第一話「本心」
ボミネイ・ションアは、言葉を恐れていた。
だから、できるだけ喋らない。
余計なことを言わなければ、誰かを傷つけずに済む。
そう信じていた。
けれど、言葉を口にしなくても、誰かを困らせてしまうことがある。
それを知ったのは、王立学院で中等教育課程の三年目を迎えた、春休みのことだった。
王都の大通りから少し外れた道を歩いていたとき、ボミネイは一人の女性が道端にしゃがみ込んでいるのを見つけた。
女性はメイド服を着ていた。
足元には、籠からこぼれた荷物が散らばっている。
拾おうとしているようだったが、その動きはひどくぎこちなかった。
片手は、麻痺があるのか指先をわずかに動かすことさえ難しいようだった。
もう片方の手だけで荷物を集めようとしているものの、包みを拾い上げるたびに、別の荷物が転がっていく。
女性の顔には、頬から顎にかけて赤黒い傷痕が広がっていた。
皮膚が引きつれているのか、表情もどこか不自然に見える。
周囲を行き交う人々は、そんな女性にちらりと目を向けては、すぐに視線を逸らしていった。
気の毒そうな顔をする者もいた。
しかし、誰も足を止めようとはしない。
傷痕のある顔も、思うように動かない手も、彼らにとっては見慣れないものだった。
どう声をかければいいのか分からないのか。
それとも、厄介事に巻き込まれたくないのか。
理由は分からない。
ただ、女性が困っていることは、誰の目にも明らかだった。
女性は周囲の視線に気づいているのか、何度も顔を伏せながら、懸命に荷物を拾い集めていた。
ボミネイは足を止めた。
少しだけ迷った。
声をかけて、何か余計なことを言ってしまったらどうする。
相手を傷つけるようなことを口にしてしまったら。
目の前で困っている人を、そのまま見過ごすのも違う気がした。
ボミネイは小さく息を吐き、女性のそばへ歩み寄った。
「……そっちの荷物、落としてるぞ。」
声をかけると、女性はびくりと肩を震わせた。
顔を上げた彼女は、ボミネイの姿を見るなり、その身なりに気づいて慌てて頭を下げた。
「も、申し訳ございません。すぐに片づけますので……。」
「……大丈夫か。」
ボミネイは、女性のぎこちない動きと、思うように動かない手に目を向けた。
女性は一瞬ためらってから、小さく頷いた。
「……はい。ご心配をおかけして申し訳ございません。」
ボミネイは足元に落ちていた包みを拾い上げた。
「……手伝う。」
「え……。」
女性は戸惑ったように目を見開いた。
ボミネイは返事を待たず、近くに散らばっていた荷物を拾い始めた。
誰も手を貸さないのなら、自分が手伝えばいい。
それだけのことだった。
包みを拾い上げ、終始、無言で籠に入れた。
「……。」
そうして、最後の包みを入れ終わると、籠を女性に手渡した。
その指先がボミネイの手に触れた。
その瞬間、女性の中に、思いが流れ込んできた。
傷ついた顔を見ても、動かない手を見ても、彼の心には何の変化もない。
気の毒だとも、哀れだとも思っていない。
ただ、困っている。
だから、手を貸したい。
それだけだった。
見返りなど求めていない。
感謝されたいわけでも、褒められたいわけでもない。
自分にできることがあるのなら、手を貸せばいい。
そんな、ごく自然な思いだった。
女性の表情が、わずかに変わった。
先ほどまで強張っていた顔から、少しずつ力が抜けていく。
誰かに見られるたびに身構えていた心が、ほんの少しだけほどけていく。
傷痕を見て目を逸らす人は、これまでにもいた。
動かない手を見て、気まずそうにする人もいた。
この人は違った。
傷痕を気にしていないからではない。
気にする必要すらないことのように、ただ自分を助けてくれた。
女性は、まっすぐボミネイを見つめた。
「……あの。」
「……何だ。」
ボミネイは首を傾げる。
女性は、言葉を探すように唇を開き、やがて、ためらいがちに尋ねた。
「どうして……そんなに優しいのですか。」
「……。」
ボミネイは、ますます不思議そうな顔をした。
荷物を拾って、籠を渡しただけだ。
それ以外に、何かした覚えはない。
「……別に。」
短く答えると、女性は目を伏せた。
その顔には、泣きそうな表情が浮かんでいた。
先ほどまでの怯えとは、どこか違っていた。
「……ありがとうございます。」
女性は小さく微笑んだ。
「……ああ。」
女性が立ち上がるのを見届けてから、その場を離れた。
歩きながら、ふと自分の言動を振り返る。
余計なことを言っただろうか。
相手を傷つけるような言葉は、口にしていないはずだ。
そもそも、ほとんど口を開いてすらいない。
それなのに、あの女性は、どうしてあんな顔をしたのだろう。
考えてみても、答えは出なかった。
ボミネイは足を止め、自分の手を見つめた。
「ボミネイ様。」
背後から声がした。
振り返ると、所用を済ませて戻ってきた従者のターニップが立っていた。
「表情が優れませんが、何かございましたか。」
「……いや。」
ボミネイは短く答えた。
ターニップは納得していない様子だった。
「何かお気に召しませんか?」
「……何でもない。」
「そうですか。」
「……ああ。」
ボミネイはもう一度、自分の手を見た。
先ほどの女性の表情が、頭から離れなかった。
どうして、あんな顔をしたのだろう。
考えても、答えは出ない。
「……帰ろう。」
「かしこまりました。」
ターニップはそれ以上追及せず、ボミネイの隣に並んだ。
二人は並んで、屋敷へ続く道を歩き始めた。
キャラクターイメージ:AI生成画像を使用しています。
© 池田興継
社会の荒波に揉まれる、中小企業勤めのサラリーマンです。趣味で書いている小説ですので、至らない点も多いかと思います。誤字脱字や設定の矛盾など、お気づきの点がありましたら、ぜひご報告ください。感想などもいただけると、とても励みになります。よろしくお願いいたします。




