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兵士はトウシの顔と自身の親指を交互に見る。
そして何事もなかったかのようにトウシに向かって歩み始めた。
痛みへの執着はまるで無い。
ただ機械的に任務を遂行するだけの足取り。
だが、今のトウシにはそれが以前ほど恐怖としては映らなかった。
先程まで得体の知れない化け物としか見えていなかった男が、今はっきりと自分と同じ人間だとわかる。
傷つき、血を流し、骨が折れる。
そんな当たり前の現実を突きつけられた瞬間、トウシの中で何かがプツリと切れた。
不思議と身体が軽くなった。
恐怖に縛られて鉛のように重かった四肢に、奇妙な熱が巡っていく。
泥まみれの足を踏ん張り、不恰好な構えを取る。
一歩、一歩と兵士がトウシとの距離を詰める。
兵士はトウシの目の前で立ち止まる。
動かずにトウシの目を見つめる。
トウシは右拳にありったけの力を込め、兵士の顔面目掛けて殴りかかった。
素人の重心も乗っていない拙い拳。
しかし兵士はそれを避けようとも、腕で防ごうともしなかった。
トウシの拳は、何の抵抗もしない兵士の顔面を直撃する。
ゴッ、と鈍い音が響く。
「っ…!」
殴りつけたトウシの拳の骨が軋み、痛みに顔が歪む。
兵士の口から血が流れるが、兵士は微動だにしない。
ダメージを受けて怯むどころか、視線すらブレることなく、ただ無機質にトウシを見据えている。
今だけは拳の痛みを忘れ、トウシは更に追撃を重ねた。
フォームはガタガタで滑稽な動き。
ただ倒すためだけに持てる力の全てをぶつけていく。
もう何発殴っただろうか、何発蹴っただろうか。
どれ程の時間が経ったか分からないが、トウシは途切れることなく攻撃を続けた。
しかしどれ程殴っても蹴っても、兵士は倒れない。
まるで壁を殴り続けているかのような絶望的な手応えに自身の拳の皮が剥け、生々しい血が兵士の衣服や顔を汚していく。
兵士は避けたり防御することなく、トウシの攻撃をその身のままで全て受け止めた。
蓄積した疲労と痛みが一気に押し寄せ、トウシは両膝を地面につき、四つん這いの形になった。
もはや誰の目から見ても限界だった。
トウシの口からは悲鳴のような荒い息遣いが漏れる。
真っ赤に腫れ上がり、皮の剥けた手で、トウシは泥だらけの地面を強く掴み締めた。
「…」
兵士は一呼吸を置き、低くなったトウシの顔に、自身の顔を近付けた。
完全に勝負は決まったと判断したのか、あるいはトウシの状態を冷徹に確認するためか。
その時だった。
トウシは四つん這いになった際に掴んでいた冷たい泥を、容赦なく兵士の顔面めがけて投げつけた。
「っ…!」
不意を突かれ、泥を浴びた兵士の動きがわずかに止まる。
これで終わりにするものかという、死に物狂いの悪あがき。
トウシは残された最後の気力を振り絞り、泥を拭う暇もない兵士の顔面めがけて、渾身の頭突きを叩き込んだ。
鈍い衝撃が響く。
しかし、その捨て身の一撃を最後に張り詰めていた意識の糸が音を立てて千切れ、トウシの身体はそのまま泥の上へと崩れ落ちる。
そして遂に、トウシの意識が完全に途切れた。




