東三河侵攻かい……し……できないじゃと!?
いやぁ~結構な難産に近かったです^^;
筆【ここの場合はキーボードか?】が乗るときはスラスラ行くんですけどね~w
今月に入ってから続く大雪のせいで……気分が……
(なお作者は加賀一向宗の一揆民ではありません。普通~の一般人ですw)
天文5年(1536年)3月某日
━━━━平手政秀 齢43━━━━
東三河に向けての戦準備が如月【絹更月、衣更月と綴ることもある、二月の事】の終わりから始まり、いよいよ儂の計画の半ばに入ろうとしていた。
が!
「何故じゃ?何故、謹慎を喰らわねばならんのじゃ?」
と、主の信秀から謹慎処分を喰らっていた。
はて、何か喰らうようなことしたか?
薬草園や学校は信秀様も推奨しておった。
それ以外の政策も尾張が良くなっていくのが見えて喜んでおったし………
まさか!?松平清康殿を甘味で懐柔させてしまったことか!?
じゃが、孫子だったかにある「戦わずして勝つ」に嵌った形であったし、西三河の兵や将をそのまま吸収できたわけであるし問題はないはず。
だとすると、伊勢志摩の鈴鹿大回廊か?大和街道も使い勝手が良くなったし、アレは伊勢の国人衆や商人の行き来に役立って、喜ばれておるし………な。
後は内裏と伊勢神宮の修繕費と式年遷宮の費用に三万貫使ったことか?じゃが京の主上や公家衆、神宮からはお褒めや寿ぎの御言葉も頂いたし………
はて?何が行けなかったのだ?
【近くて遠くに居る信秀の声「薬草園と学校以外に決まっておろうが!!」】
東三河侵攻に儂は行けなかったのは残念、……いや無念の一言じゃ。
じゃが信秀様に清康殿、織田松平の次代の若手衆達による侵攻になったからの。
三ヶ日に吉美の辺りは取れたら取るように進言はしておいたが、どこまで行けることやら……
まずはこの二年で東三河まで統一出来れば、何とかなるかもしれんな。
にしてもさすがに暇じゃの……覚えとる限りでの健康器具でも制作してみるか。
健康器具だけじゃなく身体を鍛える方もこの際、覚えとる限り作ってみるか。
(数年後、筋骨隆々の平手政秀が見られたという……)【見せ筋ではなく実戦筋の方です。】
この際だから、長島一向宗の者達を説得……じゃない、脅迫に行くのもいいかもしれんのw
じゃが、また謹慎が長引く事になりそうだし、大人しくしておくか。
長篠から南信濃に通じる街道でも整備して、砦でも築いておくのも良さそうじゃな。
東美濃への調略をジワリとかけておくのも良さそうじゃな。
確か明智光秀も今なら東美濃の明智郡に居たはずだし……
明智家との知己を結んでおくのも良さそうじゃなwさて土産物は何が良いかの~。
清酒に村正作の短刀、飴も持っていくか。
まずは犬山から多治見に抜けて、そこから恵那郡まで行ってそこから考えるか。
はいw 政秀さん遣り過ぎちゃって、謹慎処分ですwww
戦場に出れないという形ですがね……
信秀「これ以上戦場に出して、好き勝手やられても困るわ!」
作者「まあまあ、落ち着いてw」
ですが東三河攻略してもらっている間に、東美濃の調略です。
多分、何処かしらで年数が一気に飛ぶと思います。
あと説得と脅迫のルビ振りは間違いではありませんので!?
お間違えのなきよう
「説得という名の脅迫をするのか、脅迫という名の説得をするのか」の違いです。 Σ⊆(゜д゜;)ウォイ




