↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
8/19

第八話「記憶」

 夜会から戻ったボミネイは、自室のベッドに横になっていた。


 目を閉じても、今日の出来事が頭から離れない。


 ルタバガとアグレッティの勝負。


 そして、マンバ・ブームスラングとの一件。


 ボミネイは、天井を見つめる。


 自分が、あれほど強い口調で誰かを咎めることなど、ほとんどなかった。


 普段なら、余計なことを言わずに黙っている。


 マンバが何を言おうと、自分には関係のないことだと考えて、その場を離れることもできたはずだった。


 それでも、できなかった。


 ルタバガが傷ついているのを見て、黙っていられなかった。


「……少し、腹が立ったのか。」


 独り言が部屋に落ちる。


 自分で口にしてから、ボミネイは少し驚いた。


 腹が立った。


 確かに、そうだったのだろう。


 では、アグレッティを押さえ込んだことはどうだろう。


 ボミネイは目を閉じる。


 あのとき、アグレッティの手が剣の柄を握った手の甲に重なった。


 その直後、彼女は驚いたような顔をした。


 そして、動きが止まった。


 何が起きたのか、ボミネイには分からない。


 自分が何かしたのか。


 それとも、アグレッティが何かに驚いただけなのか。


「……分からないな。」


 考えても答えは出なかった。


 昼間にも、似たようなことがあった。


 平民の生徒と手が触れたとき、その少女の様子が変わった。


 あのときも、何が起きたのか分からなかった。


 偶然なのだろう。


 そう考えるしかない。


 ボミネイは目を閉じて、寝返りを打つ。


 ふと昔のことを思い出した。


 まだ、自分が今のように無口ではなかった頃。


 母が生きていた頃のこと。


     ◇


 ボミネイが六歳の頃。


 その頃の彼は、今とはまるで違う少年だった。


 よく喋り、よく笑い、屋敷の中を走り回っていた。


 少しばかり悪さをすることもあった。


 母のアフェシアは、流行り病にかかり、自室で療養していた。


「おかあさま、見て!」


 ある日、ボミネイは泥だらけの靴のまま、母の部屋へ駆け込んできた。


「まあ……ボミネイ。その靴はどうしたの? ごほ、ごほ……。」


「庭で遊んでた!」


 得意げに笑うボミネイ。


「またメイドたちを撒いて来たのね。全く。」


 その後ろから、セレラも顔を出した。


「おかあたま、わたしもいるよー。」


 子どもたちが会いに来てくれるのは、アフェシアにとって素直に嬉しいことだった。


 けれど、病気がうつることを考えれば、長く一緒にいるわけにはいかない。


 アフェシアは困ったように眉を寄せた。


「ボミネイ。サルシファイから、母の部屋へ入っていいと言われていないでしょう?」


「だって、会いたいんだもん。」


「……。」


 アフェシアは子どもたちを抱き締める。


「ごほ、ごほ……。いけません。母は病気なのです。治るまでは我慢しなさい。」


「やだ。お母さまは俺たちに会いたくないの?」


「そんなわけないでしょう。」


「じゃあ、いいじゃん。」


「よくありません。」


 アフェシアの声が少し強くなる。


「あなたはションア家の嫡男なのです。」


「そんなの知らない!」


 ボミネイは顔を背けた。


 怒られたことが悔しかった。


 母に会って、褒めてもらいたかっただけだったのに。


 幼いボミネイには、ただそれだけだった。


「サルシファイ。」


 アフェシアが専属メイドの名を呼ぶ。


「はい。」


 部屋の外で控えていたサルシファイが、すぐに姿を現した。


「子どもたちを連れて行って。病がうつってはなりません。」


「承知いたしました。」


 サルシファイはボミネイとセレラの手を取り、部屋の外へ連れて行こうとする。


「やだ!」


 ボミネイが手を振りほどく。


 それでもサルシファイは静かに言った。


「ボミネイ様。お母さまは、お二人のお身体を心配していらっしゃるのですよ。」


「……。」


 ボミネイは母を見る。


 アフェシアは、悲しそうに微笑んでいた。


 その表情を見ても、幼いボミネイの悔しさは消えなかった。


「おかあさまなんて……。」


 口から出た言葉を、止めることができなかった。


「嫌いだー。」


 部屋が静まり返った。


 セレラが目を見開く。


 ボミネイ自身も、言った直後に少しだけ驚いた。


 アフェシアは何も言わなかった。


 ただ、悲しそうに息子を見つめていた。


 ボミネイはその視線から逃げるように、部屋を飛び出した。


     ◇


 その日の夜。


 アフェシアの容態が急変した。


 廊下では、慌ただしく行き交う使用人たちの足音が絶えなかった。


「医師を呼んでください。急いで。」


「はい、メイド長!」


 サルシファイは慌てることなく、次々と指示を出した。


「ミレイ様。旦那様への連絡をお願いできますでしょうか。」


「分かりました。」


 ミレイは急いで部屋を出ていく。


 ボリュとパースニップは、その頃、戦場にいた。


 二人とも王都にはおらず、アフェシアのそばに駆けつけることはできなかった。


 その少し離れた場所で、フェンネルがボミネイとセレラに付き添っていた。


 妊娠して大きくなったお腹を片手で支えながら、もう片方の手でセレラの肩を優しく抱いている。


 アフェシアの病室には近づくことができなかったが、せめて幼い二人を不安にさせまいと、そばを離れずにいた。


「フェンネル……お母さまは?」


 ボミネイが尋ねる。


「……お医者様が診てくださっています。今は、ここで待ちましょう。」


 フェンネルは穏やかに答えた。


 その声には隠しきれない不安が滲んでいた。


 アフェシアは病状の悪化によって意識を失い、呼びかけにも反応しなくなっていた。


 医師が懸命に処置を続ける中、アフェシアの瞼がかすかに震えた。


 残された力を振り絞るように、ゆっくりと目を開けた。


「……サルシファイ。」


「はい、アフェシア様。」


「……あの子たちを……頼みます。」


「……はい。お任せください。」


 サルシファイは静かに答えた。


 それが、アフェシアの最後の言葉となった。


 ボミネイには、何が起きているのか分からなかった。


 ただ、セレラの小さな手を握っていた。


「おにいたま……おかあたま、だいじょうぶ?」


「……大丈夫だよ。」


 そう答えた。


 自分にも言い聞かせるように。


 けれど、その願いは届かなかった。


 アフェシアは、その夜を越えることができなかった。


 母の死を知った瞬間。


 ボミネイの胸に、昼間の言葉が蘇った。


 おかあさまなんて嫌いだー。


「違う……。」


 震える声が漏れる。


「違うんだ……。」


 本当に母が嫌いだったわけではない。


 怒られたことが悔しくて、そう言ってしまっただけだった。


 本当は、ずっと母に笑っていてほしかった。


 もっと一緒にいたかった。


 もっと話したかった。


 なのに。


 自分の口から出た言葉は、もう戻らない。


 幼いボミネイは、母の眠るベッドのそばで泣き続けた。


 そして、この日を境に。


 ボミネイは、自分の口から出る言葉を恐れるようになった。


挿絵(By みてみん)


キャラクターイメージ:AI生成画像を使用しています。

© 池田興継

お読みいただきありがとうございます。誤字脱字や設定の矛盾など、お気づきの点がありましたら、ぜひご報告ください。感想などもいただけると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。