揺れる髪、揺れる心
第十二章 揺れる髪、揺れる心
朝、鏡の中の俺は、見慣れない姿になっていた。
髪の毛が肩にかかる。前髪が目に触れるたび、無意識に手で払ってしまう。
もう、「男の髪型」と呼ぶには無理がある。
それでも俺は、無理やり整髪料で形をつけ、いつものようにシャツの襟を立てた。
――違和感。
襟に触れる髪の先が、首筋をくすぐる。
動くたびにふわりと揺れるそれが、やけに気になる。
インナーは、もう完全に女性用のものに変わっていた。
ブラの締めつけ感には少し慣れてきたが、肌に触れるカップの柔らかさには、まだどこか落ち着かない。
上に羽織ったのは淡いラベンダー色のカットソー。沙月が「春っぽくていい」と選んだやつだ。
袖口のレースが、指のあたりまでゆるく垂れ下がっている。
――柔らかい。
思わず指で生地をつまむ。
光沢のある糸で編まれたレースは、指先にすべるような感触を残した。
「男がこんな服……」
つぶやきかけて、言葉が途切れる。
“似合ってる”と沙月に言われたときの、あのくすぐったいような感覚が蘇った。
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1 髪と心
その日の女の子レッスンでは、沙月が俺の髪を手に取り、にっこりと笑った。
「ねえ、けっこう伸びてきたじゃん。肩に届くくらい?」
「まあ、切るタイミング逃しただけだよ」
「ううん、いい感じ。少し重たいけど、スタイル作れる長さ」
そう言って彼女は、手際よくゴムを取り出し、俺の髪をひとまとめにした。
首筋が急に涼しくなる。
ゆるいポニーテールのように結われた髪が、かすかに重みを感じさせた。
「鏡、見て」
差し出された鏡には、少しだけ女の子らしい横顔の俺がいた。
髪の動きひとつで、印象がこんなにも変わるとは思わなかった。
だが同時に、胸の奥で何かがきしむ。
「……やっぱ、変だろ。俺、こういうの似合わない」
「似合うよ。むしろ、いままでの髪型が“無理してた”感じ」
その一言に、言葉を失った。
“無理してた”――
俺は、男としての自分を守ろうと必死に固めてきた。
その壁が、少しずつ壊れていくのを感じた。
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2 二度目の美容院
数日後、沙月に半ば強引に連れ出された。
行き先は、前にも来た美容院。
「軽く整えるだけ」と言われていたが、俺の胸には不安が広がっていた。
担当の美容師がハサミを動かすたび、髪の束が肩から滑り落ちていく。
目の前の鏡に映る俺の顔。
少しずつ変わっていく輪郭。
切り落とされる音が、まるで“男の自分”を削り取っていくようだった。
「ショートボブにしますね」
美容師の声が遠くに聞こえる。
沙月はとなりでにこにこと頷いていた。
――ショートボブ。
その言葉が頭の中で何度も反響する。
最後にブローを終え、鏡の前に座る俺に、美容師が微笑んだ。
「すっきりしましたね。すごくバランスがいいです」
鏡の中の俺。
頬にかかる髪がゆらりと揺れた。
輪郭が柔らかくなったせいで、以前よりも女性的に見える。
その現実に、息をのんだ。
沙月がそっと隣で囁く。
「ほら、やっぱり似合ってる」
「……似合ってても困るんだよ」
「ふふ。困るって言いながら、ちゃんと鏡見てるじゃん」
図星だった。
鏡から目を離せなかった。
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3 贈り物
美容院を出ると、外の風が首筋を抜けた。
軽くなった髪が揺れて頬に触れる。
それだけで、まるで別人になった気がした。
沙月がバッグから小さな包みを取り出す。
「はい、これ。お疲れさまのプレゼント」
「……なんだよ、急に」
手渡されたのは、桜色の髪留めだった。
中央には小さなリボンが結ばれ、縁取りに細いレースがあしらわれている。
まるで春の花びらをそのまま閉じ込めたような繊細さ。
「この前のより、ちょっと大人っぽいでしょ? ショートでも使えるよ」
「……ありがとう。でも、俺がつけるのは」
「いいの。似合うから」
その“似合う”という言葉が、また胸の奥を突く。
俺は反射的に目をそらし、指で髪留めを弄んだ。
表面のサテン生地が、指先にしっとりと吸い付く。
――こんな柔らかい感触を、拒めるわけがない。
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4 服と心
その日の俺の服装は、淡いベージュのフレアスカートに、白いレースのブラウス。
ブラウスは胸元にリボンがあしらわれ、襟の縁には小花の刺繍。
スカートの裾には二重になったレースが広がっていて、歩くたびに光を受けて揺れた。
着心地は驚くほど軽い。
まるで風をまとっているような感覚。
ただ、裾の揺れや生地のすべりが、いちいち気になって仕方ない。
街を歩くたび、誰かに見られている気がして胸がざわついた。
けれど、沙月が隣を歩くと、不思議とその違和感が和らぐ。
彼女の笑顔と声が、服の柔らかさと同じ温度で心に染みてくる。
俺は、男だ。
そう言い聞かせながらも、
その柔らかさの中で呼吸している自分がいた。
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5 夜風のなかで
帰り道、風が髪を揺らした。
肩の上で、短く整えられた髪がふわりと跳ねる。
今までより軽い。
けれど、その軽さがどこか“戻れない”感覚を含んでいる気がした。
指先で、贈られた髪留めを触れる。
滑らかなサテン地が、まだ新品の香りを残していた。
沙月が選んだ服、選んだ髪、そして選んだ俺の姿。
それが、少しずつ“俺自身”の輪郭を変えていく。
「……俺は、どうなっちまうんだろ」
小さくつぶやく。
けれど、その声は風に溶けて消えていった。
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第十二章 揺れる髪、揺れる心 完




