第八話「記憶」
夜会から戻ったボミネイは、自室のベッドに横になっていた。
目を閉じても、今日の出来事が頭から離れない。
ルタバガとアグレッティの勝負。
そして、マンバ・ブームスラングとの一件。
ボミネイは、天井を見つめる。
自分が、あれほど強い口調で誰かを咎めることなど、ほとんどなかった。
普段なら、余計なことを言わずに黙っている。
マンバが何を言おうと、自分には関係のないことだと考えて、その場を離れることもできたはずだった。
それでも、できなかった。
ルタバガが傷ついているのを見て、黙っていられなかった。
「……少し、腹が立ったのか。」
独り言が部屋に落ちる。
自分で口にしてから、ボミネイは少し驚いた。
腹が立った。
確かに、そうだったのだろう。
では、アグレッティを押さえ込んだことはどうだろう。
ボミネイは目を閉じる。
あのとき、アグレッティの手が剣の柄を握った手の甲に重なった。
その直後、彼女は驚いたような顔をした。
そして、動きが止まった。
何が起きたのか、ボミネイには分からない。
自分が何かしたのか。
それとも、アグレッティが何かに驚いただけなのか。
「……分からないな。」
考えても答えは出なかった。
昼間にも、似たようなことがあった。
平民の生徒と手が触れたとき、その少女の様子が変わった。
あのときも、何が起きたのか分からなかった。
偶然なのだろう。
そう考えるしかない。
ボミネイは目を閉じて、寝返りを打つ。
ふと昔のことを思い出した。
まだ、自分が今のように無口ではなかった頃。
母が生きていた頃のこと。
◇
ボミネイが六歳の頃。
その頃の彼は、今とはまるで違う少年だった。
よく喋り、よく笑い、屋敷の中を走り回っていた。
少しばかり悪さをすることもあった。
母のアフェシアは、流行り病にかかり、自室で療養していた。
「おかあさま、見て!」
ある日、ボミネイは泥だらけの靴のまま、母の部屋へ駆け込んできた。
「まあ……ボミネイ。その靴はどうしたの? ごほ、ごほ……。」
「庭で遊んでた!」
得意げに笑うボミネイ。
「またメイドたちを撒いて来たのね。全く。」
その後ろから、セレラも顔を出した。
「おかあたま、わたしもいるよー。」
子どもたちが会いに来てくれるのは、アフェシアにとって素直に嬉しいことだった。
けれど、病気がうつることを考えれば、長く一緒にいるわけにはいかない。
アフェシアは困ったように眉を寄せた。
「ボミネイ。サルシファイから、母の部屋へ入っていいと言われていないでしょう?」
「だって、会いたいんだもん。」
「……。」
アフェシアは子どもたちを抱き締める。
「ごほ、ごほ……。いけません。母は病気なのです。治るまでは我慢しなさい。」
「やだ。お母さまは俺たちに会いたくないの?」
「そんなわけないでしょう。」
「じゃあ、いいじゃん。」
「よくありません。」
アフェシアの声が少し強くなる。
「あなたはションア家の嫡男なのです。」
「そんなの知らない!」
ボミネイは顔を背けた。
怒られたことが悔しかった。
母に会って、褒めてもらいたかっただけだったのに。
幼いボミネイには、ただそれだけだった。
「サルシファイ。」
アフェシアが専属メイドの名を呼ぶ。
「はい。」
部屋の外で控えていたサルシファイが、すぐに姿を現した。
「子どもたちを連れて行って。病がうつってはなりません。」
「承知いたしました。」
サルシファイはボミネイとセレラの手を取り、部屋の外へ連れて行こうとする。
「やだ!」
ボミネイが手を振りほどく。
それでもサルシファイは静かに言った。
「ボミネイ様。お母さまは、お二人のお身体を心配していらっしゃるのですよ。」
「……。」
ボミネイは母を見る。
アフェシアは、悲しそうに微笑んでいた。
その表情を見ても、幼いボミネイの悔しさは消えなかった。
「おかあさまなんて……。」
口から出た言葉を、止めることができなかった。
「嫌いだー。」
部屋が静まり返った。
セレラが目を見開く。
ボミネイ自身も、言った直後に少しだけ驚いた。
アフェシアは何も言わなかった。
ただ、悲しそうに息子を見つめていた。
ボミネイはその視線から逃げるように、部屋を飛び出した。
◇
その日の夜。
アフェシアの容態が急変した。
廊下では、慌ただしく行き交う使用人たちの足音が絶えなかった。
「医師を呼んでください。急いで。」
「はい、メイド長!」
サルシファイは慌てることなく、次々と指示を出した。
「ミレイ様。旦那様への連絡をお願いできますでしょうか。」
「分かりました。」
ミレイは急いで部屋を出ていく。
ボリュとパースニップは、その頃、戦場にいた。
二人とも王都にはおらず、アフェシアのそばに駆けつけることはできなかった。
その少し離れた場所で、フェンネルがボミネイとセレラに付き添っていた。
妊娠して大きくなったお腹を片手で支えながら、もう片方の手でセレラの肩を優しく抱いている。
アフェシアの病室には近づくことができなかったが、せめて幼い二人を不安にさせまいと、そばを離れずにいた。
「フェンネル……お母さまは?」
ボミネイが尋ねる。
「……お医者様が診てくださっています。今は、ここで待ちましょう。」
フェンネルは穏やかに答えた。
その声には隠しきれない不安が滲んでいた。
アフェシアは病状の悪化によって意識を失い、呼びかけにも反応しなくなっていた。
医師が懸命に処置を続ける中、アフェシアの瞼がかすかに震えた。
残された力を振り絞るように、ゆっくりと目を開けた。
「……サルシファイ。」
「はい、アフェシア様。」
「……あの子たちを……頼みます。」
「……はい。お任せください。」
サルシファイは静かに答えた。
それが、アフェシアの最後の言葉となった。
ボミネイには、何が起きているのか分からなかった。
ただ、セレラの小さな手を握っていた。
「おにいたま……おかあたま、だいじょうぶ?」
「……大丈夫だよ。」
そう答えた。
自分にも言い聞かせるように。
けれど、その願いは届かなかった。
アフェシアは、その夜を越えることができなかった。
母の死を知った瞬間。
ボミネイの胸に、昼間の言葉が蘇った。
おかあさまなんて嫌いだー。
「違う……。」
震える声が漏れる。
「違うんだ……。」
本当に母が嫌いだったわけではない。
怒られたことが悔しくて、そう言ってしまっただけだった。
本当は、ずっと母に笑っていてほしかった。
もっと一緒にいたかった。
もっと話したかった。
なのに。
自分の口から出た言葉は、もう戻らない。
幼いボミネイは、母の眠るベッドのそばで泣き続けた。
そして、この日を境に。
ボミネイは、自分の口から出る言葉を恐れるようになった。
キャラクターイメージ:AI生成画像を使用しています。
© 池田興継
お読みいただきありがとうございます。誤字脱字や設定の矛盾など、お気づきの点がありましたら、ぜひご報告ください。感想などもいただけると、とても励みになります。




