男爵令嬢の退場
メアリールに対してのモアの暴言に、その場が凍り付いた。
いや、比喩ではない。
物理的に凍っている。
恐る恐る下を見ると、床が本当に凍っているのだ。
その冷気は言わずもがな、パズから発せられている。
慌ててパズを見るが、彼は微笑を称えたまま微動だにしない。
「さっむ~い! ちょっと、やだ。何よ、これ?」
訳の分からないことをほざいたモアが、ドレスを捲って凍り付いた足を浮かせた。
その言葉に、周囲のあちらこちらからも悲鳴が起こる。
「パ、パズ」
パスの服の袖を引っ張るが、ん、なんですか? というように笑顔で首を傾げられてしまった。
「も、もう、なんなの? 最近、おかしなことばかり起きるわ。気が付けば変な場所にいるわ、気を失っているわで、これは絶対異常よ。何かあるのよ」
モアの言葉に、思わずパズの顔を凝視してしまう。
もしかして……今までにも彼女に何か、していた?
会場中がじわじわと凍りだし、そこここで悲鳴があがる中、どうにかメアリールのそばまで辿り着いた宰相が、パズに小声で話しかける。
その言葉にパズがニッコリと微笑むと、冷気が治まり会場は元の温度へと戻っていった。
「え?」
「……今の何?」
「凍っていたよな……床?」
皆が唖然と呟く中、モアは両腕を騎士に捕えられていた。
「や、やだ。何するのよ? 離してよ」
モアの叫びに全員がハッとして、彼女に視線を向ける。
「やめて、離しなさいよ。私がこの悪女の代わりに、レピュテイシャン様と結婚してあげると言っているのよ。他国の王妃になる私に、こんなことしていいと思っているの? 王子の怒りを買うわよ」
暴れ狂うモアに、宰相が眉を寄せる。
「お前は何を根拠に、そんな世迷言を言っているのだ? レピュテイシャン殿下がお前に何かを言ったというのか?」
宰相の冷たい視線を受けても、ものともしないモアは待ってましたと言わんばかりに応える。
「目を見れば分かるじゃない。彼は何度も私に熱い視線を向けていたわ。私に一目惚れしたのは、間違いないわね」
目が点になるというのはこのことかと、皆が己の状態に驚く中、モアは得意気に話し出す。
「彼は私が好きだけど、私にはオリバー様がいたわ。だから彼は仕方なく諦めたのだけれど、オリバー様にはその女がいた。だからレピュテイシャン様は、私の幸せを願って、この女と婚約したのよ。私とオリバー様が結ばれる為に」
切ない男心よね。というモアに、誰もがポカンと口を開けるしかなかった。
「だけど今度はオリバー様が、自分の幸せの為に元婚約者が蛮族に嫁ぐのを見ていられなくなって、私とも距離を取るようになってしまったの。情の深い方だから」
優しい人なのよと、目をウルウルさせるモアは、ここを観劇の場と勘違いしているようだ。
根拠も何もない、ただの妄想。
だが、婚約者になろうという相手を摑まえて蛮族などと言う、この娘の頭はどうなっているのか?
周囲が未知の者を見るように、理解できないと首を振る。
そんな周りの様子にも気付かないモアは、一人芝居を続ける。
「私はそんなオリバー様の優しい気持ちを汲んであげることにしたの。私がレピュテイシャン様と結婚することで、あの女はオリバー様の元に残り、レピュテイシャン様は私を得たことに喜び、この国に繁栄をもたらすでしょう。オリバー様は悲しみが深く、私の面影を追いかけたまま一生正室を取らないかもしれない。それでも私はオリバー様には第三王子として、この国で立派に生きていってほしくて……」
「いい加減にしないか、この馬鹿者!」
会場中に響く声で恫喝したのは、今まで唖然と見ていた国王陛下。
会場の数段高い位置にある国王の椅子から立ち上がり、鋭い目でモアを睨みつけている。
流石に他国の王子を馬鹿にして、公爵令嬢をこの女呼ばわりし、息子を利用して自分の望みを叶えようとする妄想癖のある小娘を、このまま野放しにしてはいられないと思ったのだろう。
国王陛下に睨まれては、怖いもの知らずのモアも震え上がった。
「それ以上、お前の戯言を聞かせるな! 姿を見るのもおぞましい。さっさと連れて行け!」
「え、やだ。ちょっと待ってよ。なんで、なんでこうなるの? 皆私が可愛いって。私を好きだと言ってたわ。やだ、オリバー様助けて。オリバー様ぁ!」
モアの悲鳴が響き渡る。
散々利用しようとしたオリバーに助けを求める彼女の姿は、醜悪そのものである。
遠くなっていくモアの叫びを聞きながら、メアリールはやっと息を吐くことができた。
彼女のレピュテイシャンを利用する言葉や馬鹿にした言葉を聞いて、冷静ではいられなかったのだ。
今にも「ふざけないで!」と叫びそうになる自分を、必死でこらえることで精一杯だった。
せっかくの祝いの席で、醜態をさらさなくて良かったわ。
私が馬鹿なことをしたら、恥をかくのはレピュだもの。
ただでさえ、祝いの場を壊さない為に自らオーランの企みに乗って会場から離れたレピュテイシャンに、これ以上迷惑をかけたくはない。
メアリールは大きく深呼吸すると、パズを見た。
彼もまた、モアの言動に怒りを抑えてくれていた。
お父様に、この場は任せて欲しいと頼まれたのでしょうね。
メアリールの父の顔を立てる為に相当我慢してくれたであろうパズに、小さくお礼を言った。
『ありがとう、パズ』
『次はありませんよ』
ムスッとした表情で応えるパズに、笑みがこぼれる。
「後で新しい本をプレゼントするわね」
「ぜひ!」
モアの悲鳴も聞こえなくなって、やっと会場内は落ち着いた。
国王陛下は会場にいる貴族達に視線を送る。
「皆の者、騒がせたな。メアリール嬢、パズ殿には迷惑をかけた。レピュテイシャン殿下がこの場にいないのは、不幸中の幸いだった。オリバーがあんな娘に目をかけたばかりに……王族として、情けない。オリバーは暫くの間、私室での謹慎処分とする」
項垂れる国王陛下を見て、周囲は同情の目を向けたが、同時にあれ? とも思う。
先程もあの娘が言っていたように、第三王子は引きこもっているのではなかったか?
引きこもりの第三王子を私室での謹慎処分と言われても、何が変わるのだろうと会場にいる全員が思ったが、背中を丸める国王陛下に進言できる者はその場にはいなかった。
唯一、宰相が「後で締める」と呟いていたが、聞かなかったことにしよう。
正直、オリバーも気の毒ではある。
あれほどぶっ飛んだ令嬢と付き合っていたなんて、本人にも分かっていなかっただろうから。
宰相から、先程の不可思議な現象は魔道具によるものだとの説明が入る。
自分がレピュテイシャン殿下からいただいていた物で、メアリールに何かあれば発動させるようにと申し付かっていたのだと言うと、人々は納得した。
魔道具の信じられない威力に恐怖する者もいたが、この力がこれから先メアリールが嫁ぐことにによって得られるかもしれないと、喜ぶ者もいた。
諸外国の大使はぐぬぬっと唸り声をあげる。
やはりどうあっても、ブリック国の王子とは渡りを付けておかないといけないと。
宰相の計らいで、楽団の演奏が始まる。
気を取り直した面々が、ダンスを踊るべく中央へと集まった。
その様子にパズと目を合わせてメアリールはホッと息を吐く。
いつもながら、レピュテイシャンとパズの力は相当な物なのだが、全て魔道具によるものだと言えば大抵は納得する。
二人にたずねたところ似たような魔道具は存在するが、これほどの威力があるのはやはり本人達、魔族の力によるものが大きいのだが、人間には分からないだろうと笑われた。
バレなきゃいいんだけどね、バレなきゃ……。
そうして顔を上げた瞬間、隣で固まっていたポリアンナと目が合った。
あ、忘れてた。
元々は彼女が先に、因縁をつけて来ていたのだった。
余りの派手な登場のモアに、全てを持っていかれた彼女はどうしようかと視線を彷徨わせていた。
「えっと、クライ様」
まだ用がありますか? とたずねるように顔を見ると、彼女は顔を真っ赤に染めた。
言いたいことは色々あったが、モアに全てを持っていかれた今、このまま続けてもモアのように国王陛下に睨まれて騎士に捕まってしまうのがオチだ。
それにモアの相手のオリバーは引きこもっていてこの場にいないが、ポリアンナのオーランは本日の主催者だ。
今はレピュテイシャンと共に席を外しているが、もしポリアンナが喚きたてている中で戻ってきたら、それこそ彼に幻滅されてしまう。
修復不可能なぐらい嫌われては、流石のポリアンナも無邪気になんて笑えなくなる。
どうしてこの場に来る前に、そんな当たり前のことに気が付かなかったのか?
モアの姿を見て、冷静になった頭で考えれば自分のしている行動は愚かでしかない。
恥ずかしくなったポリアンナは、メアリールにゆっくりと頭を下げた。
「……申し訳ありません。私は愚かでした。これ以上、恥をさらけ出す前に帰らせていただきます」
そう言うポリアンナにメアリールは、ああ、冷静になってくれて良かったと頷いた。
ポリアンナがそのまま踵を返そうとしたところで、思い出したようにメアリールを見た。
「お二人のご婚約、おめでとうございます。今更なのですが……幸せになってください」
そう言ってもう一度、頭を下げると恥ずかしそうにその場を去って行った。
ああ、彼女はモア・ラギット男爵令嬢とは全然違うのね。
本当に素直で明るい女性なのでしょう。
それを何故かオーラン様が一方的に婚約破棄なさって、少し混乱してしまったのかもしれないわ。
可愛そうに……。
オーラン様が冷静であれば、私も婚約破棄の理由を聞いてあげることもできるのだけど、今の彼は昔と違って怖いのよね。
思わずパズを見ると、余計なことはしないように。と目で窘められた。
はい、分かっています。とコクコクと頷くと、ニッコリと笑ったのでひとまずホッとした。
何気に、パズは怒らせると怖いのよね。と本能で感じ取ったメアリールは余計なことはしては駄目、と己に言い聞かせた。
願わくば、ポリアンナ様に言い縁談が回ってきますようにと思わず祈ってしまうメアリールであった。




