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春の風とレースの裾



第八章 春の風とレースの裾


1 決意の朝


 翌週の休日。

 カーテンの隙間から、春の光が差し込んでいた。

 机の上には、先日買ったロングスカート。

 グレーの生地に繊細なレースが縁取られ、光の角度でかすかに表情を変える。


 今日は沙月と出かける約束だ。

 「そのスカートで来てね」と言われたまま、ずっと返事をしていなかった。

 けれど今朝、目覚めたとき――不思議とその言葉が自然に思えた。


 インナーを身につけ、髪を梳かし、髪留めを整える。

 先日の美容院で整えられた髪はまだ短いが、指先に触れるとやわらかい。

 そして、クローゼットの扉を開け、意を決してスカートを取り出した。


 足を通す。

 ストッキングの上をすべる生地の冷たさが、ゆっくりと温もりに変わる。

 ウエストのリボンを結ぶと、ほんの少し緊張した。

 布の層が脚の動きを包み、軽い風をまとったように広がる。


 「……行ける、かな」

 鏡の中の自分に問いかける。

 昨日までの“中性的”な装いとは違う。

 どこから見ても、もう“女の子”の姿だった。



---


2 待ち合わせの駅前


 駅前の広場。

 人混みの中で立ち止まると、風がスカートの裾を撫でた。

 レースの縁がふわりと揺れ、足元に影を落とす。

 その揺れ方が、自分の心の鼓動と不思議に重なる。


 「おまたせ」

 沙月が駆け寄ってきた。

 春色のブラウスにカーディガンを羽織り、淡いピンクのトートを肩にかけている。

 「わぁ……本当に履いてきたんだ」

 その笑顔に、思わず視線を逸らす。


 「似合ってるよ。すごく」

 「……うるさい」

 「恥ずかしがると余計かわいいって言われるよ?」

 「誰に……」

 「わたしに、かな」


 軽く笑う沙月に、心の奥がほんのり熱くなる。



---


3 歩くということ


 モールの通路を並んで歩く。

 スカートの裾が一歩ごとに揺れて、ふくらはぎのあたりをくすぐる。

 ローヒールの靴底が床に触れる音が、以前より静かに響く。


 最初のうちは、歩きづらかった。

 足を少し前に出すだけで布が流れ、重心が揺れる。

 けれど数分も歩くうちに、その動きが不思議と“自然”になっていった。


 「ねえ、ほら」

 沙月がウインドウを指差す。

 春物のワンピースが並んでいる。

 「こういうのも、きっと似合うようになるよ」

 「……早いって」

 「ううん、もう半分は出来てる」


 その言葉に、思わずスカートの裾をつまんだ。

 レースの感触が指先をくすぐる。

 少し歩幅を狭めて、風に合わせて歩く。

 まるで服が、歩き方を教えてくれるようだった。



---


4 喫茶店でのひととき


 ショッピングのあと、二人はモールの奥の喫茶店に入った。

 窓際の席に座ると、陽の光がテーブルの上でスカートのレースを照らした。

 「本当に、自然になってきたね」

 「……そんなに見ないでよ」

 「だって、最初のころとは全然違うもの」


 カップを持つ手元にも、変化がある。

 指先をそっと揃え、自然と手首を傾けていた。

 動作が静かで、丁寧で――

 それは彼女の仕草を無意識に真似していたのかもしれない。


 「なんか、ちょっとだけ……楽しいかも」

 ぽつりとこぼすと、沙月が微笑んだ。

 「ね、最初は“イヤイヤ”でも、続けていくうちに変わるんだよ」



---


5 夕暮れの風


 帰り道。

 夕日が駅前の歩道をオレンジに染めていた。

 スカートの裾が、風をはらんで柔らかく揺れる。

 歩くたび、光がレースの縁を滑り、淡く反射した。


 「もう、スカートも悪くないでしょ?」

 「……まあ、ちょっとだけ」

 「その“ちょっと”が大事なの」

 沙月は笑いながら、僕の髪にそっと手を伸ばす。

 髪留めが、夕陽を受けてきらりと光った。


 ――あの日の不安が、少しずつほどけていく。

 スカートの裾が風を受けて、まるで背中を押すように揺れた。



---


第八章 春の風とレースの裾 完




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