第十三話「来訪」
予定されていた時刻より少し前。
ションア家王都別邸の正門の外に、簡素な馬車が止まった。
公爵家の紋章は隠されている。
しかし、先触れがあった以上、屋敷側は誰が来るのかを知っている。
パースニップを先頭に、使用人たちが正門の前に並ぶ。
その中には、ボミネイとセレラの姿もあった。
やがて馬車から、一人の男が降りてくる。
簡素な服装をしている。
それでも、その立ち居振る舞いには隠しきれない威厳があった。
ボミネイが一歩前へ出る。
そして、深く一礼した。
「……ようこそお越しくださいました。アップホールド公爵閣下。」
「出迎えご苦労。」
「父は本来、直接こちらへ来る予定でした。しかし、領都を離れられない情勢だとのことです。」
「そうだったか。」
「そのため、通信魔法を用意しております。」
公爵はボミネイへ視線を向ける。
しばらく、その姿を眺めていた。
「……君がボミネイ君か。」
「……はい。」
「そうか。」
公爵は小さく頷く。
「今日は堅苦しい挨拶は不要だ。」
「承知いたしました。」
「では、屋敷へ案内してもらおう。」
「かしこまりました。」
ボミネイは一礼する。
ボミネイの案内で公爵が屋敷へ向かう。
パースニップと公爵家の護衛や使用人も、それに続く。
セレラとションア家の使用人はその場に残った。
案内を終え、ボミネイが自室へ戻ろうとする。
「ボミネイ様。」
ターニップが声を掛けた。
「……何だ。」
「執事長から、応接室へ呼ばれるまで待機するようにとのことです。」
「……分かった。」
ボミネイは頷いた。
応接室。
公爵は中央のソファへ腰を下ろしていた。
向かいには、通信魔法によって繋がったボリュ・ションアの姿が映し出されている。
パースニップが二人の間にあるテーブルへ茶を用意すると、一歩下がった。
「改めまして。ようこそお越しくださいました、アップホールド公爵閣下。」
「急な訪問ですまない。」
「お気になさらず。先触れもいただいております。」
ボリュは通信越しに軽く頭を下げる。
「さて……。」
公爵は茶へ手を伸ばす。
「先日の夜会では、少々騒ぎになったようだな。」
「ええ。息子からも報告を受けております。」
「ションア伯爵としては、あの件をどう見ている?」
「息子には、学生として軽率な行動だったと伝えております。」
「なるほど。」
公爵は静かに頷く。
「しかし、相手方にも相応の事情があったと聞いている。」
「……ご配慮、痛み入ります。」
「いや。私が言いたいのは、そこではない。」
公爵は茶を一口飲む。
「若い者同士の諍いなど、貴族社会では珍しくない。」
「そうですな。」
「ただ、時として、本人たちの問題だけでは済まなくなることもある。」
ボリュの表情が僅かに引き締まる。
「……。」
「夜会での一件が、どのような形で広まっているか。私にもすべてを把握できているわけではない。」
「私も同様です。」
「そうだろうな。」
公爵は少し笑う。
「だからこそ、先に伝えておこう。」
公爵の声が少し低くなる。
「もしションア家が、今回の件で何かと面倒なことに巻き込まれるようなら、遠慮なく声を掛けてくれ。」
「公爵閣下に、そのようなお手を煩わせるわけにはまいりません。」
「そう言うと思ったよ。」
公爵が苦笑する。
「だから、こちらから手を差し出しておく。」
「……。」
「アップホールド家として、ションア家との縁を粗末にするつもりはない。」
ボリュはしばらく黙っていた。
やがて、静かに頭を下げる。
「……ありがたく、心に留めておきます。」
「ああ。」
公爵も頷く。
「それでいい。」
しばし、静かな時間が流れた。
ボリュは公爵を見つめる。
「しかし、そこまでのお気遣いをいただけるとは……。」
「気にする必要はない。」
「そういうわけには。」
「いや。」
公爵は小さく笑った。
「私にも、私なりの考えがあるだけだ。」
「……なるほど。」
ボリュはそれ以上追及しなかった。
公爵が何を考えているのか。
すべてを語っているわけではないことくらい、分かっている。
公爵がふと顔を上げた。
「さて。」
「はい。」
「本題に入ろう。」
「……ボミネイですか。」
ボリュが確信をもって答える。
「そうだ。私は今日、ボミネイ君に会いに来たんだ。」
「……やはりそうでしたか。」
「数少ない趣味の一つでね。」
公爵は楽しそうに笑う。
「学院での話を聞いていてね。一度、直接話をしてみたいと思っていた。」
「なるほど……。」
ボリュは息を吐く。
「それでしたら、どうぞ。息子を呼びます。」
「頼む。」
ボリュはパースニップへ視線を向ける。
「パースニップ。」
「はい。」
「ボミネイを呼んでくれ。」
「承知いたしました。」
パースニップが応接室を出ていく。
しばらくして。
扉が静かに開いた。
「失礼いたします。」
ボミネイが入ってくる。
そのまま公爵の前まで進み、深く一礼した。
「お呼びでしょうか。」
「来たか。」
公爵が笑う。
そのとき、部屋の隅に控えていた女性が、わずかに目を見開いた。
「……あら。」
ボミネイが顔を上げる。
女性の顔には、火傷の痕が残っていた。
「……あなたは、あのときの。」
女性が小さく呟いた。
ボミネイも、その顔に見覚えがあった。
以前、王都の街で荷物を落として困っていた女性。
拾うのを手伝ったことがある。
「……あのときの方ですか。」
「ええ。先日はありがとうございました。」
女性は穏やかに微笑み、一礼した。
「改めまして。アップホールド家に仕えております、ポメグラネートと申します。」
「……ボミネイ・ションアです。」
「存じております。」
ポメグラネートは小さく微笑んだ。
公爵が二人を交互に見た。
「なんだ。知り合いだったのか?」
「はい、閣下。以前、王都の街で助けていただいたことがございます。」
「ほう。」
公爵は興味深そうにボミネイを見る。
「君は、うちのポメグラネートとも縁があったのか。」
「……偶然です。」
「そうか、そうか。」
公爵は楽しそうに笑った。
「ますます君に興味が湧いてきたよ。」
ボミネイは、どう答えればよいのか分からず、黙っていた。
ポメグラネートはそんな少年を見つめながら、以前、触れた手から伝わってきた彼の本心を思い出していた。
あのとき、少年が自分に向けてくれた純粋な気遣い。
その気持ちは、今もはっきりと覚えている。
ボミネイは公爵の向かいにあるソファへ腰を下ろす。
通信魔法の向こうでは、ボリュがその様子を見つめていた。
「ボミネイ。」
「……はい。」
「公爵様のお話をよく伺いなさい。」
「……分かりました。」
「では、私はこれで失礼します。」
「待ってくれ。」
公爵が声を掛ける。
「伯爵も、そのままいてくれて構わない。」
「お気遣い、痛み入ります。」
ボリュは一礼する。
「ですが、現在の情勢を考えれば、領都の務めに戻らなければなりません。」
「……そうか。」
公爵は少し考える。
「それなら、仕事に戻ってくれ。こちらは私に任せてもらおう。」
「承知いたしました。」
ボリュはボミネイへ視線を向ける。
「ボミネイ。失礼のないようにな。」
「……はい。」
「では、アップホールド公爵。失礼いたします。」
「ああ。」
ボリュは軽く頭を下げた。
通信魔法の光が徐々に薄れ、やがてその姿が消えていく。
ボミネイは、静かになった魔道具を一度見た。
それから、公爵へ視線を戻す。
「……。」
公爵が口を開く。
「さて。少し話をしようか。」
「……はい。」
「噂に聞いていたより、ずいぶん静かな少年だな。」
「……よく言われます。」
公爵が小さく笑う。
「そうか。」
「……?」
「思っていたより普通の少年だ。」
「……そうですか。」
「もっと荒々しい男を想像していた。」
「……。」
ボミネイの表情が僅かに固まる。
「有力な女騎士を押し倒したと聞いたからな。」
「……その話ですか。」
「ああ。」
公爵は楽しそうに笑った。
「まあ、詳しく聞けば、少し話が違うようだが。」
「……。」
「それでも、夜会で剣を抜きかけたことには変わりない。」
「……はい。」
「だが、それだけではない。」
公爵はソファに深く腰掛ける。
「学院での成績。剣術。魔法。ションア家の嫡男としての振る舞い。」
「……。」
「君については、いろいろと聞いている。」
ボミネイは黙って公爵を見る。
「私はな。才能のある若者を見るのが好きなのだ。」
公爵の目が少し輝いた。
「剣が得意な者。魔法が得意な者。頭の回転が速い者。人をまとめることに長けた者。」
公爵は楽しそうに続ける。
「そういう若者を見ると、つい会ってみたくなる。」
「……。」
「将来、どんな人間になるのか。それを考えるのも面白い。」
ボミネイは、少しだけ目を伏せた。
「……私も、そういう若者の一人ですか。」
「ああ。」
公爵は迷いなく頷く。
「君も、その一人だ。」
「……私が?」
「ああ。」
公爵は笑う。
「だから、会いに来た。」
ボミネイは少しだけ考える。
「……そうですか。」
「それだけか?」
「……はい。」
公爵は一瞬黙った。
そして、楽しそうに笑った。
「面白いな、君は。」
ボミネイは答えなかった。
ただ、黙って公爵を見ていた。
謹慎中の自分を訪ねてきた公爵。
その目的は、まだ分からない。
少なくとも、怒らせるために来たわけではなさそうだった。
公爵はそんなボミネイをしばらく眺めていた。
そして、ふと思い出したように口を開く。
「そういえば。」
「……?」
「アリザリンとは、学院で顔を合わせているのだったな。」
「……はい。」
「娘は、学院ではどんな様子だ?」
「……真面目です。」
「それだけか?」
「……。」
ボミネイは少し考える。
「……凛としていて、立派な人です。」
「ほう。」
公爵が僅かに目を細める。
「他には?」
「……。」
ボミネイは答えようとして、少しだけ迷った。
「……素敵な人だと思います。」
公爵の口元が僅かに緩む。
「そうか。」
それ以上、公爵は何も言わなかった。
どこか楽しそうにボミネイを見つめている。
ボミネイは、その視線の意味が分からなかった。
「改めて、挨拶をしておこう。」
公爵が立ち上がった。
ボミネイもそれに合わせて立ち上がる。
公爵が右手を差し出した。
ボミネイは一瞬だけその手を見る。
同じように右手を差し出した。
二人の手が重なる。
握手。
その瞬間。
ボミネイの中に、ふと一つの思いが浮かんだ。
少し、アリザリン嬢に似ている。
そう思った瞬間、学院での出来事が頭に浮かんだ。
食堂で平民の生徒とぶつかった、あの日。
その場を収めようとしたアリザリン。
あのときの姿が、今でも印象に残っている。
もう一度、話してみたい。
もっと彼女のことを知りたい。
そんな気持ちが、ボミネイの胸の奥にあった。
その感情が、握った手を通して公爵へ伝わる。
公爵の眉がわずかに動いた。
「……ん?」
ボミネイは、公爵の様子を不思議そうに見る。
公爵は、握手したままの手を見つめる。
そして、困惑したようにボミネイの顔を見た。
公爵の表情が、少しずつ変わっていく。
驚き。
困惑。
わずかな戸惑い。
「……ボミネイ君。」
「……はい。」
「今のは……どういう意味かな?」
「……?」
ボミネイは首を傾げる。
公爵は握ったままの手を見る。
それから、もう一度ボミネイの顔を見る。
公爵は困ったように笑った。
キャラクターイメージ:AI生成画像を使用しています。
© 池田興継
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