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女の子レッスン


1 相変わらずのレッスン


 大学が始まって一週間。

 授業のリズムにも少し慣れてきたころ、僕はまた沙月の部屋の前に立っていた。


 「今日も来てくれたね」

 「……来たくて来たわけじゃない」

 「はいはい、わかってる。でも約束したでしょ?」


 玄関をくぐると、すぐに柔らかな香りが鼻をくすぐる。

 甘すぎない花の香水と、洗い立ての布の匂い。

 その空間に入るだけで、男だった頃の自分が少し遠くなる気がした。


 「今日のテーマは“柔らかさ”ね」

 沙月が笑いながら、ベージュのカーディガンと、クリーム色のスカートを差し出した。

 「前より優しい色の方が似合うと思うんだ」


 「……やっぱり今日もスカート?」

 「うん。当たり前でしょ?」


 まただ、と心の中でため息をつく。

 この一週間で“女の子レッスン”はもう三回目。

 そのたびに僕は、イヤイヤながらも着替えて、鏡の前に立たされてきた。



---


2 今日の服


 スカートはミモレ丈。

 裾には控えめなレースがあしらわれ、光を受けるとほんのり透ける。

 ブラウスは淡いピンクで、襟元には小さなリボン。

 ボタンのひとつひとつが真珠のように光っていた。


 「着替え、あっちね。カーテン閉めていいよ」

 「……慣れたくないのに、慣れてきた気がする」

 「それでいいの。自分を知るのも大事な勉強だよ」


 渋々、脱衣所に入る。

 シャツを脱ぐと、肌に密着したブラジャーがほんの少し冷たく感じた。

 キャミソールの肩紐を整え、ブラウスの袖に腕を通す。

 シフォンの布が指先を包み、背筋をなぞるように滑っていく。


 ――やっぱり軽い。男物の服とは違う。


 スカートを履くと、ふわりと裾が広がる。

 歩くと空気を含み、膝にそっと触れる感覚が心地いい。

 けれど、鏡の前に立つと――また、違和感が浮かぶ。


 上半身は柔らかく仕上がっているのに、

 その上にあるのは短く整えられた髪。

 耳が完全に見えるショートカット。

 襟元のリボンとどうにも調和しない。



---


3 鏡の中の違和感


 「……なんか、変だ」

 思わず口から漏れた言葉に、沙月が首をかしげる。


 「どこが?」

 「髪。なんか、似合ってない気がする」

 「ふうん」


 沙月は僕の後ろに回って、鏡越しにじっと見つめた。

 彼女の指が僕の髪に触れる。

 さらさらと撫でるように毛先をすくうと、短い髪が軽く跳ねた。


 「確かに、ちょっと固い印象かもね」

 「でしょ? なんか、この服と全然合わない」

 「……伸ばしてみたら?」

 「えっ」


 沙月の言葉に、思わず振り返った。


 「だって、髪が長いと印象が全然違うよ。女の子らしくもできるし、自然にもできる」

 「でも、時間かかるし……」

「焦らなくていいよ。ちょっとずつ、少しずつ」


 そう言って、彼女は僕の前髪を指で摘んだ。

 「これだけでも長くなれば、表情変わると思うよ」


 鏡越しに見える自分の顔。

 服は完璧に整っているのに、髪型だけが“元の僕”を主張している。

 ――そこが、きっと一番の違和感なのかもしれない。



---


4 抵抗と小さな動揺


 「髪を伸ばすって……簡単に言うけどさ」

 「なに?」

 「なんか、本当に女みたいになっちゃう気がして」

 「もう、十分そう見えてるけど?」

 「……からかうなよ」


 沙月は笑いながらも、真剣な眼差しで言った。

 「無理にじゃなくていいんだよ。少しずつ、自分で“これならいいかな”って思えるところから変えていけば」


 “自分で選ぶ”――その言葉に、少しだけ救われた気がした。

 これまでの服も、彼女に言われて着ていた。

 でも、髪なら自分の意志で決められる。


 「……考えてみる」

 「うん、それで十分」


 彼女の声は、いつもより柔らかかった。



---


5 帰り道


 その日のレッスンを終えて、僕はまた男物の服に着替えた。

 鏡を見ると、さっきまでの柔らかい印象が一瞬で消える。

 少しほっとする一方で、物足りなさもあった。


 駅までの道、春風が頬を撫でる。

 風に乗って、沙月の部屋で使ったヘアオイルの香りがふと蘇る。

 ――もし髪を伸ばしたら、あんな香りが自分からするようになるのだろうか。


 そんなことを考えている自分に、思わず苦笑した。

 “なに考えてんだ、俺”と心の中で呟く。


 だけど、家に着いて鏡の前に立つと、やはり気になってしまう。

 前髪が短すぎる。耳のあたりが妙にすっきりしすぎている。

 ブラウスのリボンと、スカートの柔らかさを思い出すたび、

 そのアンバランスさが気になって仕方なかった。



---


6 夜の決心


 ベッドに寝転び、天井を見つめる。

 “髪を伸ばす”――ただそれだけのことなのに、

 なぜか心の奥で何かがざわめいていた。


 「伸ばしてみようかな……」


 小さく呟いた声が、部屋の静けさに吸い込まれていく。

 決意というより、半ば投げやりな言葉。

 でも、その一言が少しだけ胸を軽くした。


 明日、鏡を見るとき。

 少しでも“昨日より自然に見える自分”になっていたらいい。


 そんな願いを抱きながら、

 僕はゆっくりと目を閉じた。



---


第三章 完


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