第29話 烈女、官僚のボスたちの圧力に屈して、新たな妃の入宮を許しそうになる②
宵になると、烈はいつものように宦官たちに命じて舜を迎えに行かせた。
晩餐の支度をさせて待っていたが、皇帝光臨の先触れはなかなか来ない。
催促のために再度正宮に人をやると、皇帝は政務に追われて残業しているという。
珍しいなと思いつつも、烈は舜の帰りを待つことにした。
旦那を待たずに、先に食事をとるようなはしたない真似はしない。お腹が空いてもおやつをつまむだけである。
四六時中、人の目がある宮城内ではどんなささいなことでもすぐに噂になり、あっという間に広まる。
皇后さまは皇帝陛下をないがしろにされている……などとヒソヒソされてはたまらない。
夜もだいぶ更けてから、舜はやっと霓龍殿に来た。
その面立ちはやつれ、皇帝なのに疲れきったサラリーマンの悲哀のようなものを漂わせていた。
烈は玄関まで出ていき、元気よく言った。
「お帰り~。遅かったね。早くごはん食べようごはん。冷めちゃったから温め直さないと」
「わしを待っておったのか」
舜は意外そうに呟いた。
内心では嬉しくないこともなかったが、表に出すのは照れくさい。わざと気難しそうに眉間に皺を寄せた。
「当たり前でしょ。私はデキる嫁なんだから」
烈は当然のように言い、侍女たちにテキパキと指図を始めた。
その無駄のない動きを見ながら、舜は思った。
色々やらかす女だが、夫を立てる気持ちはあるようだ。
下僕もしっかり管理しているし、後宮はうまく回っているように見える。
恫喝されてのこととはいえ、これを皇后にしたのは間違いではなかったのかもしれない……と。
烈は、舜と共に新設した食堂へ行った。
食卓には金魚鉢を少し大きくしたような水槽が置かれ、澄んだ水の中には緑の苔玉のようなものが幾つか入っていた。
東の海洋諸国、その中でも特定の湖にしか生息していないという非常に珍しい藻、マリモであった。
食卓につくと、舜は水槽をじっと見つめた。向かいに腰を降ろした烈に尋ねた。
「今夜はマリモを食べるのか」
「食べないよ。これは観賞用で、旗茂泯が飼っていたマリモ。嫁たちと一緒に預かっただけ。名前はミジンコちゃんだよ」
「せめて名前は同じ植物にして欲しい」
もの言わぬマリモが見守る中、二人は遅い夕食をとった。
しばらくして舜は重い口を開いた。
言いたくないが、言わなくてはならない苦渋に満ちている。
「烈女よ、団欒の席でこういうことは言いたくないのだが……。そなた、官僚からの入宮の申請をことごとく蹴ったそうではないか」
「うん、全部却下した」
烈は、あっけらかんと言った。
彼女にとっては当然の対応だったが、舜からすると却下されたところで解決する問題ではない。
入宮の拒否、これは官僚たちにとっては理不尽極まりないことだった。政治の場が荒れてしまい、残業になったのもこのせいだった。
「そなたが手厳しくはねつけたせいで、大クレームとなってわしに返ってきた。政務が滞ってしまってかなわぬ。来るのが遅れたのもそのせいだ」
怒れる官僚たちをなだめすかし、大規模ストを起こそうとするのをなんとか思いとどまらせ……負担とストレスが爆増した舜はたまらず愚痴をこぼした。
烈は不満そうに口を尖らせた。
「ちょっとさあ、あんたまでやめてよ。何言ってんのかわかってる? 新たな妃なんて認めるわけないでしょ。私というものがあるのに」
舜は気圧されながらも、必死に言葉を紡いだ。
「そうは言ってもな……。後宮にあまたの妃を置くのは暁の伝統であってだな。皇后が側室の入宮を断るなど前代未聞の出来事なのだぞ。わしとて新たな妃が欲しいわけではないが、しきたりを破るわけにはいかぬのだ」
烈は、ああ? と低く呟き、語気を強めた。
「そんなの知らないよ。私は北育ちで、北の流儀で生きてきたんだから」
「北では一夫多妻の慣習はないのか?」
「あるよ。男も女も強さがすべてだから。嫁も旦那も、強けりゃ何人でも持っていいし、誰も文句は言わない」
北では強者こそが絶対正義。
もし舜が武人として優れた男で、自分を屈服させられる強さの持ち主ならば、烈は不承不承でも側室や妾を持つことを認めただろう。
烈は舜をじっと見、噛んで含めるように言った。
「でもさ、あんたはそうじゃない。私の方が断然強い。弱い者は強い者に、敗者は勝者に従うのが北の掟だから。私が許さないなら、あんたはそれに従うべきなの」
烈の理は単純明快である。
世の男たちが自分の妻妾を所有物としてしか見なさないように、烈にとって舜は自分のもの、自分の男なのだった。
皇帝だろうとなんだろうと、後宮に他の妃を入れるなんて絶対に許せない。
それは自分が侮られている証である。
烈は舐められたまま、黙って耐えしのぶ女ではなかった。
そんなことになったら……夫婦喧嘩どころではない、戦争だ。
舜も、烈の焦燥や怒りはわからないでもなかった。
自分に置き換えて考えてみても、到底受け入れがたいことだろうとは思う。
もし烈が「美的宦官を正式に側室にしたいから認めろ」と言ってきたらどうするのか。……認めるわけがない。
愛情の有無の話ではなく、皇帝としての権威を失墜し、男としても尊厳を失ってしまう。舜は寝取られ夫として、世間の笑いものにはなりたくなかった。
「確かに側室が続々と入宮してくるなど、そなたにとっては面白くなかろうが……」
烈はドスの効いた声で言った。
「面白くないどころか、殺意しかわかないよ。あんたも浮気したいなら、私を倒してからにして」
「……」
無理すぎる、百万回生まれ変わっても無理……と舜は思った。
生物的にも不可能であるし、それ以上に怖すぎる。
これ以上、烈と諍えば命が危ういのではないか。
彼は諦めたように、首をゆるく振った。
「そなたの、わしを取られたくない気持ちはよくわかった。わしからはもう何も言わぬ。ただし、明日は正宮に出てくるように。左右丞相がそなたに会いたがっておるからな」
烈は、二大政党を牛耳る壮年の男たちの顔を思い浮かべた。
「左右丞相……。苦味と疫病を合わせたような名前のおっさんたちね」
「……それを言うなら甘味と防疫では? あれが官僚たちの親玉だ。入宮を許さぬなら、その旨を丞相たちに伝えて納得させるしかあるまい。そなたが却下するから揉めておるのだ。そなたが説得するように」
舜はそこで、背後の揚源に振り返った。
「爺、これでよかろう?」
二人の会話を見守っていた楊源は薄く笑んで、恭しく拱手した。
「はい、入宮の件は皇后さま自らご解決されるとのこと。ならば、爺は何も申しません。先帝の御世がそうであったように、万時つつがなく後宮は繁栄してゆくことでしょう」
と、慇懃ながらも意味深なことを言った。




