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ふたつの顔


第二十一章 ふたつの顔


 大学の講義が終わると、俺は真っすぐ帰路につく。

 まわりの男友達と談笑しながら歩くこの時間だけは、

 “普通の男子学生”に戻れる数少ない瞬間だった。


 けれど、スマホの画面に映る時刻を見て、

 その安堵はすぐに消える。


 ――バイトの時間だ。



---


1 大学での“俺”


 大学では、まだ男らしい格好をしている。

 ジーンズにスニーカー、無地のパーカー。

 胸元のラインを隠すため、やや大きめサイズを選んでいる。


 生地は少し重たく、動くたびにごわつく。

 袖をまくると、手首に残ったヘアゴムがのぞくのが嫌で、

 こっそり内側に押し込む。


 講義室の隅でノートを取っていても、

 肌に触れるキャミソールの感触が気になって仕方ない。

 女物のインナーは、布の厚みも伸びも全く違う。

 薄くて柔らかくて、体温にすぐなじむ。

 けれど――それが余計に、自分が「女の格好をしている」ことを意識させた。


 “この上に男の服を着てるんだ”

 そう思うたび、妙な居心地の悪さが胸の奥に広がる。



---


2 着替えのための帰宅


 講義が終わると、他の連中がそのままサークル室や食堂に流れるのを横目に、

 俺は「ちょっと用事があって」と言い訳して家路を急ぐ。


 アパートに戻ると、脱ぎ散らかした服を手早くまとめ、

 鏡の前に立つ。


 ――ここからが、もう一人の俺の時間だ。


 まずパーカーとジーンズを脱ぐ。

 キャミソールの肩紐が滑って落ちそうになるのを指で直し、

 下に履くのは淡いベージュのストッキング。

 肌に密着する感触が、最初は冷たくて、すぐにぬくもりを吸い取っていく。

 指先で丁寧にたぐり寄せながら、

 “破らないように”と息を詰める。


 その上に履くのは、黒のフレアスカート。

 丈は膝下で、ウエストには細いリボンベルトがついている。

 軽いポリエステル素材がふわりと広がり、

 少し動くだけで空気が柔らかく流れる。


 トップスは白のカットソー。

 胸元には小さなレースの縁取りとパール風ボタン。

 袖口のフリルが手首で揺れて、

 腕を動かすたびに小さく擦れる音がした。


 最後に、淡いピンクのカーディガンを羽織る。

 軽くて暖かく、まるで布の中に春の空気が詰まっているようだった。


 髪を軽く整え、

 鏡に映る自分を見て、ため息をつく。


 「……女にしか見えねぇな」


 つぶやいた声は小さく、苦笑が混じる。

 それでも、この姿で働かないといけない。



---


3 通勤途中


 駅までの道を歩くたび、スカートの裾がふわりと動く。

 最初の頃はそのたびに足を止めていたのに、

 今ではもう、体が慣れてしまっていた。


 足もとにはローヒールのパンプス。

 最初は慣れなくて何度も靴擦れを起こしたが、

 今はもう、足の形に馴染んでいる。


 ストッキング越しに感じる靴の内側の滑らかさ。

 軽く踏み出すだけで、地面との間に弾むような感触がある。


 そのたびに、

 “男の靴では味わえなかった”

 と思ってしまう自分が、少し怖い。



---


4 仕事場での“私”


 職場では、“俺”ではなく、“私”。

 自然にそう呼ばれるようになった。


 「○○さん、今日もそのカーディガンかわいいね」

 「ほんと似合ってる」


 そんな言葉をかけられるたび、

 “ああ、もう俺は男には見えてないんだ”と実感する。


 鏡の中の自分は、確かに女の子に見える。

 でも、心の奥で小さな抵抗がまだ息づいている。


 ――これは仮の姿だ。バイトのためだ。

 そう言い聞かせながらも、

 リボンの端を整え、スカートの皺を指で伸ばしている自分がいた。



---


5 帰り道


 閉店後、制服を畳み、再び“大学の俺”に戻る。

 フレアスカートを脱ぎ、

 厚手のデニムを引っ張り上げると、

 布が重たくて、脚が急に窮屈になる。


 「……はぁ」


 鏡に映る姿は、確かに“男”。

 けれど――なぜか落ち着かない。


 肌が、布が、息苦しさを覚えていた。

 まるで、柔らかな服を脱いだあとに寒風にさらされたような感覚。


 “どっちが本当の俺なんだろう”

 そんな考えが頭をよぎるたび、

 頭の奥が少し痛くなる。



---


6 そして、面倒くささ


 この二重生活。

 大学では男、バイトでは女。

 朝と夜で服を着替え、言葉遣いを変える。


 最初は「仕方ない」と思っていた。

 けれど最近では――ただ、面倒だ。


 鏡の前で髪を整えるたびに思う。

 “いっそどっちかに決めてしまえたら”と。


 しかし、その「どっちか」が、

 もう分からなくなっている。



---


第二十一章 ふたつの顔 完


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