第39話 没落貴族の王氏、お家再興とセレブ生活のため後宮に殴りこむ⑤
人の叫び声が聞こえる。
「カ、カチコミだあああ――ッ!」
次の瞬間、ドーンと音がして、人の形をしたものが複数空に打ちあがるのが見えた。
「……カチコミ?」
烈は勢いよく立ち上がった。
暗い門の方を注視する。
舜の背後にいた楊源が、鋭い声で言った。
「何事か。様子を見てまいれ」
部下の宦官たちが様子を見に行く。
彼ら以外にも、邸内の宦官が門に向かって走っていった。
が、彼らは門に辿りつく前に、草刈り鎌を振るわれた雑草のごとくあっさりと視界から消えた。
素早い影が邸内に飛び込んできて、瞬く間に宦官たちをなぎ倒した。
そのまま一直線にこちらへ向かってくる。
侍女たちが怯え、悲鳴をあげた。お局が叫んだ。
「主上を狙う刺客かもしれない。兵士を呼んで。早く! 正宮から人を呼んで!」
女たちは助けを求めるべく、門とは反対の使用人が使う裏木戸へ向かって駆け出した。
あちこちから悲鳴や怒号があがり、物や人がぶつかる音がする。
突然の侵入者に霓龍殿は大混乱に陥った。
「カチコミなら私が出る。舜は下がっていて」
烈はひょいと柵を乗り越え、庭に飛び出した。
大の男たちを一撃で空に打ち上げてしまった。これはただ者ではない。
襲撃されたこと自体に驚きはなかった。
暁では初めてというだけで、カチコミ自体は珍しくもなんともない。
北では、恵彌夂刕族やその他の部族の襲撃は日常茶飯事で、本拠地に攻め込まれるたびに烈も死闘を繰り広げてきた。
まさか彼らが、はるか南の暁にまでやってくるとは。
それも夜、後宮にまで入り込まれるなんて。
侵入者が、灯篭の明かりにぼうっと照らしだされた。
驚いたことに一人であり、しかも若い女だった。身なりは粗末で、なぜか手に雑巾箒を持っている。
女は烈を睨みつけ、唸るように言った。
「ここが後宮だよね。皇后はどこ?」
烈も女を睨みつけた。
やはりこれは、自分を狙った北の刺客に違いないと思った。
「皇后は私。あんたはどこの組のモン?」
「組? 何それ。あたしはモンなんて名前じゃない。あたしは王美玲。罪を得て獄中で死んだ王然の娘よ」
工場から宮城まで一気に駆け抜けてきた美玲は、息一つ乱さずに叫んだ。
覚悟がガンギマリした目は爛々と輝いている。
「あんたが皇后なら話が早い。あたしは皇后を倒しに来た。いざ、尋常に勝負しなさい」
「事情がまったくわかんないんだけど。親の仇討ちで殴りこんできたってところ?」
美玲は首を横に振った。
「仇討ちじゃない。あたしは入宮してセレブになるためにここへ来たの!」
そう言うやいなや、美玲はぐっと足を踏み出して跳躍した。構えた雑巾帚を一気に突き出す。
――速い!
美玲の瞬発力、俊敏な動きに烈は息を呑んだ。
寸でのところでのけぞった。雑巾が鼻先を掠めた。
ざんっと空気が鳴り、瞬間的に熱くなった。
直撃をかわしたにも関わらず、烈の身体はよろけた。
パラパラと短い髪が散る。風圧で髪を切られたのだ。
美玲は雑巾箒を回転させながら迫ってくる。このままでは打たれる。
「……くっ」
烈は身をひるがえし、全力で走り出した。
どうやら、北からの刺客ではないようだ。
美玲は入宮するために来たと言った。ならば、これは凄腕の……挑戦者なのか。
雑巾箒を武器にしているが、柄の中央を両手で持って縦横無尽に回転させる。
隙を見ては突き出し、振りかぶって殴打しようとする。
この動きは棍術。美玲は棍の使い手だ。
烈は木が生い茂った庭の奥に駆け込んだ。美玲が追ってくる。
彼女がまっすぐ雑巾箒を突き出した瞬間、烈は身体を地に平行に倒し、美玲の足もとに滑りこんだ。
真下に入ると両腕に力を入れ、両足を直立させる。
美玲の首に足を絡ませてがっちり挟むと、逆立ちをしたまま飛び上がった。空中で足を半回転ひねる。そのまま美玲を勢いよく投げ飛ばした。
やったと烈は思った。
投げ飛ばされた美玲は、背後の大木に叩きつけられるはずだった。
だが、美玲は雑巾帚を抱えたまま空中でくるりと一回転した。大木にぶつかる直前にバネのような動きをして、木の幹を蹴った。
起き上がろうとした烈に、今度は美玲が突っ込んできた。
烈は、胸に雑巾箒の一撃を食らって吹っ飛んだ。
「うああっ」
烈はたまらず大声をあげ、地べたの上を転げた。
雑巾箒を振りかぶった美玲が、容赦なく叩きこんでくる。
烈は身体をひねるようにして、それらをかわした。
熱い。胸の内が燃えるように熱い。先ほど胸に食らった一撃のためではなかった。烈は、すさまじい高揚感に包まれていた。
ああ、そうだ。これだ。しばらくぶりに思い出した。
北では、毎日がそうではなかったか。
かの地では、ヒリヒリとジリジリと、肌も内臓も焼けつくような命の取り合いをしていたのではなかったか。
ガッ、ガッ、ドッ、ドッと美玲の強力な打撃が地面に穴を穿つ。
烈は必死に避けながら、隙を見て雑巾帚を両手で掴んだ。
ありったけの力を込めると、美玲ごと投げ飛ばそうとした。
しかし、美玲も渾身の力で踏ん張った。
簡単には投げられてくれない。地面に仰向けになった烈と、躍りかかる美玲の間に火花が散った。
烈は、右足に力を込めて、美玲の脇腹を蹴った。
美玲は横に飛んだが、すぐに体勢を立て直す。雑巾箒を振り回して襲ってくる。
烈は立ち上がると、美玲に背を向けて走り出した。
体術をかけて倒したいが、間合いに入るのは難しく、入ったところで滅多打ちにされる。
素手で美玲を倒すのは難しい。自分も武器を持つしかない。
「待てェ! 逃げるな!」
美玲が怒鳴りながら追いかけてくる。
「逃げてないから」
怒鳴り返しながら、烈は回廊を一気に駆け抜けた。
居間への扉が見えてくると、さらに速度を上げた。悠長に開けている暇はない。
跳躍し、蹴りで突き破って入る。
中に入ると、内部を見渡した。
壁に飾られた遺品の武器を眺め、棍を見つけるとそれを手に取った。これで戦うしかない。
美玲も飛び込んでくる。烈は棍を構えると、打ちかかってくる雑巾箒を弾いた。
居間に乾いた音が響く。
防戦一方だった烈が棍を繰り出すと、美玲は数歩下がった。美玲が棍を回転させながら飛び込んでくると、今度は烈が下がる。
五十合ほど打ち合ったが、一進一退で決着がつかない。
烈は広いところで戦うべく、居間を飛び出して再び庭に出た。




