第十四話「人手」
公爵の訪問が終わってから、数日が経った。
王都別邸には、少しずつ普段の空気が戻っていた。
公爵を迎えるために領地から来ていた使用人たちも、すでに領都へ戻っている。
大勢の人間で埋まっていた屋敷が、本来の人数に戻っている。
朝。
ボミネイが自室から出ると、廊下の向こうから声が聞こえてきた。
「チコリ。」
「はい。」
「今、何をしていますか?」
「……お掃除です。」
「それは見れば分かります。」
「じゃあ、聞かなくてもいいじゃないですか。」
「口答えしない。」
「はい……。」
ボミネイは足を止める。
声の主はサルシファイだった。
その前では、チコリが箒を持って立っている。
「昨日も言いましたね。」
「何をですか?」
「廊下を掃除するときは、端から順番に。」
「やってます。」
「では、なぜ中央だけ綺麗なのです?」
「……。」
チコリが床を見る。
確かに、廊下の中央だけ妙に綺麗だった。
「人が歩くところから掃除した方が効率的かなって。」
「それでは端に埃が残るでしょう。」
「でも、誰も歩かないですよ?」
「歩かなくても埃は溜まります。」
「……。」
「それに。」
サルシファイはチコリの箒を指差す。
「持ち方が違います。」
「え?」
「その持ち方では腕が疲れます。」
「でも、普通に掃けますけど。」
「今は、でしょう。」
サルシファイはため息をついた。
「昔からそうですね。あなたは。」
「昔から?」
「子供の頃から、効率ばかり考えて。」
「効率って大事ですよ。」
「手を抜くこととは違います。」
「手は抜いてません。」
「では、昨日のティーカップの件は?」
「……あれは。」
チコリが目を逸らす。
「何です?」
「ちょっと数が多かったので……。」
「ティーカップを一度に運びすぎて、三つ割ったでしょう。」
「……はい。」
「どうして黙っていたのです?」
「怒られると思って。」
「当たり前です。」
「やっぱり怒るんじゃないですか!」
「怒るのと叱るのは違います。」
「同じです!」
サルシファイの眉がぴくりと動いた。
「……チコリ。」
「はい。」
「あなたは、もう少し慎重になりなさい。」
「……はい。」
「ボミネイ様のお側に仕えるのですから。」
「分かってます。」
「本当に?」
「分かってますって。」
チコリが頬を膨らませる。
サルシファイはしばらくチコリを見つめていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……まったく。」
そう言いながら、チコリの髪についた小さな埃を取った。
「ほら。」
「え?」
「髪に埃がついています。」
「……。」
チコリは少し照れたように笑う。
「ありがとうございます。」
「礼を言う前に、自分で気づきなさい。」
「はい。」
「まったく……。フェンネルも、あなたのことを随分と心配していましたよ。」
「フェンネル姉様が?」
「ええ。妹をよろしくお願いしますと、何度も頭を下げていました。」
「もう八年も前の話じゃないですか。」
「私には、つい昨日のことのように思えます。」
「姉様も、赤ちゃんができて田舎に帰ってから、すっかりお母さんですからね。」
「あなたも少しは見習いなさい。」
「ええっ!? そこにつながるんですか!?」
サルシファイは何も答えず、静かに微笑んだ。
その様子を、ボミネイは少し離れたところから見ていた。
サルシファイは厳しい。
いつも冷静で、滅多なことでは表情を変えない。
チコリに向ける言葉には、他の使用人に対するものとは少し違うものがあった。
まるで、娘を叱る母親のようだった。
「……ボミネイ様。」
チコリがこちらに気づく。
「あ。」
サルシファイも振り返った。
「おはようございます、ボミネイ様。」
「……おはよう。」
「申し訳ございません。朝から騒がしくしてしまいました。」
「……構わない。」
「チコリが仕事を疎かにしていたわけではございませんので。」
「ちょっと待ってください。」
チコリが慌てて口を挟む。
「今の話、私が悪いみたいになってません?」
「悪いとは言っていません。」
「でも、そういう言い方でしたよね?」
「事実を申し上げただけです。」
「サルシファイさん、絶対私のこと嫌いですよね。」
「……。」
サルシファイが黙る。
チコリも黙る。
数秒。
「……なぜ、そうなるのです?」
「だって、いつも怒るじゃないですか。」
「あなたが心配だからです。」
「え?」
チコリが目を丸くした。
サルシファイは少しだけ視線を逸らす。
「……あなたは昔から、無茶をしますから。」
「……。」
「怪我でもしたら、困ります。」
「サルシファイさん……。」
「それだけです。」
サルシファイは淡々と言う。
チコリは嬉しそうに笑った。
「……お母さんみたい。」
「誰がお母さんですか。」
「違うんですか?」
「違います。」
「じゃあ、お母さんじゃないんですね?」
「……。」
サルシファイの眉がぴくりと動く。
「チコリ。」
「はい。」
「掃除を続けなさい。」
「はーい。」
チコリは笑いながら箒を持ち直した。
サルシファイはそんなチコリを見て、小さく息を吐く。
その表情は、ほんの少しだけ柔らかかった。
ボミネイは二人を見ながら、静かに廊下を歩き始めた。
その後。
屋敷の中を歩いているうちに、ふと気づいた。
以前より、使用人の数が少ない。
厨房ではアーティチョークとリーキが忙しそうに動いている。
掃除をしているメイドの姿も、以前より少ないように感じた。
ボミネイは足を止める。
「……。」
しばらく考えてから、近くにいたターニップを見る。
「ターニップ。」
「はい。」
「……人が、少ないな。」
「公爵様をお迎えするために、領地から来ていた方々が戻られましたから。」
「……ああ。」
ボミネイは屋敷の中を見回す。
公爵が来る前は、それが普通だった。
一度大勢の人間がいる状態を見た後では、違いがよく分かる。
「……今の人数で、問題はないのか?」
「生活するだけなら、問題はありません。」
ターニップは少し考えてから続ける。
「ただ、余裕はありません。」
「余裕?」
「はい。誰か一人が休めば、その分だけ他の者に負担が掛かります。」
「……そうか。」
ボミネイはしばらく考えた。
「……執務室へ行こう。」
「はい。」
ボミネイはターニップを伴い、廊下を進んだ。
やがて、執務室へ入る。
ベッドのある自室とは別に設けられた、ボミネイのための部屋だった。
中央には執務机が置かれている。
その上には、以前、骨董市で買ったお気に入りの箱型の木製の歯車時計がある。
ボミネイは執務机の前に座る。
ターニップも、その向かいに立った。
ボミネイは考える。
王都別邸の管理。
それは、ションア家の嫡男にとって、ただ屋敷で暮らすという意味ではない。
代々、嫡男が別邸を管理する。
領地を治める前に、まずは身近な場所で人を動かし、必要なものを判断する。
父から何度も聞かされていたことだった。
ボミネイは今まで、それを深く考えたことがなかった。
今、自分が屋敷を見ている。
使用人の人数を考えている。
誰かの負担を考えている。
それもまた、嫡男として必要なことなのだろう。
「……増やせるのか?」
「はい。」
「誰か、必要なのか?」
「以前から、もう一人ほど侍女を増やす話は出ていました。」
「……そうなのか。」
「今の人数でも屋敷を維持することはできます。ただ、余裕がありません。」
ボミネイは黙って考える。
「……ターニップ。」
「はい。」
「どうやって探す?」
ターニップは少し考える。
「いくつか方法がございます。」
「……聞かせてくれ。」
「まずは、王都で募集する方法です。条件を提示して応募していただき、面談などで人柄や能力を確認します。」
「……時間がかかりそうだな?」
「はい。条件に合う方がすぐに見つかるとは限りません。」
ボミネイは黙って聞いている。
「次に、農村などから人を迎える方法もございます。幼い者や若い者を見習いとして雇い、一から仕事を教えていくこともできます。」
「……それなら、長く仕える人間を育てられるのか。」
「はい。ただし、一人前になるまでには時間が必要です。」
「……なるほど。」
「そして、奴隷商から探す方法もございます。」
ボミネイがターニップを見る。
「奴隷商からであれば、すぐに人を確保できます。」
「……。」
「ただし、紹介される者の事情や能力については、店によって確認できる範囲が異なります。また、本人との相性まで分かるわけではありません。」
「それぞれ、良いところと悪いところがあるんだな。」
「はい。」
ターニップは頷く。
「時間をかけられるのであれば、募集や見習いから育てる方法もございます。」
「……。」
「ですが、今の屋敷には余裕がありません。すぐに人手が必要なのであれば、奴隷商が最も早い方法かと。」
ボミネイはしばらく黙って考える。
先ほど見た屋敷の様子を思い返す。
忙しそうに働く使用人たち。
誰かが休めば、その分だけ他の者に負担が掛かる。
「……今は、時間をかけられない。」
「はい。」
ボミネイはターニップを見る。
「……奴隷商へ行こう。」
「承知しました。」
ターニップは頷いた。
キャラクターイメージ:AI生成画像を使用しています。
© 池田興継
お読みいただきありがとうございます。
【予告】10月30日から11月3日まで、5日間の連続投稿を予定しています!今回は週末・祝日に合わせて、いつもより少し多めにお届けします。
10月30日(金)2話公開
10月31日(土)2話公開
11月1日(日)1話公開
11月2日(月)2話公開
11月3日(火・祝)1話公開
楽しんでいただければ嬉しいです。
世間はハロウィンですね。
私は残念ながら仕事ですが……皆様、どうぞよい休日を!
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