政秀さん……盗賊に捕まる!?
今回も難産でした^^;
後書きに使用した武器の説明文載せてあります。
後書きの方が長くなってるかもしれません・・・
天文5年(1536年)4月某日
━━━━平手政秀 齢43━━━━
儂こと平手政秀(43歳)は今現在、東美濃恵那郡に来ている………
来ているのじゃが………
「おう!爺さん大人しくしていろよ!」
何故か村人と共に盗賊達に捕まってしまっている状態じゃ。
犬山から多治見を抜け、恵那に入ったまでは良かったのだが、村に到着した翌日に盗賊の襲撃に遭うとは………
この辺りの東美濃衆は何をやっておるんじゃ?盗賊なんぞを蔓延らせおって………
土岐家の連中は職務怠慢でもしておるんか?
まさか!?儂がコッソリと美濃入りした事知り【え?コッソリなの?】、こういう連中の炙り出しにでも掛かったのか!?
もしそうだとしたら相当な策士が居るの。【それは無いですからね!】
「おい、爺さん!!さっきから何ブツブツ小声で喋ってやがる!」
「いや、この現状をどうしようか考えておっただけじゃよ。」
村人と共に一箇所に村中央に捉えられた、のほほんとした口調で物言う政秀に対して、盗賊の一人が宣った。
「用がなくなりゃ、この村の泣け無しの金品奪って死んでもらうだけだろ。安心して成仏しなw」
「ふむ、皆殺しか……。さすがにそれは参るの~。」
「参るの~……じゃね~だろうがよ~爺さんよ、郡官が来る前に爺さん達を殺して、ずらかるだけよ。」
つまり此奴らは人を殺すことを楽しむ殺人快楽者と思って良さそうな感じじゃな。数は頭と思しく者も含め六人か、新参の盗賊か?
前手に縛られとる縄の繋ぎ目に【分解・点】を使って解くとして……
「だったら、罪の無き民を殺すと言う事は、お主ら自身も殺される覚悟があると言う事だな?殺される覚悟は出来ておるんじゃろうな?」
威圧感を込め声を上げて直ぐ様、前手に縛られた縄を【分解・点】で解き盗賊に向かって走り【分解・線】を、腰元に指してあった天罡劈水扇に乗せて目の前に居た盗賊の首に打ち払って、そばにいた盗賊に向かって蹴った。
打ち払ったら打ち払ったらでこれがまた、綺麗に首が上に飛んじゃって……
村人を囲んでいた盗賊共の顔が「俺達は一体、何を目にしたんだ」と驚愕の顔をしておった、首飛ばされた体をぶつけられた盗賊は全身に生暖かい血を浴びる事になって発狂に近い状態に陥ったが。
さて後五人か。【分解・線】を飛ばせるかやってみ……いや、その前に脅してやるか。
「さて盗賊共、儂にとってこのくらいは造作もないことだ。この手で此奴の首を飛ばすことぐらいはな。さてお主らはどうする?恩情は与えてやろう、死にたくなければ立ち去れ!死にたき者はこの平手政秀が、其の方らに死を与えてくれよう!」
威圧感を最大限に放った政秀を見た盗賊達は、腰を抜かし失〇する者もいた。
「ま、マジかよ!なんで、なんで此処に『鬼の政秀』が居るんだよ!?」
ん?『鬼の政秀』?誰だそれ?
「『鬼の政秀』が居るなんて聞いてないぞ!?伊勢志摩で大量根切りした『鬼の政秀』が相手だなんて!?」
伊勢志摩で大根切り……じゃない、大量根切り?これも聞いたことがないぞ?やってもない事を捏造されてる!?
「最後通告じゃ、死にたくなければ立ち去れ!死にたき者は儂が引導を渡してやろう。あと伊勢志摩では根切りなんぞやっておらんわ。」
それから四半刻(約三十分)ほど、恐怖の余りに気が触れたのか?残りの盗賊共が一斉に掛かって来おった。(逃げるか腰抜かして動けないかと思ったが、掛かってくる方じゃったか。)
尾張からコッソリ【ほんとにコッソリか?】出て来たので、太刀は持っては之なんだが、
防具として天罡劈水扇を持って来てあったから助かったわい。
【(分解・線)は畳んだ状態で使用しています。つまり鉄の棒状態で……】
【特注品なので長さは大きめの鉄扇に近いサイズ 約35cmほどの大きさ】
村正や孫六に頼んでみたが渋々じゃったからな……
鉄扇も折り畳みの出来る特注品持ってきておいて良かったわい。
【親骨と小骨が総鍛鉄製】
さて、後始末は~……岩村城と苗木城の者共にやらせるか。これ以上は内政干渉になるからの……。
【此処で暴れた時点で、すでに発生しています!】
岩村城の奥にある明智城に寄ってみたかったが、時間を取られてしもうたしな……
上手く通り抜けて遠江に行かねばな。
東三河制圧までにたどり着けるだろうか?
本文中に政秀さんが使った『天罡劈水扇』と、『鉄扇』の違いについて、載せてみようかと……
【天罡劈水扇 宋~清 960~1912年
長さ50cm~70cm 重さ2.0~3.5kg
中国、宋の時代になって用意られるようになった扇、あるいはそれを模した扇の形をした武器。
日本の鎌倉時代に折り畳み可能な扇が生み出され中国に輸出され、
摺畳扇(ラーティエシャン)と呼ばれ鉄で作られた物が少林寺に伝わった。
これらは後に元や明の時代になっても忘れられる事無く伝えられ、特に摺畳扇は便利な防具として用いられた。】
【鉄扇 江戸 1603~1868年
長さ18cm~45cm 重さ0.8~1.5kg
鉄扇は骨の部分を鉄で作った折り畳みが出来る扇。通常、鉄扇と呼ばれるものは3つに分けられことができる。
第一に親骨【扇の一番外側の骨】と小骨【親骨に挟まれた幾つもの骨で紙を貼ってある部分】が鉄で作られている物。
第二に親骨だけが鉄製の物【よく知られているのは多分こちらの方】
第三に閉じた扇の形はしているが、実際には開いて扇としては用いることの出来ない物。この第三の鉄扇は「手ならし」とも呼ばれることが合ったと言う。
日本での扇の歴史は古く、折り畳みが出来る物は日本独自の物で、鎌倉時代には中国に輸出されていたそうです。【輸出され進化?したのが、現在の天罡劈水扇の模様?】
しかし武器としては【←これ重要】江戸時代になってから用いられるようになり、知られるようになった。】
つまり一般的に「鉄扇」は関ヶ原以降が主流という形になるみたいです。
まあ、その前からもあったみたいですが、どちらかと言うと「天罡劈水扇」と、
御茶混ぜ状態になって伝わっていると私は推測します。
例えば、例えばですよ?アニメでありました『義風堂々』で直江兼続が持っていた「鉄扇」上の物がありましたよね?
上記に挙げました鉄扇の「第一、第二、第三」に当て嵌めますと、
「鉄扇」上の物を開いて仰いでいた画像があったので「第三」はまず違います。
でわ、第一と第二のどちらかなのかと言いますと、どちらも違います。
あの「鉄扇」上の物は『総鍛鉄製の物』になります。
第一と第二の説明部分をよくご覧下さい。
【第一に親骨【扇の一番外側の骨】と小骨【親骨に挟まれた幾つもの骨で紙を貼ってある部分】が鉄で作られている物。
第二に親骨だけが鉄製の物】
と、あります。
あの『総鍛鉄製の』鉄扇上の物は『紙』は一切使われてはいません!
確かアレで首凪いでるはずですし……
ですので、『義風堂々』で直江兼続が持っていた「鉄扇」上の物は、
鉄扇では無く、扇の大きさに特注した天罡劈水扇と言っても良いと思います。
もう一度書きます鉄扇は以下の3つのどれかにカテゴリーに振られます。
第一に親骨【扇の一番外側の骨】と小骨【親骨に挟まれた幾つもの骨で紙を貼ってある部分】が鉄で作られている物。
第二に親骨だけが鉄製の物【よく知られているのは多分こちらの方】
第三に閉じた扇の形はしているが、実際には開いて扇としては用いることの出来ない物。この第三の鉄扇は「手ならし」とも呼ばれることが合ったと言う。
以上を踏まえ、政秀さんの使用した武器『天罡劈水扇』は鉄扇とは違う武器?ということになります。
ゲームなどで言うなら、三國無双シリーズの大喬や小喬の使っていた武器表示名「鉄扇」などが、『天罡劈水扇』と言う事になります。
武器の長さや重さを考えるとそのようになります。




