尾張に戻ってから……の約三ヶ月後
天の声「天文4年(1535年)12月にあるはずだった事象が改変されました。
天文5年(1536年) 6月にあるはずだった事象が改変されました。
【検索・混沌の情報網】の使用の副作用により、7日間動けなくなりました。
本作主人公が自重を若干捨てました。」
あと今回後書き長いです。
私は仏教系ですが考え方は神道系や精霊信仰系に近いです。
天文5年(1536年)1月朔日
━━━━平手政秀 齢43━━━━
尾張国・名古屋城城下・平手家屋敷
伊勢志摩を織田家の領地に出来てから、約三ヶ月……
何故か、またもや信秀様に叱られた「やり過ぎだ!」と。
いやね、制圧出来そうな所は制圧しとかないとね、諌死フラグ立っちゃうから……
まだ一歳半ぐらいだけどね、赤ん坊なのに暴れまくってる信長様のこと見るとね。
少しでも安全確保したいんですよ~、それを「やり過ぎだ!」は酷いよ信秀様。
後、織田信友殿は乱を犯した咎で切腹、斯波義統様は蟄居。
命があるだけ……、まだマシじゃろうの。
そして天文四年師走に起こるはずであった、松平清康殿の『森山崩れ』は未然に防ぐことが出来た。
史実では織田家の謀略で起きたが、今川家側から謀略を仕掛けてきた。
仕掛けてきた(刺客に使われた)相手が玄広 恵探こと、今川良真殿とは……
史実よりも三~六ヶ月早く花倉の乱が起きる前に西三河に仕掛けてきたが、これも歴史の修正力が多少掛かってるのか?
まあ寺の住持職で合ったらしいから、寺でも作ってやってそこに住持職にでもするか……?
それにしても坊さんを刺客に使うとは、
今川良真
1517~1536 【現齢:19歳】
状 態:健康
統率力54
武 力68
知略力41
政治力42
列伝:今川氏親の子。法名・玄広 恵探
8代目当主氏輝の死後家督争いで起こった花倉の乱で、
氏親の正室であった寿桂尼の子の栴岳承芳が還俗して義元を名乗り、
家督を継ごうとした。
これに反対して、玄広恵探は福島氏に擁されて挙兵し花倉城に拠るが、
義元派に攻め敗れて瀬戸谷の普門寺で自害する。
もしかして、権力闘争が嫌で刺客という形で逃げてきた?
あれ?恵探が此処に居るってことは~……現在の今川家の当主は義元!?
くっ!?こうなるのだったら、伊勢志摩よりも先に三河の完全制圧しておけば……、
悔やんでも仕方がない、こりゃ~雪融けてすぐの3月には東三河落とさないと不味い状況になるかも……(´・ω・`)ショボーン
さて、伊勢湾も掌握した事だし、阿古屋貝での真珠の養殖に牡蠣貝も養殖しないとな~。
一番の問題だったのは外洋【日本近海の事】に出るための船の動力をどうするかじゃったな。
まさか、スターリングエンジンやスクリュープロペラの知識を手に入れようと
【検索・混沌の情報網】を使ったらこんな副作用を受けるとはな……
【副作用一例】
1)40度に達する知恵熱七日間
2)死んだほうがマシだ級の地獄の筋肉痛七日間
3)七日間、水もしくは白湯しか飲食できない
しかも副作用決める方法が、ルーレット方式ってないだろ…… _| ̄|○
七日間も熱が惹かなかったのはキツかったが、必要経費と言う事で見ておくか。
スターリングエンジンやスクリュープロペラの知識を板絵にして、写しを書き木材で手彫りの見本型も職人たちに渡したから何れ出来るじゃろう。
ちなみに船の木彫り模型も渡したので、日ノ本の職人が古来より持つ職人魂と技術力を使ったら出来ちゃう可能性あるよなw ヽ(*´∀`)ノ
この百分の一の大きさの木彫り模型の金〇型戦艦……? (・ω・`)ツクッチャイソウダヨネ
エンジンの試作品が出来上がったら【足漕ぎ型半自動稲刈り機(正式名:戦国式足漕ぎ型半自動稲刈り機【政秀君・初号機】)】に乗せての実験と、(目寸で)厚さ約3mmぐらいの銅板を一二枚用意して、【足踏み式自走三輪 突撃車:陸戦車】の前面、両側面、上面と各三枚づつで覆う形にして西洋の突撃槍を短めにした馬上槍を触角替わりにしたが、これに溝を付けてエンジンの回転と同期出来る様に出来れば……回転触角【見た目がドリルっぽい感じ】が出来るなw
【此処では突撃槍=ロングランス、馬上槍=ショートランスと呼称】
継続して粗銅も取り寄せて、灰吹法と儂の【精錬】の二重に分けてやっておるから、多少のごまかしはまだ効きそうじゃな。
儂の考えとる領地計画がある程度落ち着いたら、西国にでも行ってみるかの……
確か天文18年、西暦1549年4月には薩摩にかっぱ頭【正式名:トンスラ】の宣教師が来たはずじゃからの、先手を打っておかんと日ノ本国内に奴隷商人が溢れかえるかもしれんしな。
薩摩への上陸前に接触せんとな……
はいw伊勢志摩の章から3ヶ月後の名古屋での政秀さんです。
自重?美味しいんですか?
職人魂と技術力というルビは、間違って付けたのではありません。
日本人が古来より面々と受け継いできた技術を、諸外国と比べるとそのように見えてしまうと思ったからです。【飽く迄も作者【以下:私】目線ですが……あながち間違いではないw】
薩摩にかっぱ頭【正式名:トンスラ】の宣教師が来た……はザビエルの事です。
言っておきますが別に宗教戦争をと思ってるわけじゃないですよ?
飽く迄、私の考え方と価値観で書くだけですので、そこだけは間違えのなきようお願いします。
ザビエルの報告しだいでは、当時の日本は奴隷生産地になっていた可能性もあるわけで、
私の現在書いている作品内では南蛮人等はまだ来ていないはずなのです。
【Wikiより】『鉄炮記』によれば、天文12年8月25日(1543年9月23日)、大隅国の種子島、西村に……
とありますので、ザビエル来日が天文18年、西暦1549年4月あたりになるので、そこら辺【日本の奴隷生産地化】を防ぎたいと言う意味の物になります。
未開地に宣教師送る→どのような地なのか報告書送る→「よし奴隷化できそうだな!」
→当時のアフリカから東南アジアまでの状態が日本にまで
と言う風になっていたかもしれません。
キリシタンの教えと古来より日本にあった神道や仏教の教えの違いもあって、
日本は「宣教師の墓場」と言う言い方がされたんでしょうね。
祈れば本人は救われる=キリシタンの教え?
じゃあ祈りを知らなかったご先祖はどうなる?=宣教師に投げ掛けた疑問
祈っていないので救われない=返された答え?
じゃあ祈ってもご先祖も救われないなら意味がない……=結論
こんな感じであまり広まらなかったんじゃないかと私は解釈しています。
宗教の信者数は、文化庁が宗教法人に対して行った宗教統計調査によると、
神道系が約12000万人、仏教系が約9000万人、キリスト教系が約294万人、その他約906万人、
合計1億9,017万人となり、これは日本の総人口のおよそ1.5倍にあたる。【日本の宗教 - Wikipediaより】
飽く迄も私個人の考え方と目線による解釈ですので、お間違えの無き様お願いいたします。




