずかばかりの救いとなったかもしれない。
しかし容保には……。
彼は『あなたはよくやった』という内蔵助の言葉を思い出してしまい、大きく首を振った。
「わたしは許されてしまった……許されてしまった……」
自分のどこに許される資格などあるというのか。
容保は煙の向こうにそびえる鶴ヶ城を見つめた。あそこにはもう一人の自分がいる。この世界を生き抜いてきた本来の容保。西からやって来た大軍とこれから戦い抜く運命の容保。
『こうならなかった世界』を手に入れるために、自分はここにやって来た。
しかし、それがもし叶ったからと言って、目の前で苦しんでいる家臣たちに対する責任、この世界への責任が完全になくなるわけではないような気がずっとしていた。
自分がこの世界のためにできることは何もないのであろうか?
心の迷いをそのまま映しだすように、容保は揺らいだ足取りで戦場となった会津若松を歩いた。
そしてまた立ち止まる。容保は、ひとつとても大事なことに思い至った。
「ちょっと待て……まずいぞ」
神保内蔵助は、松平容保へ最後の状況報告を果たしたと思っている。
武士は、主君から与えられた命令に対する結果を必ず報告しなければならない。
とくに、命令を果たすことができなかった時にこそ、それを伝えることは最も大切と言っていいくらいの重要な務め、最後の大きな責任である。
内蔵助は報告できたと思っている。しかしそれは違う。
彼らが報告したのは、この自分、別の時間軸からやって来た容保に対してのものであり、鶴ヶ城にいる、本来彼らが報告するべきだったもう一人の容保は、今現在そのことを知らない。
伝令を出すことはできたのだろうか?
その可能性もなくはなかったが、内蔵助に伝えることができたと思わせてしまったことが、容保にはどうしても気にかかった。
「困ったぞ。……しかしだからといって、わたしに何ができる?」
自分がお城まで行くのはさすがに駄目だ。容保だと気づかれる。会津の兵士たちをとんでもない混乱に陥れてしまうだろう。
何ということだ。これでは何かこの世界に貢献するどころか、足を引っ張ることになってしまう。
容保は歩き回りながらしばらく考えていた。
「そうだ……」
何かを思いついた容保は再び歩き出した。歩に力強さが戻っていた。
何度か敵兵とすれ違い、身を隠しつつ進む。
いったい彼らが頭からかぶっている赤や白のもふもふしたものは何なのか、敵か味方か分かりやすくて良いが。
そして容保は旅籠に帰り着いた。そこには一緒にこの世界に来た大地と岬、それからさきほどかくまった白虎隊士のひとりがいる。
「あ、帰って来た。殿様、遅いじゃないか。探しに行こうかと思ってたところだよ」
大地の平坦な声は、容保に少し落ち着きを与えてくれた。会津戦争というこの状況が他人事である彼の存在が、ある意味ではありがたかった。
「待たせてすまなかったな」
旅籠の主人にもらったのであろう握り飯を頬張る大地に軽く頭を下げて、隣の岬に目を移した。
「ご無事でよかった」
「岬殿、心配かけた」
そして容保は横たわる若者を見た。彼はうつろな目でこちらを見ていた。
白虎隊士中二番隊の一員。
生きるための理由を失った若者。
容保は彼の前でひざまずき、視線を下げた。笠を深くかぶり直し、顔は隠しながら。
「そなたに頼みがあるのだ」
彼は突然の言葉に驚いた。
「わたしに……? もうしわけありませんが、今の自分に何かができるとは思えません」
「つらいだろうとは思う。酷なことを言っている自覚はある。しかしわたしはそなたに頼むしかない」
「殿様? 何を頼む気か知らないけれど、さすがに無理だと思うよ」
容保は大地の言葉を聞いてうつむいた。しかしもう一度顔をあげて、言葉を続けた。
「敵の軍勢により甲賀門口が突破された。そして家老田中土佐さまと、神保内蔵助さまが、責任を取り自刃、見事な最後を遂げられた」
あまりに衝撃的な情報に、若者の眼が大きく見開かれる。
「ご家老さまたちが……! とんでもないことになってしまった。お二人ともさぞかし無念であったでしょう……。外郭を突破されたとあってはお城はもはや」
となりの岬が声を張った。
「まだお城は落ちていない! 残った人たちで必死になって持ちこたえています」
若者は岬をじっと見つめて、彼女の言葉について考えているようだった。
容保が言葉を続ける。
「鶴ヶ城にいる松平容保に、このことを伝えてくれ、頼む」
「無理です」
「無理ではないのだ」
首を振る若者の両肩を容保は強くつかんだ。
「わたしは無理を言っていない。事実しか言っていない。そなたはまだ生きている。できることがある。そなたを必要としているものがいる。お前は進まなければならない。わたしは事実しか言っていない」
もうひとりのわたしに伝えて見せろ。容保は必死にまくしたてた。この白虎隊士を救うために。
「いいか、伝令は死んではならない。敵から逃げ回ってでも、目的地にたどり着くのが仕事だ」
上官の死を君主に報告する。それは16、17歳の新兵に託すにはあまりに大きな任務。
「おそらく……だけれども」
岬はそう前置きして、若者に伝えた。
「白虎隊は士中二番隊だけじゃない。他の隊の生き残った人たちを集めて、白虎隊は再編成されるはず。生きてさえいれば、あなたがお城で手伝えることはいくらでもある」
岬は涙をこらえていた。
「負けるな……白虎隊!」
若者は茫然としていたが、静かにつぶやきだした。
「わたしはまだ会津の役に立てる。わたしにしかできないことがある」
絶望の淵にいた若者の眼差しにもう一度光が宿りはじめていた。
そして、容保たちは若者を手伝った。若者が出発する準備を。お城に向かって。
刀を腰に差して若者は歩き出した。去り際に彼はこちらを振り向いた。
「白虎隊士中二番隊、これより伝令に向かいます」
「武運を」
容保が声をかけると若者は涼し気に微笑み、去っていった。
「彼はどうなる?」
遠ざかる背中を見送りながら容保は岬に尋ねた。 彼女は未来から来た。この世界の歴史を知っている。
「わかりません。あの方の名前は聞いたことがない」
「そうか」
「でも彼は希望を取り戻した。あなたによって」
「そうだといいな」
容保が若者の去っていた方向に背を向けると、大地がこちらを見ていた。
「気に入らないか大地殿」
「やりがい搾取、とはまた違うのだろうけど、あんたのやり方が好きにはなれないよ」
大地が旅籠のほうに戻っていった。岬も彼についていった。
ひとりになった容保は、もう一度若者が去ったほうを向いた。
もう彼の姿は見えない。腕で目のあたりを拭った。
あなたはよくやった。
内蔵助から最後にもらったその言葉は、若者に託さなかった。この世界の容保には伝えない。
「それはわたしだけが背負っていくよ、内蔵助」
容保は天に向かって呼びかけた。




