切り替えワンピースと、心の縫い目
第十四章 切り替えワンピースと、心の縫い目
放課後のファッションルーム。
白い蛍光灯が机の上に落ち、反射した光がカーテンに揺れている。
窓の外では、春の陽がまだ残っていて、淡いオレンジ色が部屋を染めていた。
「はい、今日のレッスンはこれ!」
沙月が差し出したのは、柔らかな生成りのワンピースだった。
胸元とウエストの位置で切り替えがあり、上半分は淡いピンクの布、下はミルクティー色。
袖は七分丈で、カフス部分に小さなリボンがついている。
軽く触れると、生地が指先をすべっていく。
――シフォンか。いや、もう少し張りがある。たぶんポリエステル混。
「……ワンピースって、こういうの、なんか……“女の子”って感じだな」
「でしょ?」
沙月は嬉しそうに笑った。
その“でしょ?”が、俺の胸を微妙に締めつける。
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1 袖を通す
「着てみようよ」
「……今ここで?」
「更衣室使っていいから」
しぶしぶ着替え室に入る。
鏡が正面にあって、蛍光灯の白い光が全体を照らしている。
ワンピースをハンガーから外すと、ふわりと甘い柔軟剤の香りがした。
インナーの上からそっと腕を通す。
布が肌を滑るとき、ほんの少し冷たい。
肩のラインが自然に沿うように作られていて、思っていたよりも着心地は軽い。
スカート部分はふんわり広がるが、裾にかけてすとんと落ちる形。
動くと、切り替えの縫い目が腰のあたりでやさしく肌に触れる。
俺は鏡の前に立ち、息をのんだ。
“ワンピース”――それを着て立っている自分。
胸元にリボン、スカートの揺れ。
どれも“俺”という存在から遠く離れているのに、不思議と馴染んで見える。
「……どう?」
ドア越しに沙月の声。
「まだ見ないでくれ」
声がかすれた。
鏡の中の“俺”を、まだ受け止めきれなかった。
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2 “女の子”という言葉
「見せてくれなきゃ意味ないよ」
観念してカーテンを開ける。
沙月が目を丸くして、すぐ笑った。
「やっぱり似合う! 切り替えワンピースって、背のラインがきれいに出るんだよね」
「……“似合う”とか言うなよ」
「でもほんとだよ。ほら、ウエストの位置ちょっと高いでしょ? だから脚長く見える」
彼女が裾をつまんで、形を整えてくれる。
その指先の動きが妙に丁寧で、くすぐったいような、落ち着かないような気分になる。
「このリボン、取ってもいいけど、あると可愛いよ」
「……可愛いとか言うな」
「ふふっ、でも、そういう服だもん」
“そういう服”――
女の子の象徴みたいなワンピース。
服の形そのものが「俺とは違う存在」を強調してくる。
なのに、その柔らかさや軽さが、心の奥のどこかを撫でて離さない。
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3 動いてみる
「ちょっと歩いてみて」
言われるままに鏡の前を歩く。
裾がふわりと揺れ、ひざ下あたりで空気を巻く。
歩くたび、切り替え部分が少しだけ引き締まり、布が背中をなでる。
――これが、女の服の動きか。
男物の服は、いつも体の線を隠すように作られている。
でも、このワンピースは、呼吸や歩幅に合わせて生地が微妙に形を変える。
そのたびに、自分の“体の輪郭”を意識してしまう。
それが恥ずかしくもあり、妙に心地よくもあった。
「ほらね、歩くたびにスカートが空気を含むでしょ。
それが可愛いんだよ。リボンの揺れもバランス取れてるし」
沙月はそう言って笑った。
その笑顔を見て、胸の中で小さなざわめきが広がる。
俺は照れ隠しのように髪をかきあげた。
――肩に届くくらいの髪が、自然に揺れる。
その感覚にも、まだ慣れない。
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4 鏡の中の違和感と安堵
レッスンが終わり、鏡の前でワンピースの裾を指先でつまむ。
布が柔らかく、指の熱を少しだけ吸い取るようだった。
俺はそっと言葉を落とす。
「……やっぱり、こういうのは俺じゃないよな」
「そう思う?」
「思う。けど……」
言葉が続かない。
“けど”のあとに来る言葉を、自分で認めたくなかった。
“似合っている”とか、“気持ちいい”とか――そんなのは認めたくなかった。
「無理に否定しなくてもいいんだよ」
沙月がそっと言った。
「似合ってるってことは、それだけ自然に見えるってこと。
服は、誰かになるためのものじゃなくて、自分を見つけるためのものだから」
俺は何も返せなかった。
ただ、鏡の中の俺が――いや、“俺”じゃない“誰か”が、
少しだけ、微笑んで見えた。
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5 帰り道
ワンピースを脱いで元の服に戻ると、急に重たく感じた。
肩に当たる生地の感触も、足元の硬い靴も、
どこか息苦しく思えてしまう。
帰り道、髪留めを触りながら、ふと空を見上げた。
春の雲が淡く流れていく。
その中で、昼間着ていたワンピースの柔らかさがまだ肌に残っていた。
「……俺、どうしちまったんだろ」
小さく呟く声は、風にさらわれて消えた。
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第十四章 切り替えワンピースと、心の縫い目 完




