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実は色々とやっていた。 その2

前回上げた物の続きになります。


天文時代はこれで終わりになります。

弘治こうじ』すっとばして『永禄えいろく』になる予定ですw




 足の速さに自信がある者達を集い競わせ、書状を持たせ規定時間内に目的地、もしくは人物に渡すと言う者達の集団を創り、『健脚衆』と名づけてみた。其れを織田領内の各地に配置した。今で言う処の『飛脚』じゃな。

 そしてこれが後の『駅伝』の先駆けに……なりはせんぞ!?



 それとある程度は、見た目と構造は知っていたので、ブレーキ部分等の構造だけが問題だが……『竹を素材に自転車』を作ってみることにした。

 もちろん絵図面は、儂が幾つか引くことにはなったが……、『MTB』『ロードバイク』『ママチャリ』『子供用三輪車』『前二輪籠付き三輪車』『後二輪籠付き三輪車』等の絵図面を思い出せる限り書いた。ギアとブレーキだけは、もやが掛かるがごとく思い出す事が出来なかった。

 タイヤはゴム部分を細く切った竹で編んで作り、ホイールは木で良いとして、『灰吹き法』や『分解』であまりまくっている銅を補強材に使うのもありか。

 あ、代用ゴムという手もあるか!材料はなんだっか……。

 ハンドルやフレームの形は思い出せる限り絵図面に起こした。いずれはこれで競輪場でも作れれば賑わいが出て、経済効果も上がるかの……?

『健脚衆』と合わせた自転車便は、まだまだ後じゃわい……ゴムが手に入ってからじゃな。




 薬草園の拡張も進み、山城・尾張・美濃・伊勢・三河・遠江の六カ国に薬草園が出来ている。

【注:山城国はまだ織田家の領地ではありません。形式上まだ朝廷と足利家の領地です。】

 その中でも一番大きな場所は、尾張・美濃・伊勢の三カ国でそこで取れた物を使い、調合したある物を、料理手引書と共に送ることにした。

 調合したカレーのスパイスである。これを武田家、毛利尼子家、長宗我部家、北条家、三好家、肝付家と親交のある多方面の大名に贈ることにしてみた。

 まあ、大量の薬草ハーブ類を使っているので、薬膳料理と言えなくもないが……


 薬草ハーブ類を使った入浴・洗顔関連で肌の余分な油分を落とし、肌つやをよくする物として『米糠石鹸』を製作する事にした。

 麝香じゃこうを入れるのはコスト的にも合わないので、薬草園で、剪定の際に零れた物を混ぜ『洗い粉』とする事にした。思いの外、庶民には人気の商品となったw




 とある場所で、本格的な城作りの図案制作を初めて見た。さすがに山城ではキツいので、平山城と呼ばれる形の城を造るのを念頭に置いた。

 城門に通じる橋は、永久橋であると共に片跳ね橋にしており、敵が攻めてきた際には、城門側が跳ね上がり反対側は下り落ちる様な絡繰に設計をしてみる。戦時に接合部分の留め具を外しておくと、まず橋が落ち、目の前で城門側が上がる仕組みだ。

 本丸に通じる形で裏手に造る搦手馬出は、段違だんたがえの上下二段式の物だ。奥に行くにはそれぞれ門に隣接した階段も上がらないといけない用になっている。

 三の丸から二の丸へ行く時は、石段を上がらなければならない。門扉は二の丸側に設置し門まで行く間に、門櫓の両壁から攻撃できるようにする形じゃ。


 通常の二の丸と三の丸とは別に、二の丸長屋と三の丸長屋と言う物を造り、入口となる場所には櫓門をそれぞれ設置した。長屋とはしておるが、実際は下働きの者の住む場所なだけなんじゃがな。

 それぞれを囲む城柵部分には長屋門の型を採用し長屋櫓とした、それぞれに本丸側へと通じる小天守も備え付けた。勿論、小天守から本丸広場へと通じる形に設計する。

 長屋櫓であるから、人の住める長屋でなければならない。

洗濯場兼庭として3畳と0.5畳の縁側付きだ。部屋は現在の言い方で1DKで玄関併設型だ。

入ってすぐDKだw

 面長の六畳+六畳の計十二畳に、庭を足した計十五.五畳の贅沢な造りだ。1階はなw

 天井までは八尺【約240cm】と低めだが、2階も併設しているためだw2階は天井まで四尺程度だが、家財荷物を置く分には丁度良い広さにはしてある。

 庭に関しては隠曲輪かくれくるわ側に面している。

 二の丸長屋と三の丸長屋からは、それぞれの隠れ切返しから隠曲輪かくれくるわに進めるように造り、有事の際はそこから城兵による攻撃も出来るように考えた。

 二の丸長屋に通じる櫓門まで行くには、半町【約50m】ほど奥行きと腰丈まで掘り下げられた広場を通らないと行けないようになっている。

 三の丸長屋に通じる櫓門の方は、四半町【約25m】の坂になっており本丸城柵の底辺部分までの高さの坂になっている。

 勢いよくその坂を越えてしまうと、下り坂ではなく水堀へと通じる巨大な穴となっており、鎧を着た者達は溺れることになるであろう

 城の回りを囲む堀は水堀で囲むとして、堀底は平堀型にした。問題としては、水をどこから引いてくるかだ。左右どちらかに、河を置けば天然堀として使えるか?


【いずれ手書き落書き図を載せるのでご勘弁を】


 儂や妻達の住む本丸御殿の天井には『折上天井』や『二重折上天井』を採用することにした。

【日光東照宮の本殿の天井が其れです。】

 主寝室には『床の間』やその両側に『違棚』を配置したり、中庭等の設置も行い自己満足の極みを再現していった。

中庭に通じる廊下には、硝子をふんだんに使った出入りの出来る『仕切り戸』を配した。

 畳の大きさは、三六間さぶろくま畳基準で作り、室内に敷いていくか。

中京間ちゅうきょうま三六間さぶろくまとも言う。1間が6尺の畳割りで、畳のサイズは3尺×6尺(910mm×1820mm、1・6562m2)のサイズ】

 そうなると井草も量が必要になるな。どこかで大量生産させるか……

なんだかやっていて、だんだん楽しくなってきたぞw

 本丸御殿の『寝殿造り』と『書院造り』の複合で、屋根は『権現造ごんげんつくり』の場所と『入母屋造いりもやつくり』の場所を造ることにした。

 いざと言うときの、隠し路も考えておいた方がよいか。床下抜道や隠壁扉、天井部屋も別部屋で設計しておくか……


 と、設計図を書いていくのは良かったのだが、その城を造る土地の選定を全く考えていなかったため、空想の産物に終わるのであった。


 だがその設計図が後世にまで残ってしまい、この城をどこに建てたのか、国内なのか国外なのか議論を呼ぶのであった。




竹自転車バンブーサイクルや飛脚便、カレースパイスを進物として送ったりとまあ、やっちゃってます。

本文中に書いている城築話の設計図に関しては、書けば書くほど出来上がりませんwww

頑張って完成はさせたいんですけどね^^;

完成まで持っていけるのかが・・・



前書きでも書きましたが次話は、

弘治こうじ』すっとばして『永禄えいろく』になる予定ですw

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