表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/30

“優”という名前



第26章 “優”という名前


 休日明けの午後、ブティックの店内には春の新作が並んでいた。

 ショーウィンドウ越しに差し込む光が、シフォンの生地を透かし、

 レースの模様が床に影を落とす。


 今日の俺――いや、“優”の服装は、

 淡いベージュのブラウスに、

 胸元へ向かって細く流れるリボンタイがひとつ。

 袖口にはレースが縁取られ、動くたびに手首の肌を柔らかく包んだ。

 下はネイビーのプリーツスカート。

 軽く風を含む素材で、足元を通る空気が心地よい。

 スカートの内側では、ストッキングがわずかに張りついて、

 その温度差がくすぐったいように感じられる。


 ――こうして立っていると、まるで本当に女の子みたいだ。

 けれど、俺は“男”のはずだ。


 ブティックの仕事を始めてから数週間。

 お客さんや同僚からは完全に“女性のスタッフ”として扱われている。

 それはつまり、“元男”だとは誰も気づいていないということ。

 俺はこの職場では「ゆう」と名乗っていた。


 採用面接のとき、

 履歴書に「山下優斗」と書きかけて、

 ペンを止めた。

 思わず「優」だけを残してしまったのだ。

 それが不思議と店長にも違和感を持たれず、

 今では名札にも“優”とだけ印字されている。


 けれど、誰もまだその名前で俺を呼んだことはなかった。

 「あなた」や「すみません」といった曖昧な呼び方ばかり。

 そのたびに、心の奥で小さく安堵しながらも、

 名乗った“優”という名前が、空白のまま浮かんでいるようで落ち着かなかった。



---


 バイト終わり、制服代わりのブラウスのボタンを留め直しながら、

 いつものように沙月に連絡を入れた。


『終わったよ。今から帰る』

『おつかれ。例のバイト、どう?』

『なんとかバレずにやってる』

『ふーん、どんな名前で通してんの?』


 指が止まった。

 ……言わなくてもいいこと、だったのに。

 つい、勢いで返信を打ってしまう。


『“優”って名乗ってる』


 送信ボタンを押した瞬間、心臓が跳ねた。

 そして、すぐに既読がつく。


『へぇ、“優”って呼ばれてるんだ? 似合うじゃん♡』


 沙月の返信には、小さな絵文字が添えられていた。

 その軽さが、かえって胸に刺さる。


『まだ誰にも呼ばれてないけどな』

『じゃあ私が最初に呼んであげようか? 優、って』


 思わずスマホを握りしめる。

 電車の中、周囲のざわめきが急に遠のいた気がした。


 “優”――その二文字が、沙月の指先を通して、

 俺の中に確かに届いてきた。



---


 帰宅して鏡の前に立つ。

 今日のブラウスは、襟元のリボンを緩めるとふわりと肩に落ちる。

 レースの縁が光に透け、白い肌と馴染んで見える。

 その布の柔らかさを指でなぞりながら、

 ふと、自分が本当に“優”という名前に近づいている気がした。


 優斗という音の中には、まだどこか「男らしさ」が残っていた。

 でも、“優”にはそれがない。

 滑らかで、丸くて、少し曖昧で。

 まるで今の俺みたいだ。


 スマホが震える。

 沙月からのメッセージ。


『優、明日もレッスンだからね。かわいくしてきてよ♡』


 名前を呼ばれるたびに、くすぐったいような、

 少し怖いような気持ちになる。

 けれど、その響きが嫌ではなかった。

 むしろ、心のどこかが、ようやく自分を受け入れはじめているような気がした。



---


服装の詳細描写


トップス:ベージュのリボンタイ付きブラウス(薄手のサテン地、袖口に繊細なレース)。


ボトムス:ネイビーのプリーツスカート(軽い生地で歩くたびふわりと揺れる)。


インナー:柔らかなコットンキャミソール(通気性がよく、滑らかに肌に馴染む)。


アクセサリー:シルバーのヘアクリップ(髪を留めるたび、微かに光を反射)。


靴:グレージュのローヒールパンプス(クッション入りで足当たりが柔らかい)。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ