第十六話「強襲」
ボミネイが謹慎を言い渡されてから、しばらく経った。
学院へ行くこともできず、王都別邸から出ることも許されていない。
それでも、ボミネイの日課は変わらなかった。
朝。
まだ日が昇りきらない庭で、ボミネイは一人、剣を振っていた。
「……。」
一度。
二度。
三度。
同じ動きを繰り返す。
謹慎中だからといって、鍛錬を休むことはなかった。
その様子を、屋敷の窓から一人の少女が見ていた。
セレラだった。
学院へ向かう支度を終えたセレラは、窓辺に立ったまま、庭の兄を眺めている。
「……今日もやってる。」
小さく呟く。
ボミネイは、毎朝欠かさず稽古をしていた。
学院へ行けない日も。
何か嫌なことがあった日も。
変わらない。
「おにいさま、すごいなぁ……。」
セレラは少し嬉しそうに笑った。
自分なら、謹慎になったら落ち込んでしまうかもしれない。
兄は違う。
何も言わず、いつも通り剣を振っている。
「やっぱり、おにいさまは尊敬できるな。」
セレラは兄の姿をしばらく見つめた。
夜会での出来事については、ターニップから聞いている。
ルタバガさんがマンバとかいう子爵の子息に侮辱されたこと。
兄がそれを見て怒ったこと。
その結果、謹慎になったこと。
「……謹慎になったのは、仕方ないのかもしれないけど。」
セレラは少し考える。
「でも、おにいさまが悪いとは思えない。」
少なくとも、ターニップから聞いた話ではそうだった。
兄は誰かを傷つけたくて怒ったわけではない。
ルタバガを守ろうとしただけだ。
「……おにいさまらしいな。」
セレラは微笑む。
庭からボミネイが剣を振る音が止まった。
ボミネイが顔を上げる。
窓辺に立っていたセレラと目が合った。
「……。」
セレラが手を振る。
「おにいさま、おはよう!」
ボミネイも軽く手を上げた。
「……ああ。」
「今日も稽古してるんだね。」
「……そうだな。」
「学院に行けなくても、ちゃんと続けてるんだ。」
「……。」
ボミネイは少しだけ剣を見る。
「……やることは、変わらないから。」
セレラはその言葉を聞いて、嬉しそうに笑った。
「うん。そういうところ、やっぱり尊敬する。」
「……そうか。」
「じゃあ、学院に行ってくるね。」
「……ああ。」
「おにいさまも、頑張ってね。」
「……気をつけて。」
「うん!」
セレラは笑顔で窓から離れた。
ボミネイはその背中を見送る。
そして、再び剣を構えた。
「……。」
朝の庭に、再び剣を振る音が響き始めた。
しばらくして。
屋敷の中からターニップが姿を見せた。
「ボミネイ様。お茶の用意ができています。」
「……分かった。」
ボミネイが剣を収める。
そのときだった。
屋敷の正門の方から、大きな声が響いた。
「たのもー!」
聞き覚えのある声だった。
ボミネイとターニップが顔を見合わせる。
ターニップが玄関へ向かう。
ボミネイも、その後を追った。
直後。
バァン!
玄関の扉が勢いよく開いた。
「邪魔するよ!」
一人の女性が堂々と入ってくる。
その後ろには、荷物を抱えた従者が数人ついていた。
「……。」
ボミネイが黙って見つめる。
ターニップは額を押さえた。
「……ハクレイ男爵。せめて先触れを。」
「細かいことはいいじゃないか!」
女性は豪快に笑った。
「ボミネイはいるかい?」
「……ここです。」
静かに小さく手を挙げた。
「おお!」
ハクレイがボミネイを見る。
ずかずかと近づいてくる。
ハクレイはボミネイの顔をじっと見る。
「久しぶりだねぇ、ボミネイ。」
「……お久しぶりです。」
「大きくなったねぇ。ずいぶんと男前になったじゃないか。わっはっはっはっ!」
ボミネイの背中を豪快に叩く。
「昔はチビすけで、ルタバガと一緒に走り回っていたのに。」
「……はい。」
「いやぁ、会いたかったよ!」
ハクレイは満面の笑みを浮かべた。
その後ろで、従者たちは荷物を抱えたまま立っている。
「立ち話もなんですから、応接室へどうぞ。」
ターニップが声を掛ける。
「そうだね。久しぶりにゆっくり話そうじゃないか。」
ハクレイは笑いながら応接室へ向かった。
ボミネイも、その後に続く。
ハクレイの従者たちが後に残る。
チコリが従者たちへ近づいた。
「お久しぶりです、皆さん。」
「チコリちゃんか。久しぶりだな。」
「お荷物はこちらでお預かりします。」
従者たちは荷物を渡す。
「こちらでお待ちください。」
チコリは従者たちを応接室の外にある待機場所へ案内する。
従者たちは静かに頭を下げた。
チコリは一礼すると、応接室へ戻った。
応接室。
ボミネイとハクレイ、ターニップが向かい合って座っている。
「ルタバガから聞いたよ!」
ボミネイが少しだけ目を瞬かせる。
「夜会でマンバに言い返したんだって?」
「……。」
「よくやった!」
ハクレイは笑いながら、ボミネイの肩をバシバシ叩いた。
「実にいい!」
「……。」
ボミネイは何も言わない。
コンコン。
「失礼いたします。」
扉が開く。
サルシファイが茶菓子と茶器を載せた盆を持って入ってきた。
「ハクレイ様がお見えになったと伺いましたので、お茶をお持ちしました。」
「ありがとうね。流石、仕事が早いね。サルシファイは。」
ボミネイではなくなぜかハクレイが答える。
「それと、サルシファイ。昔から何度も言ってるけど、あたしに『様』はいらないよ。アフェシアも言ってただろ。」
「ふふっ。そういうわけにはまいりません。」
「まったく、昔から堅いんだから。」
ハクレイは呆れたように笑った。
母とハクレイ、サルシファイは学友で旧知の中である。
サルシファイはテーブルへ茶と茶菓子を並べる。
その手際に、慌てた様子はない。
サルシファイが一礼して下がろうとしたところで、ターニップが従者から預かった包みをテーブルへ置いた。
「こちらをお預かりしております。」
「そうそう。それもあったね。」
ハクレイが包みを見る。
「ナヴェ家からの詫び品です。」
「うちの娘が巻き込んでしまったようなものだからね。」
ボミネイも包みに目を向ける。
「受け取っても?」
「もちろん。」
ボミネイが頷く。
「ありがとうございます。」
「なに。こっちこそ、ルタバガのために怒ってくれてありがとうってところさ。」
ハクレイがボミネイを見る。
「謹慎になったことと、やったことの良し悪しは別だろう?」
「……。」
「ルタバガが侮辱されたんだろう?」
「……はい。」
「だったら怒るさ!」
ハクレイは胸を張った。
「しかも相手がマンバだ。あの子は昔から、ちょっとばかり鼻が高いからね。」
「……。」
「それを真正面から叱ったんだろう?」
ハクレイはボミネイを見る。
「あたしは、そういうの好きだよ。」
その言葉には、迷いがなかった。
「よくやったね、ボミネイ。」
ボミネイは少しだけ視線を逸らした。
「……ありがとうございます。」
「うんうん。礼儀もいい。」
ハクレイは満足そうに頷いた。
廊下の向こうからコールラビが姿を見せた。
手には洗濯物が抱えられている。
「あら。」
ハクレイがコールラビを見る。
コールラビも足を止めた。
「……。」
コールラビは、軽く頭を下げた。
ハクレイはコールラビをじっと見る。
それから、ボミネイを見る。
もう一度、コールラビを見る。
「おや?」
「……。」
「新しい女かい?」
「……?」
ボミネイが首を傾げる。
コールラビの眉がぴくりと動いた。
「隅に置けないねぇ、ボミネイ!」
「……違います。」
ボミネイが即答する。
「なんだ、違うのかい。」
ハクレイは残念そうな顔をする。
「でも、いいじゃないか。」
「……何がですか。」
「ルタバガといい、この子といい。」
ハクレイは楽しそうに笑う。
「ボミネイは女の子に縁があるんだねぇ。」
「……。」
「これは将来が楽しみだ。」
「……そういう話ではありません。」
「まあまあ。」
ハクレイは全く気にしていない。
何の気負いもなく、コールラビへ近づいていく。
「名前は?」
「コールラビです。」
「そうかい。よろしくね。」
「……はい。」
ハクレイは再びボミネイを見る。
「いい子じゃないか。」
「……。」
「ルタバガもいい子だよ。」
「……はい。」
「だったら、どっちも大事にしな。」
「……。」
ボミネイは困ったように黙り込む。
コールラビはそんなボミネイを見て、少しだけ口元を緩めた。
「……大変ですね。」
「……ああ。」
ボミネイが小さく答える。
その様子を見て、ハクレイはさらに楽しそうに笑った。
「ははは! なんだ、照れてるのかい?」
「……違います。」
「そうかい?」
ハクレイは笑いながら、ふと真面目な顔になった。
「それはそうと、ボミネイ。」
「……はい。」
「ルタバガのこと、これからも頼むよ。」
「……。」
「うちの娘は騎士になるって張り切ってるけどね。」
ハクレイは少しだけ遠くを見るような目をした。
「本当は、私がずっとそばにいてやりたいんだ。」
「……。」
「でもあたしは領地にいなきゃならない。ルタバガは学院にいる。」
ハクレイは肩をすくめる。
「仕方ないとは分かってるんだけどねぇ。」
「……カルティベイトさんにはもうお会いに?」
「まだだよ。」
カルティベイトの話題になった途端、ハクレイの顔が明るくなった。
「今日の夜、やっとカルティベイトに会える。」
「……。」
「私も王都にいたいんだけどねぇ。」
「……。」
「領地の仕事があるから帰らなきゃいけない。」
「……。」
「嫌なんだよ。」
「……。」
ハクレイは真顔で言った。
「カルティベイトとルタバガと離れて暮らすの、嫌なんだよ。」
ターニップが小さく咳払いをする。
「……ハクレイ男爵。」
「何だい?」
「それも領主としてのお務めかと存じます。」
「分かってるよ!」
ハクレイは不満そうに頬を膨らませた。
「だから仕方なく帰ってるんじゃないか。」
それから、またボミネイを見る。
「まあ、ルタバガのことは頼んだよ。」
「……はい。」
「それと。」
ハクレイがにやりと笑う。
「女の子を泣かせるんじゃないよ?」
「……。」
ボミネイは答えなかった。
コールラビが横で小さく笑う。
「……本当に、大変ですね。」
「……そうだな。」
ボミネイは静かに答えた。
その日の午後。
ションア家王都別邸には、ハクレイの笑い声がしばらく響いていた。
キャラクターイメージ:AI生成画像を使用しています。
© 池田興継
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