第二話「無口」
ボミネイ・ションアは、無口な若者である。
十四歳。
王都にあるドラゴンベイン王立学院、中等教育課程の三年目。
十二歳から十七歳までの子どもたちが通うこの学院は、貴族の子息や子女だけでなく、選抜された優秀な平民の生徒も受け入れる、王国有数の教育機関である。
十二歳から十四歳までの中等教育課程では、専攻にかかわらず共通の科目を中心に学び、十五歳からは高等教育課程へ進んで、それぞれの専門分野を学ぶことになる。
広大な敷地には、ボミネイが通う中等教育棟のほか、高等教育課程の生徒たちが学ぶための校舎がいくつも建ち並んでいた。
貴族専攻の生徒が通う貴族棟。
従者やメイドを目指す生徒が通う従者棟。
優秀な平民出身者が多く学ぶ文官棟。
騎士を目指す生徒が通う騎士棟。
魔法の才ある若者が集まる魔法棟。
生徒たちは、それぞれの進路に応じた校舎で専門的な教育を受けていた。
そんな学院にあって、ボミネイは周囲から一目置かれる存在だった。
成績は優秀。
剣術にも秀で、魔法の扱いにも長けている。
家柄も申し分ない。
辺境に領地を持つ、ションア家の嫡男。
それだけでも、同年代の貴族子弟から注目されて当然の立場だった。
周囲が彼に注目する理由は、それだけではない。
十代にして、貴族としての振る舞いを崩さない若者。
軽々しく口を開かず、誰かの発言に不用意に口を挟むこともない。
その静かな佇まいには、年齢に似合わぬ重みがあった。
教師たちの中にも、彼を一人の生徒としてだけでなく、将来、家を背負う貴族として見ている者がいる。
ボミネイが発言するときには、自然と周囲の視線が集まった。
彼が口を開くからには、十分に考えたうえでの言葉なのだろう。
そう思わせるだけの威厳が、彼にはあった。
保守的な考えを持つ貴族たちからの評判もよい。
家柄にふさわしい自制心と風格を備えた、昔ながらの貴族らしい貴族。
それが、周囲から見たボミネイ・ションアだった。
そして、そんな主人の姿を誇らしく思う者がいた。
ターニップである。
ションア家の筆頭執事、パースニップの息子であり、ボミネイより一歳年上。
幼い頃から彼の従者を務めてきたターニップは、現在、高等教育課程の従者専攻に在籍していた。
ボミネイ様は、誰よりも慎重に言葉を選ばれる。
そのお姿に周囲の者たちも敬意を払っているのだ。
主人が周囲から高く評価されることは、ターニップにとっても喜ばしいことだった。
だからこそ、自分も主人に恥じぬ従者でありたいと思う。
主人が安心して学べるように身の回りを整え、将来、ションア家を背負っていくときにも支えられる存在でありたい。
それが、幼い頃からボミネイに仕えてきたターニップの願いだった。
最近になって、ボミネイの声にも変化が現れ始めていた。
声変わりによって低くなった声は、以前よりも落ち着いた響きを帯びている。
もともと口数が少なく、発言する際にも慎重な彼だ。
その声で短く言葉を返されると、相手は思いのほか強い圧を感じることがあった。
教師たちでさえ、彼が口を開くと、自然と耳を傾ける。
同年代の生徒たちの中には、彼に対して敬意だけでなく、どこか畏れに似た感情を抱く者もいた。
しかし、ボミネイ自身は、その変化に気づいていない。
以前と同じように、言葉を選んでいるだけだった。
もっとも、そんなボミネイにも、親しい者からすれば少々困ったところがあった。
「ボミネイ。今日の課題、もう終わったか。」
家同士の付き合いがある侯爵家の息子が話しかけてきた。
「ああ。」
「剣術の授業、午後からだよな。」
「ああ。」
「……お前、俺と話すの嫌なのか。」
「そんなことはない。」
「じゃあ、もう少し喋れよ。」
「必要か。」
「必要だよ。そういうところだぞ、お前の悪い癖。」
バーゲストは頭を抱えた。
ボミネイは、その様子を見ても表情を変えない。
笑えないわけではない。
人付き合いが嫌いなわけでもない。
ただ、余計なことを口にしない。
それが彼にとっては当たり前だった。
言葉を口にする前に考える。
この言葉を言っても大丈夫か。
相手を傷つけないか。
誰かを困らせないか。
そして最後に、本当に言う必要があるのか。
そこまで考えてから、ようやく口を開く。
本人にとっては、ただそれだけのことだった。
◇
昼休み。
ボミネイは食堂の隅の席で、ターニップと昼食を取っていた。
中等教育課程の生徒だけでなく、高等教育課程の生徒たちも利用する食堂は、昼時になると多くの生徒で賑わう。
専攻も学年も異なる生徒たちが行き交う中、ふと、聞き慣れた女性の声がした。
「ボミネイ様。」
顔を上げると、トレーを手にした女生徒が立っていた。
学院服に身を包んだ彼女は、ボミネイがよく知る顔だった。
すらりと背が高く、姿勢もよい。
騎士である母親譲りの体格は、同年代の生徒たちの中でもひときわ目を引いた。
日々の鍛錬で引き締まった身体つきには、しなやかな力強さがある。
それでいて、女性らしい柔らかな曲線も失われてはいない。
凛とした立ち姿と、年頃の娘らしい華やかさ。
白く艶やかな髪が肩のあたりで揺れる。
整った顔立ちに、よく笑う澄んだ瞳が印象的だった。
ボミネイに向けた表情には、気心の知れた相手ならではの親しみが浮かんでいた。
初対面の相手に向けるような遠慮はない。
彼女はボミネイの隣に立ち、空いている席へ目を向けた。
「こちら、座ってもよろしいですか。」
「……ああ。」
ボミネイが頷くと、彼女は向かいの席に腰を下ろした。
身を寄せてトレーを置いた拍子に、豊かな胸元がテーブルの縁に触れ、柔らかな輪郭がわずかに押し留められた。
その動きが目に入り、ボミネイの視線が一瞬だけ泳ぐ。
すぐに手元の食事へ目を落としたが、先ほどまで意識していなかった相手の存在が、妙に気になってしまう。
ルタバガは思い出したように話し始める。
「そういえば、今日の放課後、騎士棟で上級生たちの模擬試合があるのです。」
彼女はボミネイへ視線を向けた。
「騎士を目指す者にとって、上級生の試合を間近で見られる機会は貴重ですから。私も見に行こうと思っているのですが……ボミネイ様も、ご一緒にいかがですか。」
「……俺もか。」
「はい。ボミネイ様なら、剣術のこともよくご存じですから。私一人で見るより、いろいろと勉強になると思うのです。」
彼女は、ごく自然な様子でそう続けた。
「それに、せっかくですから、帰りもご一緒したいですし。」
ルタバガがそう付け加えると、ターニップが静かに口を開いた。
「ルタバガ嬢。ボミネイ様は次期領主としてのお務めもございます。あまりお引き止めにならないでいただけますか。」
丁寧な口調だったが、言葉にはわずかな棘があった。
ルタバガはターニップへ視線を向けた。
「そのことは、私も存じています。王都別邸の管理についても、ボミネイ様が勉強なさっていることは以前から知っていますから。」
「それでしたら、お分かりいただけるかと存じます。」
ターニップは穏やかな顔のまま答えた。
「次期領主として学ばれることは、まだまだございますので。」
「……ターニップ。」
ボミネイがたしなめるように名を呼ぶ。
「はい、ボミネイ様。」
「余計なことを言うな。」
「失礼いたしました。」
ターニップは一礼したものの、表情にはどこか納得していない様子が残っていた。
ルタバガは小さく息を吐く。
「……ボミネイ様は次期領主としてお忙しいのですね。」
そう言いながらも、その視線はターニップへ向けていた。
「ですが、放課後に模擬試合を見に行くくらいなら、お時間を作れるのではありませんか。」
ターニップの眉が、ほんのわずかに動いた。
「ルタバガ嬢。ご予定を決めるのは、ボミネイ様ご自身です。」
「ええ。ですから、ボミネイ様にお尋ねしているのです。」
ルタバガはすぐに答え、ボミネイへ向き直った。
「……今日はやめておく。」
「またですか。」
彼女は呆れたように眉を寄せた。
「せっかくお誘いしているのですから、たまには付き合ってくださってもいいではありませんか。」
「……分かった。時間があれば行く。」
「この前もそうおっしゃって、来ませんでした。」
「……そうか。」
「そうです。」
彼女は小さく息を吐いた。
「昔は、頼んでもいないのに、あれこれお話ししてくださったのに。」
「……昔の話だ。」
「ええ。よく覚えています。」
ルタバガは、どこか懐かしそうに目を細めた。
「ボミネイ様が一番お喋りだった頃のことです。」
ボミネイは返事をしなかった。
ルタバガ・ナヴェ。
女騎士であるハクレイ・ナヴェ男爵の娘であり、ボミネイの幼馴染である。
高等教育課程の貴族専攻一年目に在籍し、騎士系の授業も選択していた。
将来は母と同じ騎士の道を目指している。
彼女も、ターニップも知っていた。
ボミネイが、昔から無口だったわけではないことを。
昔のボミネイは、屋敷で最もお喋りな子どもだった。
キャラクターイメージ:AI生成画像を使用しています。
© 池田興継
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