第38話:餌としての救済
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前回までのあらすじ:香織を完全に「壊れた肉の器」へと突き落とした健太らは、冷酷な支配欲をさらに増大させ、陽菜には辻姉妹の拉致を、部下には北川の略奪を命じ、さらに抜け殻となった香織を餌に神田を傀儡化しようと目論むなど、アパートの深淵へ向けた非道な画策を加速させていく。
それでは、第38話をお楽しみください。
※本作は規約遵守のR15作品です。過激な描写にご注意ください。
アパート『シャン・ソレイユ』を囲む樹海に、二十九度目の陽光が差し込んでいた。それは昨日よりも一層重く、濁った熱気を伴っている。正確な日付を数える余裕さえ失った住人たちにとって、この澱んだ空気の重みこそが、無慈悲に過ぎ去った時間の証だった。
204号室。かつて若者たちの快活な笑い声が響いていたはずの一室は、今や沈黙と、拭い去れぬ劣等感が沈殿する牢獄と化している。
だが、神田英雄に与えられた「居場所」は、そのリビングにさえない。彼が寝食を許されているのは、窓もなく、水さえも出なくなった狭い洗面室と浴室だけだった。
カビ臭い湿り気がこびりついたクッションフロアに、神田は力なく座り込んでいた。
かつては「クール」と評され、大学でも女子学生の視線を集めたその横顔は、今や見る影もない。寝不足で落ち窪んだ眼窩、栄養不足でカサついた肌。暗い鏡に映る自分は、まるで生気を吸い尽くされた幽鬼のようだった。
脳裏には、あの夜の光景が呪いのように焼き付いて離れない。
田中健太たちに見せしめとして強要され、小野香織を「教材」として抱かされた屈辱。それは神田にとって、人生で最も惨めで、汚らわしく――そして、認めたくないほどに強烈な「快楽」の記憶だった。
「……っ、は、……ぁ……」
神田は、自身の身体が意思に反して熱を帯びていくことに、激しい吐き気を覚えた。
目を閉じれば、香織の白く柔らかな肌が吸い付くような感触、耳元で響いた狂おしい喘ぎ、そして鼻腔をくすぐった、安っぽい石鹸の香りと混じり合う剥き出しの体温が蘇る。
彼はその「残り香」を追いかけるようにして、暗い浴室の中で独り、自身の欲望を慰めることしかできなかった。自らの手が、あの夜に触れた肉体の起伏を模倣するたび、卑屈な興奮が全身の血管を駆け巡る。
(俺は最低だ……あんなひどいことをしたのに、それを使ってこんな……)
思考とは裏腹に、下半身の衝動は制御不能なまでに膨れ上がる。彼は冷たいタイルの壁に額を押し付け、香織の名を掠れた声で呼びながら、情けない放出を繰り返した。
「……何してるの、あんた」
凍りつくような声が、脱衣所の入り口から響いた。
神田が跳ねるように顔を上げると、そこには辻有美と亜美の姉妹が立っていた。
彼女たちは、神田が独りで何に耽っていたのかを、その乱れた衣服と、狭い空間に充満した独特の匂いから瞬時に察したようだった。二人の瞳には、軽蔑、嫌悪、汚物を見るかのような冷徹な光が宿っている。
「最低。こんな状況で、よくそんな……気持ち悪い」
姉の有美が、一切の感情を排した声で吐き捨てる。その一言は鋭い刃となって、神田の心臓を深く突き刺した。以前の彼なら何か言い返したかもしれない。だが、今の彼にはその資格も気力も残っていない。
「あ、いや、これは……」
言い訳を紡ごうとする唇が震える。だが、妹の亜美さえもが、鼻をつまんで露骨に顔を背けた。
「近寄らないで。その匂い、一階と同じ。腐ってるわ」
居たたまれなくなった神田は、震える手で服を整え、二人の視線から逃げるように部屋を飛び出した。背後で聞こえた「もうあいつ、戻ってこなくていいのに」という冷ややかな呟きが、彼の精神を支えていた最後の一線を粉々に砕いた。
冷たい廊下を抜け、一階へと降りる。
エントランス付近で行き場を失い立ち尽くす神田を、窓越しに観察している男がいた。田中健太である。
「よお、神田。そんなところで何してんだ?」
102号室のドアにもたれかかった健太が、不敵な笑みを浮かべていた。彼は、神田の顔色の悪さと、その奥に潜む飢餓感を一目で見抜いた。
「そんな辛気臭い顔すんなよ。お前、あの日のことが忘れられねえんだろ? 二階の女どもに冷たくされて、行き場を失くしたんだろ。……今な、俺の部屋には香織しかいねえんだ。横山も川瀬も、ちょっと用事で出かけててよ」
健太は一歩踏み出し、神田の耳元で囁く。
「なんなら……俺も外に出ていってやろうか? 二人きりで、ゆっくり『反省会』でもしろよ。好きにしていいぞ」
健太の言葉には、抗いがたい悪魔的な魔力があった。
自分を拒絶し、汚物のように扱う「清らかな」204号室。自分を汚濁の中へと招き入れる「腐った」102号室。
本能的な渇望が、わずかに残っていた理性を食い破った。神田は吸い寄せられるように、102号室の敷居を跨いだ。
カチャリ、と背後でドアが閉まる。
健太は約束通り、ニヤついた顔のまま外へと消えていった。
静まり返った室内。カーテンの隙間から差し込む光の中に、埃が舞っている。
部屋の奥、かつては会社員・木村保の憩いの場であったはずのフローリングの上で、小野香織がボロボロになり、糸の切れた人形のように横たわっていた。
「……香織さん!」
神田は慌てて駆け寄り、硬い床に倒れる彼女を抱き起こした。
だが、香織を抱き起こした瞬間、彼女の瞳に光が灯ることはなかった。彼女は神田を認識するよりも先に、その肉体が「条件反射」のように動き出したのだ。
香織は虚ろな瞳のまま、震える手で神田のベルトに手をかけた。あまりに手慣れた、そして絶望的なまでに効率的な動きで、神田の衣服を排除していく。
「あ……香織さん、待って、俺は……っ」
口では抵抗を試みながらも、神田の身体は、彼女の柔らかな指先が触れる熱を貪るように受け入れていた。
香織は神田の前に跪くと、彼の猛る昂ぶりを、慈しむように、あるいは義務を果たす装置のようにその柔らかな暗がりに受け入れた。湿り気を帯びた粘膜の刺激が、敏感な先端を執拗に追い回し、甘い深淵へと誘う。
経験の浅い神田にとって、壊れた彼女が身につけた熟練の「技術」は、脳の髄まで痺れさせる猛毒だった。
「っ、ああ……っ!」
刺激に仰け反り、冷たいフローリングを強く握りしめる。視界が白く点滅し、思考が快楽の波に塗り潰されていく。
すでに限界間際まで追い詰められていた神田は、彼女が自身を導き、その熱い抱擁の中へと迎え入れた瞬間、もはや理性を保つことはできなかった。
男たちに蹂躙され、応える力を失ったはずの彼女の器。しかし、神田にとってはそこはあまりにも刺激が強く、わずか数回の衝撃を重ねただけで、全ての衝動がせり上がってきた。
「っ、だめ、もう、っ、あああああぁっ!」
情けない声を上げながら、神田は彼女の最奥へと自身の証を叩きつけた。あまりにもあっけない、瞬きする間ほどの邂逅。
肉体が離れると、彼が放った熱い余韻がこぼれ落ち、フローリングを汚した。神田が情けなさに顔を赤らめていると、香織は表情を変えることなく、再び彼に寄り添った。溢れたものを慈しむように拭い去り、再び彼に活力を宿らせるための奉仕を始めたのだ。
壊れたはずの彼女から向けられる、歪なまでの献身。
やがて、彼女の熟練した刺激によって、神田の熱量は先ほどよりも力強く、その活力を取り戻していった。
香織は唇を離すと、今度は自ら仰向けに横たわり、誘うように肢体を広げた。
「……おいで?」
その声は空洞のように響いたが、神田には福音のように聞こえた。
神田は今度こそ満足させようと、彼女に覆い被さり、必死に腰を突き上げた。だが、それはかつて健太たちに笑われた、余裕のない、ただ力任せなだけの無様な動きだった。
すると、香織は神田の首に優しく腕を回し、彼の耳元で静かに囁いた。
「焦らないで……。全身動かさないで……。ただ、そこだけを、沈めて……」
それは、壊れたマドンナからの残酷で甘い指導だった。
神田は言われるがままに動きを止め、彼女の体温を肌で感じながら、ゆっくりと、深く、腰を揺らし始めた。
先ほどまでの拙い動きとは違う、粘着質で重厚な摩擦が、神田の脳を再び狂わせていく。香織の肉体は、彼の動きに合わせるように吸い付き、絡みつき、彼を深い依存の深淵へと引きずり込んでいった。
玄関の外。
田中健太はアパートの壁に背を預け、タバコの煙を吐き出しながら不敵な笑みを深く刻んでいた。ドアの向こうで繰り返される、神田が「こちら側」に完全に堕ちていく音。
(……いい具合に壊れたな。香織っていう『餌』さえあれば、あの神田も、喜んで俺たちの犬になる……)
小野香織という女性を、男を繋ぎ止めるための「道具」に変え、神田を「仲間」という名の共犯者に仕立て上げる。
健太の歪んだ企みは、一階の腐敗をさらに加速させ、アパート全体を逃げ場のない深淵へと引きずり込もうとしていた。
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