“優”という名前
第26章 “優”という名前
休日明けの午後、ブティックの店内には春の新作が並んでいた。
ショーウィンドウ越しに差し込む光が、シフォンの生地を透かし、
レースの模様が床に影を落とす。
今日の俺――いや、“優”の服装は、
淡いベージュのブラウスに、
胸元へ向かって細く流れるリボンタイがひとつ。
袖口にはレースが縁取られ、動くたびに手首の肌を柔らかく包んだ。
下はネイビーのプリーツスカート。
軽く風を含む素材で、足元を通る空気が心地よい。
スカートの内側では、ストッキングがわずかに張りついて、
その温度差がくすぐったいように感じられる。
――こうして立っていると、まるで本当に女の子みたいだ。
けれど、俺は“男”のはずだ。
ブティックの仕事を始めてから数週間。
お客さんや同僚からは完全に“女性のスタッフ”として扱われている。
それはつまり、“元男”だとは誰も気づいていないということ。
俺はこの職場では「優」と名乗っていた。
採用面接のとき、
履歴書に「山下優斗」と書きかけて、
ペンを止めた。
思わず「優」だけを残してしまったのだ。
それが不思議と店長にも違和感を持たれず、
今では名札にも“優”とだけ印字されている。
けれど、誰もまだその名前で俺を呼んだことはなかった。
「あなた」や「すみません」といった曖昧な呼び方ばかり。
そのたびに、心の奥で小さく安堵しながらも、
名乗った“優”という名前が、空白のまま浮かんでいるようで落ち着かなかった。
---
バイト終わり、制服代わりのブラウスのボタンを留め直しながら、
いつものように沙月に連絡を入れた。
『終わったよ。今から帰る』
『おつかれ。例のバイト、どう?』
『なんとかバレずにやってる』
『ふーん、どんな名前で通してんの?』
指が止まった。
……言わなくてもいいこと、だったのに。
つい、勢いで返信を打ってしまう。
『“優”って名乗ってる』
送信ボタンを押した瞬間、心臓が跳ねた。
そして、すぐに既読がつく。
『へぇ、“優”って呼ばれてるんだ? 似合うじゃん♡』
沙月の返信には、小さな絵文字が添えられていた。
その軽さが、かえって胸に刺さる。
『まだ誰にも呼ばれてないけどな』
『じゃあ私が最初に呼んであげようか? 優、って』
思わずスマホを握りしめる。
電車の中、周囲のざわめきが急に遠のいた気がした。
“優”――その二文字が、沙月の指先を通して、
俺の中に確かに届いてきた。
---
帰宅して鏡の前に立つ。
今日のブラウスは、襟元のリボンを緩めるとふわりと肩に落ちる。
レースの縁が光に透け、白い肌と馴染んで見える。
その布の柔らかさを指でなぞりながら、
ふと、自分が本当に“優”という名前に近づいている気がした。
優斗という音の中には、まだどこか「男らしさ」が残っていた。
でも、“優”にはそれがない。
滑らかで、丸くて、少し曖昧で。
まるで今の俺みたいだ。
スマホが震える。
沙月からのメッセージ。
『優、明日もレッスンだからね。かわいくしてきてよ♡』
名前を呼ばれるたびに、くすぐったいような、
少し怖いような気持ちになる。
けれど、その響きが嫌ではなかった。
むしろ、心のどこかが、ようやく自分を受け入れはじめているような気がした。
---
服装の詳細描写
トップス:ベージュのリボンタイ付きブラウス(薄手のサテン地、袖口に繊細なレース)。
ボトムス:ネイビーのプリーツスカート(軽い生地で歩くたびふわりと揺れる)。
インナー:柔らかなコットンキャミソール(通気性がよく、滑らかに肌に馴染む)。
アクセサリー:シルバーのヘアクリップ(髪を留めるたび、微かに光を反射)。
靴:グレージュのローヒールパンプス(クッション入りで足当たりが柔らかい)。




