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第十八話「依頼」

 王都にあるションア家の別邸。


 朝の光が差し込む廊下では、チコリが窓枠を拭いていた。


 少し離れた場所では、サルシファイが洗濯物を畳んでいる。


「そういえば、そろそろ学院祭の時期ですよね。」


 チコリは手を動かしながら、ふと思い出したように口を開いた。


「ええ。そうですね。」


「ミュイ様はもちろん、スコルツォネラくんも別邸に来るんですよね?」


「おそらくは。ミュイ様がいらっしゃるなら、あの子も一緒に来るでしょうね。スコルツォネラは、ミュイ様のお世話をしている従者ですから。」


 サルシファイは畳んでいた衣服を整える。


「ただ、あの子はミュイ様のお世話をきちんとできているのかしら。」


「えっ、そこを心配するんですか?」


 チコリが思わず振り返る。


「あの子はしっかりしてるように見えますけど、頑張りすぎて、自分のことを顧みないところがありますので。」


「ああ、たしかに。スコルツォネラくんは真面目で頑張り屋さんですもんね。」


「チコリはうちの息子を随分とかってくれているのね。」


 サルシファイは少しだけ表情を和らげた。


「……スコルツォネラくんのことが心配なんですね。」


「母親ですもの。気になって当然でしょう?」


「なら息子さんと離れて暮らしていて、寂しくないんですか?」


 チコリの問いに、サルシファイは一度手を止めた。


「寂しくはありますよ。」


 その声は、いつもと変わらず穏やかだった。


「あの子はあの子で頑張っていますし、こちらにはあなたがいますから。」


「……えっ。」


 チコリは目を瞬かせる。


「わ、わたしですか?」


「ええ。」


「てへへ……。わたしは娘じゃないですよ。」


 照れ隠しのように笑うチコリに、サルシファイは小さく息を吐いた。


「誰も、あなたを娘だとは言っていませんよ。」


「でも、今の言い方はお母さんみたいでした。」


「私は、あなたの仕事ぶりを見ているだけです。」


「それって、心配してくれてるってことじゃないですか。」


「……チコリ。」


「はいっ。」


「手が止まっていますよ。」


「あっ、いけない。」


 チコリは慌てて窓枠へ向き直った。


 その様子を見て、サルシファイはわずかに口元を緩める。


 少々危なっかしいところはあるものの、チコリも以前に比べればずいぶん成長した。


 まだ教えることは多い。


 それでも、こうして毎日一緒に働いていると、まるで娘がもう一人できたようなそんな気持ちになる。


「そういえば、サルシファイさんは学院に通っていたんですよね?」


 チコリが再び尋ねる。


「ええ。ハクレイ様とアフェシア様と、同じ教室で学んでいましたよ。」


「お二人と一緒にですか?」


「はい。お二人とも、学生時代から変わらないところがありましたね。」


「へえ……。どんな感じだったんですか?」


「そうですね。」


 サルシファイは少し考える。


「ハクレイ様は、昔から行動的な方でした。思い立ったらすぐに動いてしまうところがあって、周囲が慌てることもよくありましたね。」


「今と変わらないんですね。」


「ふふ。そうかもしれません。」


「……アフェシア様は、どのような学生でいらっしゃったのですか?」


 その名前を聞くと、サルシファイの表情がほんの少し柔らかくなった。


「アフェシア様は、お優しい方でした。けれど、ただおとなしいというわけではありません。譲れないことについては、きちんとご自分の意見をおっしゃる方でしたよ。」


「姉もよく言っていました。アフェシア様は、お優しいだけでなく、ご自分の考えをしっかりお持ちの方だったと。」


「ふふ。そうですね。三人で学院祭の準備をご一緒したこともあります。」


「そうなんですね。どんなことをされたんですか?」


「いろいろですよ。アフェシア様たちとお店を出したり、ハクレイ様に誘われて、魔法専攻の友人の発表会を手伝ったり。今思えば、ずいぶん賑やかでしたね。」


 懐かしむように、サルシファイは目を細めた。


「いい思い出です。」


「いいなぁ。わたしも、そんな学院祭に参加してみたいです。」


 学院祭は、かつて学生だった頃の自分にとって、友人たちと過ごした大切な思い出の一つだった。


 今年は、どのような学院祭になるのだろう。


 サルシファイはそんなことを考えながら、畳んだ衣服を籠へ収めた。


     ◇


 王立学院。


 毎年、この時期になると学院中が賑やかになる。


 今年も、いつも通り学院祭が行われる予定だ。


 学院に通う貴族の子息や令嬢の実家が店を出すこともあれば、各専攻の学生たちが催し物や発表会を行うこともある。


 学院祭が近づくにつれて、校内では準備の話題が増えていく。


 ボミネイ自身は、特に興味があるわけではなかった。


 普段通りに授業を受け、普段通りに過ごす。


 学院祭だからといって、自分の生活が大きく変わるとは思っていなかった。


 廊下を歩いていると、前方から一人の少女が近づいてきた。


 金色の縦ロール。


 姿勢の良い、見るからに貴族令嬢らしい立ち姿。


 ロザリンド・ローズだった。


「そこのションア伯爵令息。止まりなさい。」


 ボミネイが足を止める。


「……何かご用ですか?」


「生徒会から、お話があります。」


「……生徒会?」


「はい。」


 ロザリンドは小さく頷いた。


「生徒会長がお呼びです。」


 ボミネイは少しだけ首を傾げた。


 学院で生徒会長に呼ばれるようなことをした覚えはない。


「規則違反した覚えはありませんけど。」


「いえ。そういう話ではありません。」


 ロザリンドは首を横に振った。


「ついてきてください。直接お話ししたいとのことです。」


「……分かりました。」


 ボミネイは頷いた。


 二人はそのまま、生徒会室へ向かった。


 廊下を歩く生徒たちの会話も、学院祭の話題で持ちきりだった。


「今年はどんな催しがあるんだろうな。」


「騎士専攻の奴らは例年通り、トーナメント形式の模擬試合をするらしいぞ。」


「魔法専攻の幼馴染も、新しく開発された合成魔法をお披露目するって自信満々に言ってた。」


「お前も、従者専攻の技能競技会、出るんだろ?」


「お嬢様に許可をもらえればな。去年は散々でいいとこなしだったからな。挽回の機会を得られるといいが。」


「今年はどこまで順位を上げられるんだか。まあ、応援はしてやるけどよ。」


 そんな話を耳にしながら、ボミネイは生徒会室の前まで来た。


 ロザリンドが扉を軽く叩く。


「ションア家令息、ボミネイ様をお連れしましたわ。」


「どうぞ。お入りになって。」


 室内からアリザリンの返事があった。


 ロザリンドが扉を開ける。


 ボミネイが中へ入ると、室内には生徒会の役員たちが集まっていた。


 中央の席には、王太子セルリアン。


 その隣には副会長のアリザリン。


 ロザリンドは、計算機の置かれた席に腰を下ろした。


 机の上に会計の札が見える。


 書類を手にしたクリムゾンは立って、黒板に文字を書いている。


 彼女の席と思われる机には書記の札が置かれていた。


「来たか、ボミネイ君。そこに掛けたまえ。」


 セルリアンは向かいの椅子を示した。


 ボミネイが指示された席に座ると、セルリアンが笑顔を向けた。


「急に呼び出してすまない。」


「……いえ。」


「実は、君に頼みたいことがある。」


 ボミネイは黙ってセルリアンを見る。


「正確には、ボミネイ君個人にというより、ションア家にだ。」


 セルリアンはクリムゾンに合図を送った。


 クリムゾンが机の上に置かれていた一枚の書類を手に取り、ボミネイへ差し出す。


「どうぞ。」


「学院祭についてだ。」


 ボミネイは書類を受け取った。


「今年の学院祭でも、例年通り、学院に通う貴族の子息や令嬢の実家に出店をお願いしている。」


 セルリアンは、机の上に広げられた資料へ視線を落とす。


「今年は例年に比べて、出店してくれる生徒の実家が少ないんだ。昨年まで出店を頼んでいた名家には、昨年卒業した生徒の実家が多くてな。」


「……そうなんですか。」


「そこで、アリザリン嬢からションア家の名が挙がったのだ。」


 セルリアンが隣へ視線を向ける。


 アリザリンは静かに頷いた。


「はい。先日のわたくしの父の急な訪問にも、ボミネイ様が中心となって準備し、適切に対応してくださったと聞いております。その手腕を発揮していただけるのではないかと考えました。」


 アリザリンは、ボミネイの反応をうかがうように視線を向けた。


 ボミネイは一度だけ彼女を見てから、書類へ目を戻す。


「ションア家に学院祭への出店をお願いしたいと考えたわけだ。」


 セルリアンは机の資料に並べられた各貴族家の紋章から、ションア家の紋章を指で示した。


「王都にあるションア家の別邸は、学院からも近い。準備を進めるうえでも都合が良いだろう。」


 セルリアンは一度言葉を切った。


「実は先日、通信魔法を通じてションア伯爵にも話をさせてもらった。家としての出店の許可はいただいている。」


「……父上が?」


「ああ。ただし、実際に引き受けるかどうかは、ボミネイ君の判断に任せると言われていてね。」


 ボミネイは黙った。


 書類へ視線を落とす。


 そこには、学院祭への出店依頼について記されていた。


 出店場所や回答期限だけでなく、学院祭当日の規定や、出店にあたっての注意事項もまとめられている。


 しばらく黙って読んでいたボミネイが、顔を上げた。


「……これは、王太子としての命令でしょうか?」


「いや、あくまでお願いだ。」


 セルリアンは穏やかに答えた。


「ぜひ、君に任せたい。もちろん、生徒会も全面的に協力することを約束しよう。」


「アップホールド家としても支援いたします。父から、そのようにせよと仰せつかっております。」


 アリザリンも続けて言った。


「……。」


 ボミネイは、再び書類へ視線を落とす。


 正直なところ、あまり気は進まなかった。


 自分が何かを売る姿など、想像もつかない。


 ましてや、貴族家の出店ともなれば、商品の準備だけでなく、当日の運営や使用人たちの手配も必要になるだろう。


 自分一人でどうにかできる話ではなかった。


「……引き受けるかどうかは、家で相談してからでもよろしいでしょうか。」


「もちろんだ。」


 セルリアンは頷いた。


「引き受けてくれるかどうか、期日までに回答してくれたまえ。使用人たちと相談して、決めてもらって構わない。」


「……分かりました。」


 ボミネイは書類を受け取った。


「こちらに出店場所と回答期限をまとめてあります。」


 クリムゾンが書類の一部を指した。


「分からないことがあれば、生徒会へ確認してください。」


「期待しているぞ。」


 セルリアンはもう一度、笑顔を向けた。


 ボミネイは書類を手に、一礼して生徒会室を後にした。


 廊下へ出る。


 手元の書類を見つめる。


「……店、か。」


 何を売ればいいのか。


 誰に相談すればいいのか。


 考えているうちに、ボミネイは小さく息を吐いた。


「……ターニップに相談するか。」


 まずは、それしか思いつかなかった。


挿絵(By みてみん)


キャラクターイメージ:AI生成画像を使用しています。

© 池田興継

お読みいただきありがとうございます。誤字脱字や設定の矛盾など、お気づきの点がありましたら、ぜひご報告ください。感想などもいただけると、とても励みになります。

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