小さな髪飾り
第四章 小さな髪飾り
1 予期せぬ誘い
週末の午後、沙月から突然のメッセージが届いた。
>「今日、ちょっと時間ある?」
“またレッスンかな”と思いながら返信すると、すぐに返ってくる。
>「いいから来て。駅前集合ね」
嫌な予感しかしなかった。
けれど、断り切れないのが彼女の恐ろしいところだ。
指定された時間に駅前へ行くと、彼女はすでに待っていた。
「遅い」
「まだ時間前だろ」
「そういう問題じゃないの」
にっこりと笑いながら、彼女は僕の腕を掴んだ。
「行こ。もう予約してあるから」
「……どこに?」
「美容院」
「は!?」
抵抗する間もなく、彼女に引きずられるようにして歩き出す。
人通りの多い駅前で目立つのが恥ずかしくて、声を上げられなかった。
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2 鏡の前の緊張
連れてこられたのは、洒落た外観の小さな美容院だった。
白と木目を基調とした店内には、柔らかい照明とシャンプーの香りが漂う。
奥から現れた女性の美容師が、にこやかに頭を下げた。
「こんにちは~。今日はカットでよろしいですか?」
「はい、この子をお願いします」
「えっ、ちょ、ちょっと待って!」
沙月の言葉に被せるように慌てるが、完全に無視された。
「どういう感じにします?」
「うーん、ショートなんだけど、もう少し柔らかい印象にしたくて」
「なるほど。動きが出る感じですね?」
「はい、それでお願いします」
“この子”とか“お願いします”とか――僕は客じゃないのか。
鏡越しに見える自分の顔は、緊張で強張っていた。
美容師が櫛を通すたび、短い髪が少しずつ形を変えていく。
耳の周りに残された髪が、指先に触れるたびにくすぐったい。
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3 仕上がり
「はい、できました」
美容師が鏡を回し、後ろ姿を見せる。
短いのは変わらないけれど、前髪が少し長く流されて、
全体に丸みのあるシルエットになっていた。
軽やかで、柔らかい。
どこか、“中性的”から“女性的”に傾いた印象。
「どう?」
「……別に」
「顔、赤いよ?」
「暑いだけだって」
鏡を見つめながら、なんとも言えない気分だった。
見慣れない。だけど、嫌じゃない。
それがいちばん厄介だった。
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4 風の中の違和感
店を出ると、夕方の風が髪をなでた。
短い髪がふわりと揺れ、頬に軽く触れる。
たった数センチの違いなのに、世界の感触が変わった気がした。
「すごく似合ってる」
「……どうだか」
「本当に、優しい感じになったよ」
沙月はそう言って、どこか満足そうに笑う。
その笑顔に、少しだけ救われた。
でも同時に、何かを失ったような気もした。
“元の自分”の断片が、ハサミの音とともに消えていったような――。
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5 小さな贈り物
帰り道、商店街を抜けたところで沙月が立ち止まった。
「ちょっと寄り道」
「もう、十分だろ……」
「いいから」
入ったのは、アクセサリー雑貨の店だった。
店内には、カラフルな髪留めやシュシュが並んでいる。
光を受けてキラキラと輝く小物たちは、僕にはまぶしすぎた。
「これ」
沙月が小さな棚から、淡いラベンダー色の髪留めを手に取った。
丸い花びらを模したレースの飾りに、中央でリボンが交差している。
どこか上品で、主張しすぎない。
「はい、これプレゼント」
「えっ、なんで?」
「今日、よく頑張ったから」
小さな包みを渡され、僕は言葉を失った。
手のひらの上のそれは、まるで自分には不釣り合いなものに見えた。
「……使わないかも」
「いいの。持ってて」
「どうして?」
「似合うと思ったから」
その一言が、やけに胸に残った。
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6 夜、包みを開く
帰宅して、机の上に置いたまま何度も眺めた。
小さな紙袋の中で、淡い光が揺れる。
指でリボンをほどくと、レースの花が柔らかく広がった。
手触りは驚くほど繊細で、少し触れるだけで空気を含むように軽い。
鏡の前に立って、試しに髪に当ててみる。
……思っていたほど悪くなかった。
けれど、それを自分の髪に差す勇気は、まだなかった。
そっと髪留めを外し、箱に戻す。
「また、いつか」――そう呟いて、明かりを落とした。
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7 心に残る光
寝る前、枕元に置いた小箱をもう一度見た。
ほんの少しの光を受けて、リボンが微かに輝く。
それが、今日一日の出来事を静かに語っているようだった。
――この小さな飾りを使う日は、いつ来るのだろう。
心のどこかで、早くその日を迎えたいと思ってしまった。
そんな自分に戸惑いながらも、
僕はその気持ちを、まだ誰にも言えなかった。
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第四章 小さな髪飾り 完




