第10話 江戸②
照が準備してくれたこの時代の外出着に大地は着がえた。藍色の小袖。
彼女と同行するのであれば刀がないほうが悪く目立つので、腰に竹光を刺した。
下級武士のような感じ。
二人は屋敷の外に出た。
「何人かついてきていますね」
大地が気づいた。照の護衛だ。彼女は日傘をくるくると回しながら、軽い足取りで先を行く。
山吹色の着物が秋の陽ざしに良く映えていた。
「大地殿、巻いてしまいましょうか、わたしはそれでもいいですよ?」
「危ない目に合わせたくない。あなたはとても身分の高い方なんでしょ」
「どうですかね。高いのかもしれませんが、と言ってもできることはあまりありません」
「殿様の奥方様とか?」
「違います」
「じゃあ……、家老、でしたっけ。そういった国政を司どるような上級武士の奥方様ですか?」
「奥方という考えから離れなさい。わたしはひとり者じゃ」
「え、それは失礼しました」
この時代はやたら結婚が早いという話を聞いていたので、その先入観からつい言ってしまった。
「僕も一人ですけどね」
「あら、それはいけませんねえ。身を固めることが何よりの孝行ですよ。どうして妻を娶らぬのです」
仕返しとばかりに、照さんは掘り進めて聞いてきた。
「悪かったですよ」
「ふふ」
照はにこにこと笑っていた。向き直り、また歩き出した。
「僕には心を寄せている人がいます」
「それは良いことです」
「上手く行きそうにないですけどね」
「それでもです」
照は傘越しにお日さまを見上げて目を細めた。
会津邸の長い塀が終わると、また次の長い塀が続いていた。
「この辺はお邸が集まっているんですね」
「ええ、ですからわたしのような暇を持て余したものが結構歩いています」
少し離れたところまで歩き、高級そうな呉服屋を覗いた。それからかんざしの店にも顔を出した。
店を出て並んで歩きながら、大地が思い出したように呟いた。
「僕の連れはどこに行ったんだろう? 岬は僕のことなど忘れて、江戸を満喫している可能性もあるな」
「それなら、大地殿もしばらく楽しむのがよろしかろう」
大地は言葉を返さなかった。彼は立ち止まり、大通りの向こうをじっと見つめていた。
「大地殿?」
「照さん、あれ見える?」
「ほよ?」
彼女は目を細めて、大地の言う方角を見た。
「ほお、ずいぶんとお尻の締まった素敵な飛脚さんですね」
「それじゃないよ。見えてないんですね」
大地にだけ見えているようだった。
大きな虎。
かわひらこの説明によれば、自分たちには敵対勢力がいる。
あの虎は多分、敵だ。大地の時代の知識で表現するならば、『有機AI生物』、赤べえと同じ類らしい。
立派な体格の虎は辺りを伺っていた。江戸の風情を味わっているのとは違うようだった。
「僕を探している気がします。照さん、ちょっとそこの物陰に移動しましょう」
「何がいるのです、大地殿」
「ちょっと説明が難しい」
虎は、しばらく同じあたりを何度も行き来していたが、あきらめたかのように、大地たちから遠ざかる方向に歩き出した。
「行ったか……」
大地が安心して建物の影から通りに出たとき、虎が大きくこちらを振り返った。
「まずい」
隠れきれない。振り返ると、大地につられて顔を出した照がすぐ後ろにいた。
「へ?」
彼女の後ろには両替商の建物の壁、どん。
「大地殿。これはいったい何のマネでしょうか?」
「静かに。まだこっちを見ている」
照さんを壁に押し当てて、壁に右腕をどんと突いた大地は彼女を見下ろしていた。
「失礼。僕の住むところではこれが流行っているのです」
「へえ、そうなのですね」
照が至近距離で興味深そうにじっとこちらを見ているので、大地のほうがだんだんと恥ずかしくなってきた。
彼女は平気なようだ。静かな笑みを浮かべている。
そのまましばらく経って、横目で虎が完全に去ったことを確認した大地はほっと息をついた。
「よかった。いなくなりました」
「おや、もう終わり?」
「え、ああ」
大地は彼女から離れようとしたが、しかしその前に背後から声を掛けられた。
「お前、何をしているのだ。離れろ」
振り返ると、若い、色白の武士がいた。細面の彼は鋭く大地のことを睨みつけていた。
「え、え、なんだよ」
慌てて大地は照から離れた。
「殿、おやめください」
「姉上、ご無事か?」
「はい、なんとも」
「良かった」
彼は涼やかな笑みを見せた。照は彼に歩み寄る。
「殿」
「このようなかたちで姉上に会えるとは。わたしは夢を見ているのでしょうか?」
「そうかもしれませんね。きっとわたしもあなたも同じ夢を見ている」
状況をいまひとつ飲み込めない大地は、若い武士の後ろに、岬とかわひらこが並んで立っていることにやっと気づいた。
「岬、いたんだ」
「いたわよ。壁どんのあたりからね」
「向こうに大きな虎がいた」
「知ってる。わたしたちさっきまで散々追いかけっこやってたから」
岬は疲れているようだった。
「なるほど、あの虎は岬たちを探していたんだね。しかし良かった。君たちと割とすんなり合流できて」
「すんなりと」
大地の言葉に対する岬の復唱は、苛立ちを含んでいた。
「ねえ、かわひらこくん聞いた。この人すんなりの一言で片づけたわよ」
「大地殿の言葉は、配慮に欠けているとわたしは思うのでおじゃる」
からひらこも岬に同調する。
「え? そりゃ何かしら大変だったんだろうけど、はぐれてから一日と経たずに、こうしてまた会えた訳だし」
「一日ぃ?」
岬の声のトーンが上がる。大地の言葉は、火に油を注ぐこととなった。
「何を言っているんじゃ、この偽者大ちゃんめ! あなたにとっては一日でもね、わたしたちは一ヶ月くらい駆けずり回っていたのよ」
「待てよ。全然話が分からない。怒るなら、理由を説明してからにしてくれよ」
岬は両腕を組んで、忌々しげにふんと鼻を鳴らした。
「もっともだ!」
傍らでは若い武士と照さんがその様子を見ていた。
「殿、とにかくこっそり邸に戻りましょう。まずはゆっくりお休みください」
殿と呼ばれた若者の、彼女を見下ろす眼差しはとても優しい。
「照はこの日をずっと待っていたのです」
照は邸の方へ歩みを向けようとしてとどまり、振り返った。そして、若い武士のお腹をぽんと拳でこづいて、嬉しそうに、いたずらっぽく笑った。
そんなふたりを眺める大地に、岬が囁いた。
「ねえ、さすがにあの方が誰なのかわかるよね」
「どこかで見たような気はする。もの凄いイケメンだよね。あんな通った鼻筋に生まれたかった」
彼女はため息をついた。大地は歴史上の人物についてほんとに疎い。
「あきれた。彼が會津藩第九代藩主、松平容保公よ」
次回、第11話 照姫の秘密
6月15日(月)投稿予定




