第九話「面影」
翌朝。
ボミネイは、いつもより少し遅く目を覚ました。
昨夜は夜会から戻るのが遅かった。
今日は学校が休みだ。
メイドのチコリが部屋を訪れたとき、ボミネイはまだ身支度を終えていなかった。
「おはようございます、ボミネイ様。今日は珍しく、ゆっくりなさっていたのですね。」
「……ああ。」
普段なら、チコリが訪ねる頃には身支度を済ませている。
チコリがせせこましく準備を整える。
身支度を済ませて部屋を出ると、ターニップが廊下で待っていた。
「おはようございます、ボミネイ様。」
「……少し寝過ぎてしまった。」
「昨夜は大変でしたから、たまにはいいのではないでしょうか。」
ターニップははにかみながら一礼し、昨夜の夜会で起きたことをまとめた報告書を差し出した。
「昨夜の件ですが、内容は私がまとめております。ご確認いただけますか。」
ボミネイは報告書に目を通した。
問題なさそうだ。
「……ああ、頼む。」
報告書を受け取ったとき、少し手が触れた。
仕事が早いな。流石、ターニップだ。
ボミネイの気持ちが、触れた手から伝わる。
ターニップは一瞬戸惑い、照れたように笑った。
「では、通信塔からご実家へ送ってきます。」
「……ああ。」
「領都まで距離がありますので、返事が届くのは夜になるかと。」
「……そうか。」
王都からションア領都までは、およそ二百五十キロ。
普通の馬車なら数日かかる距離だが、通信塔を使えば、風乗りモモンガによって手紙を送ることができる。
ターニップの肩にいる使役獣、風乗りモモンガのヘーゼルもすでに準備万端だ。
ボミネイがヘーゼルの顎を撫でる。
ヘーゼルは嬉しそうにしながらも、気合が乗っているようだった。
ターニップは踵を返し、勝手口へ向かった。
「朝食になさいますか?」
後ろからチコリが声をかける。
ボミネイは頷いた。
食堂へ向かう。
扉を開けると、朝食の準備が整っていた。
「お待ちしておりました、ボミネイ様。」
声をかけたのは、料理長のアーティチョークだった。
四十代のベテラン料理人で、二年前、ボミネイが貴族学院へ入学した頃に父のボリュが王都の有名レストランから引き抜いた人物だ。
その隣では、十四歳の料理見習い、リーキが忙しそうに皿を並べている。
「おはようございます、ボミネイ様。」
「……ああ。」
リーキはボミネイと同い年で、ションア領の出身だ。
料理人になることを目指し、アーティチョークの下で修業を続けている。
「昨夜は遅かったと伺いましたので、胃に負担の少ないものを用意しております。」
「……ありがとう。」
「いえ。料理人として当然のことです。」
アーティチョークが穏やかに答える。
その横で、リーキがスープの皿を運んでいた。
「リーキ。そちらはボミネイ様の前へ。」
「はい!」
リーキは慌てて皿を運ぶ。
そのとき、テーブルの端に置かれていた別の皿に腕が触れた。
皿がわずかに傾く。
リーキは反射的に手を伸ばした。
落ちる寸前だった皿を、片手で受け止める。
「……ふう。」
リーキは何事もなかったように皿を置いた。
アーティチョークがちらりと見る。
「今の動きは悪くない。」
「え?」
「いや。何でもない。」
「はい……?」
リーキは首を傾げながら、次の皿を運んでいく。
ボミネイはその様子を眺めていた。
朝食を終える頃には、リーキはすべての片付けを終えていた。
「ご馳走様。」
アーティチョークが一礼する。
リーキも慌てて頭を下げた。
食事を終え、ボミネイは席を立とうとした。
リーキが空いた皿を下げに来る。
「こちら、お下げいたします。」
「……ああ。」
皿を受け取る際、ボミネイの手とリーキの手が触れた。
リーキの動きが止まった。
今日も気遣いの伝わる素敵な朝食だった。
ありがとう。
リーキがボミネイを見る。
ボミネイは何事もなかったように席を立っていた。
「どうした、リーキ。」
アーティチョークが声をかける。
「いえ……。」
リーキは少し戸惑ったように首を振る。
「……なんでもありません。」
ボミネイは自室に戻ろうと食堂を出た。
「このあとはどうされますか。」
チコリに尋ねられ、ボミネイは少し考える。
「少し街を歩こうと思う。」
「承知いたしました。準備いたします。」
「……セレラは。」
丁度、ボミネイのベッドシーツを持ったサルシファイが通りがかった。
「お嬢様はすでに召し上がられました。部屋に戻られております。」
サルシファイが答える。
ボミネイが起きた後の寝具を整えるのは、専属メイドのチコリの仕事だ。
サルシファイはセレラ付きだが、元メイド長で仕事が早い。
若いチコリを娘のように思っていることもあり、つい手を貸してしまう。
せっかくなら、セレラと一緒に出かけたい。
声をかけよう。
「お嬢様を呼んでまいりましょうか。」
サルシファイが先を読むように言った。
「……ああ。頼む。」
しばらくすると、セレラがボミネイの部屋へやってきた。
「おにいさま、お待たせしました。」
「……ああ。」
セレラの身支度を確認すると、ボミネイは席を立った。
チコリとサルシファイも同行する。
王都の街へ出ると、休日ということもあり、普段より多くの人で賑わっていた。
貴族向けの店が並ぶ大通りを抜け、露店の並ぶ通りへ向かう。
「おにいさま、今日はどこへ行くの?」
「……特に決めていない。」
「じゃあ、見て回るだけ?」
「……そうだな。」
セレラは嬉しそうに周囲を見渡す。
ボミネイはその様子を見ながら、ゆっくりと歩いていた。
しばらく歩いていると、通信塔から戻ったターニップも合流した。
その後、露店が集まる一角に、人だかりができているのが見えた。
「骨董市ですね。」
ボミネイは並んだ露店を眺める。
古い食器。
装飾品。
家具。
武具。
珍しい道具。
どれも普段の店では見かけないものばかりだった。
ボミネイは特に何かを探していたわけではない。
ただ、珍しいものを見るのは嫌いではなかった。
骨董市を歩いていると、次第に人の数が増えてきた。
セレラが珍しそうに露店を覗き込んでいる。
「おにいさま、あれは何でしょう?」
セレラが店の奥にある品物を指差した。
そのまま一歩、前へ出る。
「……セレラ。」
足元にあった小さな段差に、セレラの靴が引っかかった。
「きゃっ。」
身体が傾く。
ボミネイは咄嗟に手を伸ばした。
セレラの腕を掴む。
「……大丈夫か。」
「は、はい……。」
セレラは驚いたようにボミネイを見上げた。
ボミネイも、セレラの顔を見る。
少しずつ、大人びてきた。
ふと、母の面影を感じた。
幼い頃に見た母の顔。
優しく笑っていた姿。
もう、あの頃のように抱き締めてもらうことはできない。
それでも。
目の前にいる妹が、母に似てきたことが嬉しかった。
そして、少し怖くもあった。
大切な人を失うことを、ボミネイは知っている。
もう二度と。
大切な人を失いたくない。
そんな気持ちが、触れた手からセレラへ伝わった。
「……おにいさま。」
セレラが小さく呟く。
「……何だ。」
「ううん。何でもない。」
セレラは微笑んだ。
ボミネイは、掴んでいた腕をゆっくり離した。
そのとき、別の露店に並んだ髪飾りが目に入った。
小さな花を模した髪飾りだった。
派手ではない。
けれど、セレラによく似合いそうだった。
ボミネイは足を止める。
「……。」
「おにいさま?」
ボミネイは髪飾りを見る。
「……これ。」
「可愛い。」
セレラが目を輝かせる。
ボミネイは店主に尋ねた。
「……これは、いくらだ?」
店主が値段を告げる。
ターニップが財布を取り出し、必要な金額をボミネイへ渡す。
ボミネイはそれを受け取り、店主へ差し出した。
ボミネイは店主から髪飾りを受け取り、セレラに渡そうとする。
「おにいさま、つけてくれないの?」
「……!?」
ボミネイは少し驚いたように目を見開いた。
「サ、サルシファイつけてやれ。」
「しょうがないですね。本来ならセレラ様のご意向を優先するのですが仕方ありません。」
セレラは少し膨れてみせたが嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、ボミネイもほんの少しだけ目を細めた。
チコリも微笑み、ターニップも穏やかな表情で二人を見守っている。
従者たちはそんな兄妹のやりとりを静かに見守っていた。
キャラクターイメージ:AI生成画像を使用しています。
© 池田興継
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