帰れなかった…… つω;
大変おまたせして申し訳ございませんでした。
ようやく納得のいった形にできましたが……
一部わざと空白部分ができている部分がありますが、
そこはご愛嬌ということで見逃してくださいw
明らかに「ちょっと待てや!」な動物?が出ます。元ネタはありますがねwww
天文15年(1546年) 2月某日
━━━━平手政秀 齢53【見目年齢45】 山城国 四条大宮屋敷━━━━
帰れなかった・・・京での仕事を終わらせて、尾張の妻たちの元へ帰ることが出来なかった。
師走の終わりが近づいたころ、幕府から「資金は此方で何とか工面する故、尾張で造られた日ノ本の最新式の武器を売ってはくれぬか?」と・・・
資金は工面する?工面しても買えるはずが無いだろうに。
最新式は此方の最高機密品でもあるのだ、売れるはずが無いだろう。
槍や太刀ならともかく、『改良型仏郎機炮』等は流石に売ることは出来ん。
売れば必ずや三好や細川に奪われるのが目に見えておるからな。
じゃが、三好辺りには繋ぎを付けておいて、細川管領よりは三好に任せたほうがいいと、後押しでもしておくか?
ということは、政所執事の伊勢氏とも繋ぎは付けておいた方が良いか。
「幕府には力は貸せぬが、三好殿と伊勢政所殿の御二人には力は貸せますよ。」と匂わせる文を双方に送っておこう。
そして、帰れなかった理由がまだ幾つかある。
1月前半は一応、殿上出来る官位を与えられているので、新年の挨拶をしたり挨拶巡りをしたりとそれだけで、ほぼ正月は終わった。
新年の挨拶で、武家側の正装である狩衣で出向いたら、周りの公家の者に止められ、貴族の正装である束帯を女御達に着替えさせられ、参内させられる羽目になった。
儂、公家でも貴族でも無いんじゃがな~・・・
【それなりの官位と公家達の現在の繋がりを断ちたくは無いと言う考えから起こったことです。】
1月も二十日は過ぎた頃には、京の町並みを、かつての平安京に近づけるための作事に、秀吉が築いたとされる土堀『御土居堀』の建設、それによる洛中洛外の境界を定める事案など、まあ次から次へと沸いて出てた。
今計画の『御土居堀』は、
『西大宮大路は七条大路から九条大路』、
『木辻大路は七条大路から一条大路』、
『富小路は九条大路から一条大路』
『七条大路は西大宮大路から木辻大路』、
『九条大路は西大宮大路から富小路』と、
東は鴨川、北は上賀茂社から長坂口と下賀茂社、西は鹿苑寺【金閣寺】、南は九条大路と囲むように、秀吉の築いた『御土居堀』よりも広大な堀を造る計画になった・・・、と言うよりもさせられた。
住居区に行政区、司法区は左京区に固め、農業区や軍政区は右京に棲み分けさせる事にした。
富小路の内裏側に神社を集めた社町【建てるのは分社だけどね】、社町通りを作り、五条通りを境に九条側に再建した寺を集めた寺町通りを作る案もこっそり通しておいた。
あ、『御土居堀』の南側に有る『羅城門』側のみを、『賀茂川【鴨川】』と『桂川』と繋いだ水堀にして西側と東側の『御土居堀』【空堀】と段差を付ければ容易に攻めにくい形になろうw
でも待てよ?東側の賀茂川側の『御土居堀』は空堀としておいて、賀茂川を川堀として使用する堀の二重堀で行こう。
そして『羅城門の再建』も、まこと密やかに話に上がっておるらしい……木材どこから手に入れろと!?
こうなれば!!西国の毛利と尼子辺りに文を出して『羅城門再建』に『御土居堀』に一枚噛ませるか?主上の力になれますよとアピールも出来るからな。
兎に角、木材だな、木材の選定!時が掛かっても良いから、厳島の鳥居の大きさの木材の選定を頼むか……
流石に武田と長宗我部のまだ若い転生者には荷が重いからな。
あ、飛騨の三木家にも頼んでおくか!あそこは木々が豊富だろうからな。
他としては、大工達の技を徒弟だけに伝えるのでは無く、覚えたき者にも学ばさせ、互いに競い合わせ業を高め合いさせるという案も出し、業を喪失させない案も提出させた。
資金の方は、織田家名義で儂の蔵金を出す形で織田家の財力を見せ、財力が衰えたように見せかけるのが手じゃな。
こうやって色々と京でやってはいるが、織田家の支配地域でないんだよな~山城国は……
それにしても、牛車での移動は遅いな・・・幾ら慣例とはいえ、こうなれば馬車を流行らせるか?
それに馬車駅も造れば、洛中内での移動も楽になるだろうし緊急時に牛車で移動とかされると、たまった物ではないからな。
ついでに馬車駅による内廻り外廻りの環状路線も造れば、人や物の巡りも良くなるだろうて。
尾張の信秀様に「伊勢側から熊野速玉大社への街道整備と、海側から港の整備をし、熊野道側から高野山に攻め込めるように、布石を打っておきましょう。ついでに熊野には熊野水軍と言う精強な水兵がいるらしいので、取り込みの方もお願いします。」と、書状を認め「遠江の防備を強化するよう」にとも書いておいた。
熊野を保有できれば、堺や土佐、琉球への足ががりに使えるからなw
あ!こちらで編纂した兵書関連の写本を、息子の久秀【第一章以来の名前だけ登場w】に送って、尾張の学校で写本でもさせておくか。
最近、儂の愛馬である『鬼葦毛』の姿に大きな変化があった。
あったと言うよりも姿が変わりすぎていた。
体は磨かれた黒曜石の様に黒く、瞳は紅に染められた火の様な色に、鬣は白磁の様な色をし、足が八足と……どこぞの神話に出てきそうな神馬の集合体のようにも思えた。
始めは本当に儂の愛馬かと疑っていたのだが、愛馬に付けた名を言ったときの懐き具合と嘶きを聞いたとき「あ、儂の愛馬に違いない」と、思考を巡らせたわ。
ただ、それ以上の問題として……なぜ【技能】というものが儂の愛馬に付いとるんじゃ?
「 名: 【←実は全く考えてませんw】
愛馬:鬼葦毛→火眼黒白磁
技能:なんば走り 」 (←注:政秀さんにしか見えていません)
なんば走りって、アレじゃよな……?「右手と右脚、左手と左脚を同時に出す」あの走りじゃよな?まあ、足があれだけ有れば、自然とそうなるじゃろうな……
ちょっと遠乗りをと、走らせてみれば京の屋敷から山崎まで半刻もかからずに着いて腰が抜けそうになったわ。
これなら、佑に葵、子供にも会いに行けやすくなったわい。
一度、名古屋と遠京までどれだけの日数で付けるか走らせて見るのも良さそうじゃなw
隠居後は、ブリーダーでもやってみるか・・・w
薬草園関連で言えば、「ようやく「ローズマリー」が手に入りそう」だと言うのを、博多から来てくれた商人が教えてくれた。
これで、此方でも生育できれば……たしか、逸話によれば14世紀のハンガリーの王妃エリザベートがハーブウォーターとして使用し若さと美しさを保ったと言われ、70歳にしてポーランドの国王に結婚を申し込まれるぐらい、肌艶が良く若く見えたと言う逸話があるからな。この話が広まったらどうなることやら (;´д`)
ただ、高血圧の者や妊婦や授乳中の婦女には飲ませることが出来ないし、副作用として堕胎の危険があるとかって話もあるし、長期の使用や量も気を付けないといけないんじゃよな。
【自分でも調べてみようねw】
じゃが、ほぼ……いや、確実に『若返りと美肌』の部分にのみ、食いつくであろうな……出荷量の調整もせんと行かんか……あ、女の権力闘争にも使えるか……気を付けなければならんな。
そろそろ、この時代では有効性の高い抗生物質『ペニシリン』を造っても問題は無いよな?
でも、作り方が……解らん!
仕方ないアレで調べるか……副作用がどのように出るのかが怖いけど!!
次話はたぶん、「伊賀長島の章」最終話になる予定【あくまでも予定ですからね!】です。
字形てるが2つある形のお話になります。
今話は、天分15年に対し、次話は天分16年と天分17年の二つの年を各形になります。
それなりの長さになればいいんですが……
このうちの天分17年の方で、信長くんも出す【初陣】予定ですw
まあ、色々と尾張から天竜川領域まで混迷状態になるようにやろうと思ってますw (ΦωΦ)フフフ…




