第30話 烈女、官僚のボスたちの圧力に屈して、新たな妃の入宮を許しそうになる③
翌日、烈は舜の隣りに座り、左右丞相の甘糖林、向病絶と対峙した。
数百人の官吏が朝見の間に詰めかけ、入りきれない者は廊下にあふれたまま、固唾を飲んで見守っている。
いよいよ官僚のボス対皇后の、静かな決戦の火蓋が切って落とされた。
発言の優先権は、常に官位の高い方にある。
まず甘糖林がゆっくりと前に歩み出た。
「皇后さま、千万の官を代表してお願い申し上げます。どうか新たな妃の入宮の裁可を……」
「出さないよ。舜は私のものだから」
烈はぶった斬るように遮り、己の主張を言いきった。
舜がひどく恥ずかしそうに言った。
「皇后よ。いくらわし……余のことが愛しいといっても、このような公の場で愛の告白はやめよ。ここは外廷であるぞ。余のことも主上、もしくは陛下と呼んで欲しいのだが……」
「愛の告白じゃないよ。所有物の所有権を主張しているだけ。他の連中にはなんとでも呼ばせれば? あんたを舜と呼んでいいのは私だけだから」
舜は顔を赤らめた。
「や、やめよ。オラオラな公開告白はやめよ……。そういうことは二人きりのときだけにせよ」
皇帝を羞恥プレイで悶えさせながらも、烈は重ねて言った。
「後宮には私がいるんだから、側室なんて必要ない。入宮は許さない」
ふっと甘糖林は鼻白んだ。そして、くわっと目を見開いた。
厳しい競争を勝ち抜き官僚になって二十余年……彼にも丞相としての矜持がある。
突然北からやってきた小娘ごときに負けるわけにはいかなかった。
「愛する主上を奪われまいとする皇后さまのお気持ちはわかりますが、主上は皇后さまお一人のものではありません。我ら官が仰ぐ総帥でもあるのです。そもそも我ら公僕の給与からは、特別後宮維持税や奢侈品補助税、外戚研修費などが天引きされておるのですぞ。入宮の際にかかる費用も膨大です。娘がいないときは、美貌の女奴隷を買って養女にするなど多額の投資が必要。そのため、外戚保険に入って積み立てをしている者も多いのです。外戚になれればこそと涙を呑んで高い税金を納め、日々お勤めに励んでおりますのに、肝心の入宮を拒否とはあんまりなお仕打ち。ではこれまで散々徴収され、後宮の維持に使われてきた税金はどうされるのですか。もちろん法律を改正した上で、全額お返しいただけるのでしょうな? 返金作業だけでも途方もない労力がかかりますぞ」
「……」
早口でまくしたてられて、烈はむっと唸った。
脳筋なので、暁の法律や税の計算などの難しいことはわからない。というか、何を言われたのかもよく理解できなかった。
舜の方をちらりと見ると、彼は黙ったまま首を横に振った。細かい実務のことは二人とも不得手だった。
続いて向病絶が、懐から紙の束を取り出しながら言った。
「誤解されておられるようですが、こちらとて己の娘のことばかりにかまけているわけではありませぬぞ。ご覧くだされ、これは秋霜宮から来た履歴書の山です」
烈は一応にも紙を覗き込んだ。
「履歴書がなんだっていうのよ」
「履歴書は、若い身空で後宮に入った淑女たちの涙の身上書……。先帝の後宮では鳴かず飛ばずであっても、今上帝には愛でられるチャンスがあるかもしれない……。あそこの女人の多くが後宮への再入宮を希望し、人生の一発逆転を願っています。再入宮とは、悲運なる女人の救済事業でもあるのです。若人の希望と人生をあたら無残に散らすことは、いくら皇后さまといえども許されますまい。その辺りはどうお考えなのか」
「……」
烈はむむっと唸った。
後宮はともかく、秋霜宮に住まう女官たちについては、まったくの管轄外である。再入宮できることも今初めて知ったのだった。
烈の密かな動揺をすくい取るかのように、甘糖林は言った。
「そうそう。下っ端はともかく、海千山千の政界を泳ぎきってきた我らに、北の秘密兵器・麒麟の癒しの波動は効きませんぞ」
追随するように、向病絶も言った。
「あ~我々にはストライキという手もございますなあ。後宮を統括するのは皇后さま。ですが、その奢侈な生活を支えているのはまぎれもなく官吏。我々が仕事を放棄すれば、皇后さまの優雅な生活も即終了ですぞ。まずゴミの回収すらされなくなりますからな。霓龍殿はあっという間にゴミ屋敷になってしまう。官を敵に回すとはそういうことです」
「……」
烈はむむむっと唸り、ぐっと唇を噛んだ。
アルパカ戦略も効かない上に、官が反逆すれば後宮のインフラを止められる可能性がある……。
せっかく掴んだ夢のゴージャスライフの崩壊……まさに万事休すである。
甘糖林は黙り込んだ烈に向かって、にんまりと笑った。
「まさかと思いますが、暴力で解決……なんてお考えではありませんな? ここは暁であり、北ではありません。旗茂泯のように威嚇しても無駄の極み。無抵抗の官、それも左右丞相を処せば政は滞り、民心は離れるばかり。皇后さまのお立場も危うくなるかと」
烈は俯き、自分の膝を見つめながら黙考した。
確かに、北ではほとんどのことが物理でなんとかなった。
しかし、暁は違う。万事が力で解決するわけではない。
老獪な政治家だか政治屋には、恫喝も武力も通じない。
そのことを思い知らされた……が。
周囲がざわざわし始めた。
勝負あったりという空気が漂い始める。
皇后は左右丞相の要請に屈し、譲歩せざるを得ないと誰もが思った。
「そういえば……前皇后さまも新たな妃の入宮に関しては毎回ゴネられましたな。それでも、最後は諦めて許可を出されましたよ。賢明なお考えです。皇后さまにもそうであっていただきたいものです」
勝利を確信した甘糖林の誇らしげな声――。
潔く負けを認める気になったのか、烈は俯いたまま言った。
「……わかった」
それは奈落に沈むような暗い声だった。
「おわかりいただけましたか」
甘糖林は破顔した。烈は俯いたまま続けた。
「うん、他の女が入宮してもいい」
「それはそれは……重畳」
向病絶も、うんうんと満足げに頷いている。
「ただし条件があるから」
「条件? はて、どのような」
揶揄するような響きに、烈はそこで思いきったように頭をあげた。
左右丞相に向かって、虫けらでも見下ろすように、傲然と言い放った。
「私は垂逸の王太女、那侘弟鼓呼氏の烈。号は明朗快傑野猿常勝将軍。妃の座を得たいなら、私と戦って勝ちな。そうしたら入宮してもいい」
烈が宣言した途端、騒がしかった場内はしいんと静まり返った。
「えっと、皇后さま。今なんと?」
左右丞相は二人ともに目をぱちくりさせ、烈の発言を反芻する……が、意味がわからない。
烈は居直ったかのように、大胆不敵に笑った。
「いいよ。入れるものなら入れば? 私の後宮へ入りたいなら、秋霜宮でも宮城の外でもどこから来たっていいよ。身分も不問にするから。条件はただ一つ。私と戦って勝てたら入宮していいし、舜の妃になってもいい。その方が生活にも張り合いが出るし、面白そうだもんね」
「はあ……?」
左右丞相は呆けたような声を出した。
……なんじゃそりゃ?
これが二人の心の声であった。
話聞いてたんかワレ……? とも思った。
何の進展もない堂々巡りに、みながどこから突っ込めばいいのか困惑する中、舜がおもむろに口を開いた。
「……皇后よ、それでは」
入宮申請を却下しているのと同じではないか……。
と続けたかったが、烈はすかさず舜の脇に肘鉄を食らわせて黙らせた。
ぐえっとカエルが鳴くような声をあげて、舜は悶絶した。
そして――。
「えええええ――っ!」
朝見の間には、ようやく官僚一同の悲鳴だか絶叫だかが響き渡ったのだった。




