休日の街、風にほどける心
第十三章 休日の街、風にほどける心
休日の朝。
ベランダのカーテンを開けると、春の風が部屋に流れ込んだ。
軽くなった髪がその風に押され、頬に触れる。
――ああ、本当に短くなったんだな。
鏡の前で、指先を髪に滑らせる。
ショートボブの毛先はまだ硬さが残っていて、少し跳ねる。
沙月が言っていた「朝のブローが大事」って、こういうことか。
手にしたドライヤーを適当に動かしながら、ため息をひとつ。
今日は、沙月に「一緒に出かけよう」と誘われていた。
断る理由なんて、いくらでも作れた。
けれど、なんとなく「行こう」と返事をしてしまった。
その“なんとなく”が、最近少し怖い。
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1 選んだ服
服を選ぶ時間が、以前よりずっと長くなった。
タンスの引き出しには、男物と女物が混在している。
Tシャツの隣にフレアスカート。
スウェットの下に、レースのインナー。
――おかしいよな。
頭ではそう思っているのに、指先は自然に柔らかい生地を探している。
今日選んだのは、淡いグレーのニット。
薄手で、袖口と裾に小さなフリルがついている。
生地は細かく編まれ、肌に触れると少しひんやりする。
下は、以前沙月に勧められて買ったレースのロングスカート。
白地に繊細な模様が透けるタイプで、歩くたびに揺れる裾が軽やかだった。
着替えながら、胸の奥がざわざわする。
「女の格好をして出かける」――その事実を、体が拒もうとする。
なのに、心のどこかでは“この服の感触をもう一度味わいたい”と思っている。
その矛盾が、自分でもどうしようもなくて苦しい。
最後に、あの髪留めを取り出す。
桜色のサテンに、小さなリボン。
光を受けてやさしく光るそれを、耳の横の髪に留める。
鏡に映る俺は、もう“男”の輪郭から少し離れていた。
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2 街のざわめき
待ち合わせ場所の駅前に立つと、人の視線が刺さるように感じた。
実際に見られているわけじゃない。
でも、心が勝手にそう思い込んでしまう。
沙月はすぐに俺を見つけ、笑顔で手を振った。
「おー、来た来た。うん、いい感じ!」
「……本気で言ってるのか?」
「もちろん。雰囲気まとまってる。髪留め、使ってくれてるんだね」
その一言に、頬が少し熱くなる。
「せっかくだから……」と小さく言い訳をすると、沙月はふふっと笑った。
彼女の隣を歩くと、スカートの裾がふわりと風に踊る。
ストッキング越しの足に風が通り抜け、微かな冷たさを残した。
歩くたび、レースがこすれるかすかな音が聞こえる。
その音が妙に心地よく、俺は知らず知らずのうちに歩幅を合わせていた。
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3 ショッピングモールにて
ショッピングモールの中は、春の新作が並んでいた。
パステルカラーのワンピース、花柄のスカート、レースのカーディガン。
どれも柔らかく、ふんわりした空気をまとっている。
「ねえ、見て。あの靴かわいくない?」
沙月が指差したのは、白いフラットシューズ。
リボンの飾りが控えめで、ヒールもほとんどない。
「歩きやすそうだし、今の服にも合うと思う」
「俺に……ってこと?」
「うん。試してみなよ」
断ろうとした。けれど、気づいたら靴を手に取っていた。
内側の素材は驚くほど滑らかで、足を入れた瞬間、包み込まれるような感触が広がる。
つま先にほんのり空気が残って、心地よい。
「どう? きつくない?」
「……悪くない」
そう言った瞬間、自分でも驚いた。
“悪くない”――それは、少し認めたってことだ。
鏡の前で立ってみる。
ロングスカートの裾から見える白い靴が、思った以上に自然に馴染んでいる。
その姿に、わずかに胸が鳴った。
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4 心の揺れ
カフェで休憩をとる頃には、最初の緊張は少し薄れていた。
窓際の席で、沙月がストローをくるくる回しながら言った。
「ね、やっぱり街を歩くなら、少し女の子っぽい服のほうがいいでしょ」
「……似合うかどうかって話だろ。それに俺は男だし」
「“男だから”って言葉、最近よく使うね」
「当たり前だろ」
けれど、その“当たり前”が少し揺らいでいることに気づいていた。
服の感触、鏡の中の姿、沙月の笑顔。
全部が俺の中の“常識”を少しずつ削っていく。
「でもさ、服って、自分を守るものでもあるけど、変えるものでもあるんだよ」
沙月が微笑む。
「無理に変わらなくてもいい。ただ、いろんな自分を知ってほしいの」
その言葉が、胸の奥に静かに落ちた。
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5 帰り道
夕方の街を歩く。
スカートの裾が夕風に揺れ、足元の影が細長く伸びた。
通り過ぎる人たちは、誰も俺を気にしていない。
それが少しだけ、嬉しかった。
「沙月」
「うん?」
「……今日、ありがとな」
「どういたしまして。ね、髪留め、似合ってたよ」
彼女の笑顔を見て、胸の奥がまたざわついた。
そのざわつきは、もう嫌なものではなかった。
風が吹き、髪留めのリボンが小さく揺れた。
その瞬間、俺の中で何かがほどけたような気がした。
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第十三章 休日の街、風にほどける心 完




