第十五話「奴隷」
王都の大通りから少し外れた場所に、その店はあった。
大きな看板は出ていない。
周囲の店と比べても、目立つような建物ではなかった。
扉の脇に小さく掲げられた紋章が、この店が何を扱っているのかを示している。
ボミネイは扉の前で立ち止まった。
「ここです。」
隣に立つターニップが言う。
「……そうか。」
ボミネイは扉を見る。
自分から奴隷商を訪れるのは初めてだった。
何となく、もっと物々しい場所を想像していた。
実際には普通の店と大きく変わらない。
「行きましょう。」
ターニップが扉を開けた。
「いらっしゃいませ。」
中から男の声が聞こえる。
店内には何人かの人間がいた。
その中には、使用人らしい服装をした者もいる。
ボミネイは店の中を見回した。
店主らしい男が近づいてくる。
「お客様は……貴族の方ですね。」
「ションア家です。」
ターニップが答える。
男の表情が少し変わった。
「これは失礼いたしました。」
ボミネイは小さく頷いた。
「侍女を探している。」
「かしこまりました。年齢や種族、能力など、ご希望はございますか?」
「……特にない。」
ボミネイは少し考える。
「すぐに屋敷で働ける人がいい。」
「承知いたしました。少々お待ちくださいませ。おすすめを連れて参ります。」
店主は慣れた様子で店の奥へ向かった。
しばらくして。
「こちらはいかがでしょう。」
一人の少女が連れてこられた。
ボミネイより背丈がある。
長い耳が頭の上から伸びている。
兎の獣人だった。
少女は不機嫌そうな顔をしていた。
何もかも諦めているような顔だった。
店主が紹介する。
「コールラビ。兎人族。十五歳です。読み書きと簡単な家事はできます。以前も貴族家で働いていた経験があります。」
「……。」
コールラビは黙っている。
「どうです?」
店主が尋ねる。
ボミネイは少女を見る。
「……本人は、働きたいのか?」
店主が少し驚いた。
「本人の意思、ですか?」
「……ああ。」
「奴隷ですから、基本的には主人の命令に従います。」
「そういうことではない。」
ボミネイの言葉に、店主が黙る。
コールラビが初めてボミネイを見た。
「……別に。」
「……。」
「働きたくないって言っても、働かされるんでしょ。」
声に覇気がない。
諦めきったような言い方だった。
「だったら、どっちでもいいです。」
ターニップが眉を寄せる。
しかし、ボミネイは怒らなかった。
「……そうか。」
「はい。」
「仕事はできる?」
「普通には。」
「料理は?」
「簡単なものなら。」
「掃除は?」
「できます。」
「洗濯は?」
「できます。」
淡々と答える。
必要なことだけ。
それ以外は何も言わない。
ボミネイは少し考えた。
「……ターニップ。」
「はい。」
「別邸で働いてもらうなら、問題はないと思うか?」
「仕事の能力についてなら、問題ないと思います。」
ターニップはコールラビを見る。
「ただ、本人の性格については……。」
「……何ですか?」
コールラビが横から口を挟んだ。
「私、面倒な性格ですよ。」
「自分で言うんですね。」
「だって本当ですから。」
コールラビは肩をすくめる。
「愛想もないし、主人に媚びる気もありません。期待しない方がいいですよ。」
店主が慌てて口を挟む。
「こ、コールラビ。お客様にそのような言い方は……。」
「事実じゃないですか。」
「……。」
ボミネイはコールラビを見つめる。
彼女は目を逸らさなかった。
その目には、諦めの色が見える。
さらにボミネイは見つめる。
そこにあったのは諦めきった目ではなかった。
少なくとも、自分のことを自分で語る程度の意思は残っている。
「……分かった。」
「何がです?」
「君にする。」
「……は?」
コールラビが間の抜けた声を出した。
「本当に?」
店主が確認する。
「……ああ。」
「ありがとうございます。ありがとうございます。では、こちらが契約書になります。」
商人は揉み手をしながら、愛想のよい笑みを浮かべ、書類を見せてきた。
ターニップが内容を確認する。
ボミネイはその横で黙って待っていた。
必要な人員を確保する。
それが今回、自分が決めたことだった。
やがて手続きが終わる。
「それでは、最後に奴隷契約を成立させます。」
「……奴隷紋を刻むんじゃないのか?」
ボミネイが尋ねる。
「はい。奴隷紋を刻むことで、契約が成立します。ただし、そのためには主人となる方の血が必要です。」
「……血?」
「はい。」
店主が小さな器具を取り出す。
「ほんの少しで結構です。」
ボミネイは器具を見る。
「……分かった。」
店主がボミネイの指先に小さな傷をつける。
赤い血が、ほんの少しだけ滲んだ。
店主はそれを小さな器へ受ける。
そして、コールラビへ向き直った。
「では、契約を始めます。」
店主がコールラビの左手を取る。
指先を軽く宙へ向けた。
淡い光が指先に集まった。
魔力だった。
小さな光がいくつも重なり、空中に複雑な紋様を描いていく。
店主は器に入ったボミネイの血を、その紋様へ垂らした。
血が光に触れた瞬間。
紋様が強く輝いた。
ボミネイは黙って見つめる。
光がコールラビの手首へ近づいていく。
「……。」
コールラビは黙ってそれを見ていた。
光が皮膚へ触れた。
「……っ。」
コールラビの肩がわずかに震えた。
線が一本。
また一本。
複雑な紋様が、魔法によって刻まれていった。
血が出るわけではない。
やがて光が消える。
そこには、小さな紋様が残っていた。
「これで契約は完了です。」
店主が手を離す。
コールラビは自分の手首を眺めた。
「……また増えた。」
「……。」
その言葉に、ボミネイは彼女を見る。
「前にも?」
コールラビは静かに頷いた。
「奴隷ですから。」
それ以上、何も言わなかった。
手続きが終わった後、店主が書類を片付ける。
「ありがとうございました。コールラビは本日よりションア家の所有となります。」
「……。」
ボミネイはコールラビを見る。
自分が彼女を買った。
その事実を、今になって少しだけ実感した。
店の奥には、まだいくつもの部屋がある。
ボミネイはそちらを見た。
「……あそこにも、いるのか?」
店主が振り返る。
「はい。ご覧になられますか?」
「……ああ。頼めるか。」
ターニップが少し驚いた顔をする。
「ボミネイ様?」
「……少し、見たい。」
興味本位だった。
自分が今まで知らなかったものを、見てみたい。
それだけだった。
店主は三人を店の奥へ案内した。
廊下を進むと、空気が少し変わった。
先ほどまでの空間とは明らかに違う暗くどんよりした空気が流れていた。
静かだった。
やがて、いくつかの鉄格子が見えてくる。
その向こうに、人がいる。
椅子に座っている者。
壁にもたれている者。
何もせず、ただ床を見つめている者。
ボミネイは足を止めた。
「……。」
檻の中から、いくつもの視線が向けられる。
その中には、大人もいれば、ボミネイとそう年齢の変わらない者もいた。
「こちらは戦闘奴隷です。」
店主が説明する。
「こちらは農作業向きの者。そして、あちらは使用人として売りに出している者です。」
ボミネイは一つ一つの檻を見る。
誰かがこちらを睨んでいる。
誰かは興味なさそうに目を逸らす。
一人の少女が、檻の隅で膝を抱えていた。
ボミネイはしばらくその少女を見つめた。
「……。」
少女は顔を上げない。
「……ここにいる人たちは、ずっとここにいるのか?」
「売れるまで、基本的にはこちらで生活していただきます。」
「……そうか。」
ボミネイは檻を見る。
鉄格子。
その向こうに、人がいる。
さっきまで自分が買ったコールラビも、少し前まではこの中にいたのだろう。
そう考えると。
胸の奥に、何とも言えない感覚が残った。
「……ボミネイ様。」
ターニップが静かに声を掛ける。
「……もういい。」
「はい。」
ボミネイは踵を返す。
その後ろからコールラビがついてくる。
「……。」
コールラビは何も言わなかった。
ただ、店を出る直前。
一度だけ、後ろを振り返った。
そして、すぐに前を向いた。
外へ出る。
王都の喧騒が戻ってくる。
三人は並んで歩いた。
ボミネイは隣を歩くコールラビを見る。
人の波が横から押し寄せてきた。
「……っ。」
コールラビの身体が少しよろめく。
ボミネイが反射的に手を伸ばした。
その手が、コールラビの手に触れる。
ほんの一瞬だった。
コールラビの身体が、ぴたりと止まった。
「……え?」
頭の中に、言葉が響いた。
声ではない。
誰かの本心だと分かる。
コールラビは目を見開いた。
そこにあったのは、今まで自分が向けられてきた視線とは違うものだった。
まして、能力や家事の腕を評価したものでもない。
もっと単純なものだった。
見た目が好みだった。
その事実が、何の飾りもなく伝わってくる。
「……。」
コールラビは固まったまま、ボミネイを見る。
ボミネイは何も気づいていない。
ただ、手を離した。
「……大丈夫か?」
「……。」
「コールラビ?」
「……え?」
「どうかしたのか?」
「……いや。」
コールラビは目を逸らした。
「何でもないです。」
「……そうか。」
ボミネイはそれ以上、気にしなかった。
再び歩き始める。
コールラビも、その後ろを歩く。
さっきの感情が、頭から離れなかった。
「……。」
自分の耳に触れる。
そして、小さく呟いた。
「……見た目、ねぇ。」
隣を歩く少年を見る。
本人は何も知らない。
ただ静かに前を向いて歩いている。
コールラビは小さく息を吐いた。
「……変な人。」
それ以上は、何も言わなかった。
王都の喧騒の中を、三人は歩き続けた。
ボミネイは、自分の能力が発動したことにも。
自分の本音がコールラビに伝わったことにも。
気づいていなかった。
キャラクターイメージ:AI生成画像を使用しています。
© 池田興継
お読みいただきありがとうございます。誤字脱字や設定の矛盾など、お気づきの点がありましたら、ぜひご報告ください。感想などもいただけると、とても励みになります。




