すれ違う視線 ― ブティックにて ―
第二十二章 すれ違う視線 ― ブティックにて ―
バイト先のブティックの扉を開けると、
ベルの音が澄んだ空気を切り裂くように響いた。
午前の光がショーウィンドウを透かして、
ガラス越しにレースのブラウスの裾をやわらかく照らしている。
今日の俺――いや、店では“私”は、
淡いラベンダー色のブラウスに、白のミモレ丈スカートという格好だった。
ブラウスは軽いジョーゼット生地で、首元には小さなリボンが結ばれている。
袖口には透けるようなレースが飾られており、動くたびにひらりと揺れた。
スカートの裏地はサテンで、歩くたびに脚にさらりとまとわりつく。
その柔らかさと軽やかさが、男としての自分を忘れさせるようだった。
――とはいえ、これは仕事だ。
俺は男だ。女の格好をしているだけ。
そう心の中で繰り返しながら、
ディスプレイされたマネキンの服を整える。
レースの裾を指で摘み、リボンを整えるたび、
自分の指があまりに細く、白く見えることに気づいてしまう。
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1 ブティックの午後
店内は静かで、柔らかな音楽が流れていた。
シフォン、ツイード、コットンレース――素材ごとに異なる手触りの服が整然と並び、
香水と柔軟剤が混ざったような甘い香りが漂っている。
接客の合間、鏡越しに自分の姿が見える。
リボンを結んだブラウスに、ミモレ丈のスカート。
首元のリボンがふわりと揺れるたび、
「本当に俺なのか」と思う瞬間がある。
(でも、この服……悪くない)
ほんの少し胸の奥が温かくなる。
生地の柔らかさが、どこか安心をくれる気がした。
その気持ちをかき消すように、俺はハンガーを並べ直した。
“可愛い”なんて思ってはいけない。
これはあくまで仕事――そう言い聞かせながら。
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2 思わぬ再会
昼下がり、店のドアが再び開いた。
「すみません、このブラウス、試着できますか?」
聞き慣れた声に、手が止まる。
振り返ると、大学で同じ講義を受けている女子三人――
美里、香奈、穂乃香が立っていた。
「い、いらっしゃいませ……」
咄嗟に声のトーンを上げる。
彼女たちは俺の方を見たが、特に気づく様子はない。
香奈が手に取っていたのは、パフスリーブのブラウス。
襟元に繊細なレースが施された、店の人気商品だった。
「ここの服、可愛いねー!」
「ほんと! デートで着たい感じ!」
彼女たちの明るい声が響く。
俺は冷や汗をかきながら、少し離れた場所でタグの整理をするふりをした。
(よりによって、この店に……!)
背筋が固くなる。
指先まで神経が張り詰める。
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3 服に隠れた自分
彼女たちが試着室に入るたび、
俺は目をそらして他の客の応対に集中した。
だが、鏡に映る自分の姿がちらついて、落ち着かない。
レースのブラウス、ふんわりしたスカート、
足元のパンプス――
自分でも驚くほど自然に着こなせてしまっている。
“女の子として立っている自分”が、
誰の目にも違和感なく映っている。
(……俺、本当に、バレないんだ)
少しだけ、胸の奥がざわめいた。
嬉しいような、怖いような。
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4 帰り際の声
「このブラウス、買おっか!」
「うん、私も白の方にしよ!」
会計を終えた三人が出口に向かう。
ようやく終わった――そう思った瞬間だった。
「すみません、この袋、もう一枚いただけますか?」
差し出されたショッピングバッグを受け取り、
顔を上げた瞬間。
穂乃香の目と、俺の目が合った。
一瞬の沈黙。
彼女の瞳が、微かに揺れた。
そして、ほんの一拍置いてから――
「……ありがとう、ございます」
小さく笑って、穂乃香は去っていった。
彼女の背中が見えなくなるまで、
俺はその場を動けなかった。
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5 鏡の中の境界線
閉店後、制服を脱ぎ、控え室の鏡を見つめる。
ブラウスのリボンを解くと、
その下の肌に、わずかにリボンの跡が残っていた。
(バレなかった……? それとも……)
不安と安堵が入り混じる。
けれど、胸の奥で別の感情が膨らんでいた。
――あの瞬間、穂乃香が“気づいたかもしれない”という緊張の中で、
俺は確かに、少しだけ“嬉しい”と思ってしまった。
“この服を着ている自分を見られたくない”はずなのに。
“見られてしまうかもしれない”ことに、
どこか高鳴るものを感じてしまった。
レースの感触が、まだ指先に残っている。
リボンの結び目の柔らかさも。
鏡の中の自分が、
もう“俺”ではないような気がして――
けれど“彼女”にもなりきれないまま、
曖昧な笑みを浮かべていた。
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第二十二章 ブティックの午後 完




