第23話:陽だまりの終わり
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前回までのあらすじ:欲望に溺れ香織との情事を夢想しながら深追いした木村が、血の匂いに誘われた未知の捕食獣に急襲されて惨殺され、一階の貴重な資源供給源が誰にも知られぬまま喪失する。
それでは、第23話をお楽しみください。
※本作は規約遵守のR15作品です。過激な描写にご注意ください。
アパート『シャン・ソレイユ』を囲む樹海に、十七度目の陽光が穏やかに差し込んでいた。
窓の外に広がる森は、昨日までと変わらぬ静寂を保っている。風に揺れる木々のざわめきも、湿った土の匂いも、すべてがいつも通りの風景としてそこにあるだけだった。住人たちの関心は、今日も「いかに食料を確保するか」という一点にのみ向けられており、102号室の木村保が姿を見せないことも、今のところは取るに足らない些細な出来事に過ぎなかった。
103号室。そこには、この異界にあってなお、場違いなほど瑞々しい生命力が溢れていた。
「パパ、お外行ける? お外走りたい!」
田中大愛が、弾んだ声で部屋を駆け回る。一時は衰弱していた大愛だったが、母・美咲が自らの身体を対価として佐藤悠から得た十分な食料と水により、以前よりも血色が良いくらいだった。
「よしっ! 大愛。一緒に外出るか!」
田中健太は、久しぶりに父親らしい笑顔を見せた。食料の備蓄を増やしたい健太は、この隙に横山達也、川瀬涼太と共に森の探索へ向かうことを決めていた。新たな水源や食料さえ見つければ、このアパートのすべてを支配できる。そうなれば、あの高飛車な課長の女も、生意気な女子大生も、すべて俺のモノだ――。そんな浅ましい野心が、彼の背中を力強く押していた。
健太たちが森へと消えてから、美咲は大愛を連れてアパート前の広場へと降りた。
大愛は、閉じ込められていた反動を爆発させるように、冬の枯れ芝の上を無邪気に走り回る。水も食料も心配しなくていい美咲は、心から安堵して息子と一緒に外を走り、部屋にあったシャボン玉をそっと吹いた。虹色の球体が、異界の歪な光を反射して宙に舞う。
「わあ、きれい! ママ、もっと!」
子供の弾んだ声は平和の象徴であり、アパートで繰り広げられている醜い争いなど忘れさせる力があった。
窓からは、104号室の五十嵐咲希や、203号室の北川結衣、そして辻姉妹たちがその楽しそうな光景を眺め、束の間の平和に和んでいた。特に結衣は、その声に誘われるように窓辺に立ち、微かに目を細めてその光景を見守っていた。101号室では、一人残された金井智哉も、久しぶりにカーテンを開けて窓から光を入れ、その光景をそっと見守っていた。
しかし、その平和は唐突に、そして最も残酷な形で崩れ去った。
「逃げろ! 来るな、来るんじゃねえ!!」
森の奥から、聞き慣れた怒声が響く。健太、横山、川瀬の三人が、血相を変えてアパートへと猛ダッシュで戻ってきたのだ。その後ろには、数頭の巨大な狼が牙を剥き、猛烈な勢いで追随していた。
探索中に狼の群れに遭遇した彼らは、パニックに陥り、自分たちが「何を」アパートに引き連れてきているのかを考える余裕すら失っていた。
「健太!? だめ、大愛が、大愛がそこに!!」
近くで見守っていた美咲が叫んだ時には、すべてが遅すぎた。
逃げ惑う健太たちが視界に入った瞬間、追ってきた狼の一頭が大愛に狙いを定めた。
「だいあぁぁぁ!!」
美咲が駆け寄る。その瞬間、アパートの扉を蹴り開けて佐藤悠が飛び出してきた。佐藤は手に持っていた強力な熊撃退スプレーを狼に吹き掛け、狼を退散させた。
しかし、狼の牙は大愛の細い首筋に深く突き刺さっていた。
撃退された狼たちが森へと逃げ去る中、広場には美咲の絶叫だけが残された。
美咲の腕の中で、大愛の身体から急速に力が抜けていく。
「だいあ……嘘でしょ? 目を開けて、だいあ!」
その時、美咲の腕に抱かれた大愛の身体から、パッと強い光が発せられた。美咲のスキル『自愛の微光』が、最愛の息子の死という現実を拒絶し、母の情念に呼応して暴走したかのような激しい輝きだった。しかし、その光が収まっても、大愛の傷が塞がることも、瞳に生気が戻ることもなかった。奇跡は何一つ起きず、ただ眩いだけの光は虚しく霧散した。大愛は、美咲の腕の中で静かに息絶えていた。
「……おい、何だよこれ。外にいるなんて知らなかったんだよ」
息を切らした横山が、責任逃れの言葉を吐く。川瀬も「運が悪かったっすね」と顔を逸らした。
だが、健太は違った。
彼は大愛の亡骸の前に膝をつき、震える手でその頬に触れた。自分の野心のために引き連れてきた死神が、最も愛し、元気に走り回っていたはずの息子を奪ったのだ。
「だいあ……だいあ……ごめん、パパが……パパが悪かった……」
力至上主義を掲げ、暴力でアパートを支配しようとしていた男の虚栄心は、息子の冷たい肌に触れた瞬間に崩れ去った。田中健太は、ただの「息子を失った無力な父親」として、泥にまみれて号泣した。
窓から見ていた住人たちは、一様にカーテンを閉じた。
平和の象徴は、この瞬間に永遠に失われ、アパートには再び、以前よりもさらに深い絶望が沈殿し始めた。
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