第3話:最初の対価
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前回までのあらすじ: 異世界転移したアパートで、悠が物資を無限増殖・収納できる「支配庫」の真価を確信する一方、階下では力を持つ住人が暫定的な支配体制を築き始める。
それでは、第2話をお楽しみください。
※本作は規約遵守のR15作品です。過激な描写にご注意ください。
アパート『シャン・ソレイユ』を囲む巨大な樹海に、二度目の夜明けが訪れた。
カーテンの隙間から差し込む日差しは、ただ部屋の温度を無情に上げ、住人たちの肉体から貴重な水分を奪っていくだけだ。
午前七時。朝日は残酷なまでに鮮やかに、断絶されたアパートの全貌を照らし出した。
昨日までは「悪い夢」だと自分を誤魔化せていた住人たちも、二度目の朝を迎えて、否応なしに突きつけられた現実を受け入れざるを得なかった。顔を洗う水もなく、昨夜の寝癖を直す余裕もない。文明から切り離されて二日目の朝、彼らの顔には一晩で数年分もの疲労が刻まれていた。
駐車場――昨夜までアスファルトだった場所は、今や剥き出しの土と尖った砂利が広がる異界の空き地だ。そこに、不安と寝不足に顔を歪めた全住人が集められていた。
中心に立って住人を睥睨しているのは、103号室の田中健太だ。
昨夜の宣言通り、彼はすでにこの「王国」の王にでもなったつもりでいる。その傍らには、202号室の横山達也と、204号室の川瀬涼太が、不気味な連帯感を漂わせて並んでいた。
「いいか、こんな異常事態だ。まずは互いのツラを確認する。一階から順に名乗れ。隠し事はなしだ」
田中の野太い声が、刺すような朝の空気の中に響く。住人たちは顔を見合わせ、やがて諦めたように口を開き始めた。
「101号室、金井智哉です。……妻の綾香と、義妹の舞香。あの、警察や救助はいつ来るんでしょうか」
公務員の智哉は震える手で眼鏡を直し、困惑を隠せない様子で答えた。その背後、智哉の腕を強く掴んで離さない綾香は、恐怖で血の気の引いた顔をしていた。昨夜の冷気に晒されたのか、薄いパジャマの上からでも彼女の豊かな胸の起伏が激しく上下しているのが見て取れる。その隣に立つ舞香はまだ幼さを残しており、姉の影に隠れて健太の視線から逃れるように俯いていた。
「102、木村保だ。……おい、スマホも繋がらんし一体どうなってるんだ」
不満げに毒づいた木村は、中年の不規則な生活が祟ったのか、血走った目で周囲を威嚇するように見回している。
その隣では、104号室の五十嵐咲希が「高校生です……一人です」と、消え入るような声で答えた。彼女の細い肩が、健太の舐めるような視線に晒され、小さく跳ねる。
「103、俺が田中健太だ。で、こっちが嫁の美咲。……ほら、見てくれよ。この抱っこされてるのが俺の自慢の息子、大愛だ!」
健太は、憔悴して大愛を抱く美咲の肩を、見せしめのように強引に引き寄せた。美咲は乱れた髪を直す余裕もなく、ただ子供を落とさないよう必死に抱きかかえている。その白く細い指先は、絶望的なまでに震えていた。
二階の住人たちも、促されるように口を開く。
「202号室の世帯主、小野香織よ。こっちは……まあ、居候。今は私の部屋に置かせてあげてる横山」
派手な巻き髪を崩したままの香織は、不機嫌を隠さず吐き捨てた。隣に立つ横山は彼女のヒモらしく、健太の顔色を窺いながら、香織の腰に馴れ馴れしく手を回している。
「203号室、北川結衣。……今はパニックになっても仕方がないわ。落ち着いて、協力できることを話し合いましょう」
キャリアウーマン風のタイトなルームウェアに身を包んだ結衣は、この状況でも冷静だった。凛とした瞳で健太を見据えるが、その整った顔立ちには隠しきれない疲労の色が滲んでいる。
「204号室、辻有美です。こっちは妹の亜美」
しっかり者そうな姉の有美が妹を庇うように前に出る。その背後から、少し派手めな服装の少女が顔を出した。
「あ、同じく204に遊びに来てた石堂陽菜です! よろしくね。で、こっちの二人は私の彼氏の川瀬くんと、友達の神田英雄くん。有美たちとは昨日初めて会わせたんだけど、こんなことになっちゃって」
陽菜が申し訳なさそうに紹介するが、健太の取り巻きになった川瀬はニヤつくだけ。一方、神田という男は完全に外界を拒絶するように地面を睨みつけ、一言も発さなかった。
最後に、悠の番が回ってきた。
「201、佐藤悠」
短く、無機質に。
健太は「……ふん」と鼻で笑い、悠のガタイの良さを値踏みするように眺めた。
「さて、全員のツラは覚えた。まあ、当面は各々勝手にやるこったな。自分のケツは自分で拭け」
「……待ってください。水や食料はどうするんですか。昨日の夜から、水道は一滴も出ないんですよ」
智哉の必死の問いに、健太は面倒そうに肩をすくめた。
「そんなもん、自分の部屋に余ってるだろ。俺ん家にだってあるぞ。なんとかなるだろ。解散だ。
……俺はちょっと外を回ってくるぞ」
健太は優越感に浸りながらアパートの裏手へと消えていった。
◆
「……ママ、おみじゅ。のど、いたいよ」
103号室。リビングの床に力なく座り込んだ三歳の息子、大愛が、掠れた声で美咲を呼んだ。
三歳の男の子らしい元気な足音は消え、土気色の顔をした大愛は、母親のパジャマの裾を力なく握りしめている。その小さな唇は白くひび割れ、目からは涙を流す水分さえ失われていた。
「ごめんね、大愛。もうすぐ、もうすぐパパがなんとかしてくれるから……」
二十歳の若き母親、田中美咲は、震える手で息子を抱き寄せた。
その時、彼女の掌から淡い、陽炎のような光が漏れ出し、大愛の身体を包み込んだ。
――スキル『自愛の微光』。
本来は自分を癒やすためのその力は、極限状態の母性によって、無意識のうちに息子へと分け与えられていた。その光が大愛の乾き切った細胞を僅かに繋ぎ止めている。だが、それも「水」という物理的な対価がなければ、ただ苦痛を先延ばしにするだけの残酷な延命でしかなかった。
部屋の冷蔵庫を開けても、そこには冷気すら失われた空っぽの空間が広がっているだけだ。今日は買い出しの日だった。備蓄など何もない。
健太が「ある」と言い張ったのは、彼が昨夜ガブ飲みし、残ったわずかな端切れのペットボトルだけ。それも今、大愛にすべて飲ませて消えた。
(健太さんは、あてにしちゃダメだ。自慢の息子なんて言いながら、この子が死にかけてるのも気づかないで……)
美咲は震える手で乱れた身なりを整えた。胸元のボタンが一つ外れていることにも気づかず、大愛を寝かしつけて静かに玄関を出た。
鉄製の階段を一段上るごとに、道徳やプライドが足元へ剥がれ落ちていく感覚に襲われる。
201号室の前。美咲は祈るようにドアを叩いた。
「……あの。佐藤さん……いらっしゃいますか?」
数秒の沈黙の後、ジャラリと重々しい金属音が響き、ドアチェーンがかかったままの扉が数センチだけ開いた。
「……何の用だ」
チェーンの隙間から覗く悠の瞳は、感情を削ぎ落としたように低い。
「お願いです……助けてください。大愛は、息子は……もう一滴も水がないんです。主人は、あんな調子で……!」
美咲は脂汗を浮かべ、はだけかかったブラウスから覗く白い鎖骨を無防備に晒しながら、消え入るような声で縋り付いた。
「佐藤さん。あなた……持ってますよね? 配送のお仕事をされているから、お水もいつも箱買いしてるの、部屋から見えていたんです。お願い、誰にも言いません。絶対に。だから……!」
美咲は震える手で財布を取り出し、数枚の紙幣をチェーンの隙間から押し付けた。
「お金なら払います! これで足りなければ、もっと……いくらでも! だから、お水を……!」
悠は差し出された紙幣を一瞥し、冷たく鼻で笑った。
「金か。……そんなのゴミだ」
「そんな……っ! でも、これしかないんです……!」
価値観が崩壊した現実を突きつけられ、美咲の心は音を立てて折れた。
「……なんでもします。お金がダメなら、私、なんでもしますから! 言うこと、なんでも聞きます。だから、お願いします……っ!」
膝をつき、廊下の冷たい床に額を擦り付ける人妻。悠は、その無残な姿を冷淡に観察していた。はだけた襟元から覗く豊かな曲線が、恐怖と期待で激しく上下している。
「……なんでも、と言ったな」
一度ドアが閉まりチャキン、とチェーンが外される音が、静かな廊下に響き渡った。
ドアが大きく開け放たれる。その奥のテーブルには、キンと冷え、表面に結露を浮かべた未開封の天然水のペットボトルが置かれていた。
美咲の喉が、ゴクリと鳴る。
「入りな。……『対価』は、お前自身で払ってもらうぞ」
「……はい。……ありがとうございます……っ」
美咲は生贄のように頭を垂れ、その暗い部屋の中へと吸い込まれていった。
ガチャリと、背後で鍵が閉まる音がした。それは、彼女が守ってきた日常との、最後の決別音だった。
リビングのソファに深く腰を下ろした悠の目の前には、先ほど見たペットボトルが鎮座している。結露した水滴が、一滴、また一滴とテーブルの表面を滑り落ちていく。その透明な輝きは、今の美咲にとってどんな宝石よりも官能的に映った。
ふと、射抜くような視線を感じて、美咲は自分の姿を振り返る。
乱れた髪、汗で肌に張り付いたブラウス。そして、大愛を寝かしつけた時に外れたままのボタンの隙間から、白い胸元の曲線が無防備に晒されている。
「……さて。まずは『対価』を貰おうか」
悠はソファに踏ん反り返ったまま、それ以上は何も言わなかった。
ただ、品定めをするような無機質な目が、美咲に自発的な行動を強要している。ここで「無価値」と判断されれば、息子を救う道は二度と開かれない。
美咲は脂汗を浮かべ、覚悟を決めたように震える指先を自分のブラウスにかけた。
ひとつ、またひとつ。ボタンを外すたびに、良妻賢母としての自尊心が床に剥がれ落ちていく。やがてブラウスが滑り落ち、さらにスカートも脱ぎ捨てて、彼女は薄暗いリビングの中で下着姿になった。
恐怖と羞恥に震える肩。冷房の切れた室内だというのに、彼女の肌は粟立っている。それでも彼女は、悠の視線から逃げなかった。
美咲は膝をついたまま悠の股間へと這い寄り、震える手で彼のベルトに手を掛けた。金属音が虚しく響く中、ズボンを押し下げ、下着も剥ぎ取る。
目の前に現れた男の凶暴な熱源。美咲はそれを白く細い手で握り、生存への渇望をぶつけるように、未熟ながらも必死に刺激を繰り返した。
やがてそれは猛々しく昂り、跪く美咲の顔に威圧的な影を落とす。
美咲は縋り目の瞳で一度だけ悠を見上げると、自ら口唇を割り、それを深く、喉の奥まで受け入れた。
「……っ、ん、んぐぅ……っ!」
激しい嘔吐感を生存本能でねじ伏せ、必死に頭を振る。
鼻腔を突く独特の雄の匂いと、口腔を蹂躙する圧倒的な異物感。悠の手が美咲の髪を掴み、さらに深くへと容赦なく押し込む。
母親としての理性が、濁流のような背徳感に呑み込まれていく。
一階では夫が虚勢を張っている。そのすぐ上で、自分は息子を救うために、見知らぬ男の欲望に文字通り「首」まで浸かっている。その異常な状況が、彼女の脳を白く焼き切っていく。
やがて激しく込み上げた熱。美咲は逃げることなく、一滴残らずその喉の奥で受け止め、飲み干した。
喉を通るドロリとした熱い感触。それが、彼女が支払った「最初の対価」の味だった。
口元に白い痕跡を残したまま、浅い呼吸を繰り返しながら悠を見上げる美咲。その瞳は、もはや単なる「助けを求める隣人」のものではなく、飼い主に命を委ねた雌のそれに近かった。
「……期待以上だ。あの男にはもったいない女だな」
悠は冷淡な満足感を浮かべ、彼女の顎を指先でなぞった。
◆
それから数分もしないうちに、美咲は乱れた服を急いで整えていた。
悠は一度、リビングの奥にある台所へと向かった。美咲から死角になる位置で、彼は『支配庫』から食料と、新たな飲料水のボトルを取り出す。
取り出したのは、ペットボトル1本と、栄養食の数々。
それを悠がテーブルに無造作に置くと、美咲の瞳に、救いを見出したような歓喜の色が宿った。彼女は重いボトルを、奪うように、そして愛おしむように抱きしめた。
「それを使い切ったら、また子供が喉を鳴らすだろうな」
悠は、帰ろうとする美咲の背中に向かって、突き放すように言った。
また来い、とは口にしない。だが、その言葉の意味を、美咲が理解できないはずもなかった。
彼女が手に入れたこの水も、数日で消える。そうすれば、再び大愛の唇は乾き、美咲は地獄の淵に立たされるのだ。
「……はい。……分かって、います」
美咲は振り返り、深々と頭を下げた。
その瞳には、羞恥を塗りつぶすほどの、どろりとした依存の色が混じっている。
悠に命令されたからではない。彼女自身が、この「取引」なしでは生きていけないことを、その身体が理解してしまったのだ。
「……また、来させていただきます」
美咲が逃げるように103号室へと戻っていく。
その背中を見送りながら、悠は窓の外を眺めた。
階下では、田中健太が「俺がなんとかしてやる! 皆、俺を信じろ!」と、空っぽのペットボトルを振り回して、無知な住人たちを相手に虚勢を張り続けている。
そのすぐ真上の部屋で、最愛の妻が「命の水」のために、自分以外の男のモノを咥えていることなど、夢にも思わずに。
アパートという名の巨大な檻の中で、最初の歯車が決定的に狂い始めた。
(……自分の意志で堕ちる女はいい顔をするな)
悠は、手元に新しく「複製」した冷たい水を一口飲み、静かに唇を歪めた。
スマホの画面は依然として「圏外」を表示し続け、昨日まで当たり前だった文明の恩恵は、砂上の楼閣のように崩れ去っている
階下から響く、幼い男の子の掠れた嗚咽。
廊下を彷徨い、壁を叩いて水を乞う住人たちの狂気。
「……いい感じに壊れてきたな」
佐藤は冷たく呟いた。
彼は「水」一つで、このアパートに住むすべての人間の生死と尊厳を握っている。
先に階下の美咲が、絶望に駆られた夫に背を押されてやってきた。
次は101号室の「完璧な妻」金井綾香か。
彼女がいつ家族のために、そのプライドを捨てて俺の部屋を叩くか。
佐藤は冷たく笑い、手元の水を最後の一滴までゆっくりと飲み干した。
アパートの壁一枚を隔てた向こう側では、死の気配と、甘美な隷属の予感が加速していた。
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