「タワー攻略戦(2)」Ⅴ
ーSide・進
九十八階。
タワー全体が低くきしみ、足元の金属階段がかすかに震えていた。
この揺れが建物そのものの悲鳴なのか、それとも下層で起きている衝撃が伝わってきているのかはわからない。
踊り場にたどり着いた俺は、体に貼り付いていたボロボロのプレートキャリーを乱暴に引きちぎるように外し、壁際へ投げ捨てた。
プレートの内側は汗と血で湿り、重さがやけに増していた。固定ベルトが切れかけていたせいで、もう役に立ちそうもない。身体を守るための役割なんてとうに果たしていない。防弾どころか、ただ動きを阻害するだけのゴミ……そう判断して捨てたのだ。
撃ち抜かれたような穴、爪痕のような傷跡。
戦場をくぐるたびに増えるこれらの痕跡が、前の階層での戦闘を否応なく思い出させる。
九十階――あの階で俺を待ち受けていたのは、“幹部”と呼ばれる連中のひとりだった。
ただし、人間じゃなかった。
巨大なホッキョクグマ……いや、シロクマと言うべきか。どうでもいいけど、とにかくデカい熊だった。
あの質量、突進力、そして筋肉の塊そのものの腕力。
爪をほんの少し振るだけで鉄板が紙みたいに裂かれる。
何度か殺されそうな目に遭った。
それでも俺が今、五体満足でここに立っているのは、このプレートキャリーがすべての致命打を受け止め、ギリギリのところで支えてくれたからだ。
……つくづく、運が良かった。
(……それにしても、サルタナのやつ。)
階段を上るたび、ふと脳裏に浮かぶのは一階ロビーで別れたロシア人の殺し屋サルタナの顔。
アイツとはつい最近殺しあった関係で、まだ短い付き合いだが、俺はサルタナのことをそこまで悪いやつじゃないと思っている。
まぁ、クールなイケメンで、いけすかないけどな……
“姉さん”を必ず見つけ出すとシスコン丸出しで息巻いていたが、うまくいっただろうか。
殺し屋としての実力も折り紙つきだし、勘の鋭い男だが……シスコンが暴走しないか、ないとは思うが少し不安が残る。
(見つけられてればいいんだけどな……)
九十九階を登り切った時、息は荒れ、汗が背中を伝って落ちた。
次が最後。
このタワーの天辺、イーゴリがいる場所。
そして――
俺の上司であり、救わなければならないたった一人。
恋人の世里奈が囚われている場所だ。
百階。
そこは今までとは異質だった。
天井はガラス張りで、夜景が足元まで降りてくるほどの高級感。
床には赤い絨毯が敷き詰められ、壁には巨大な抽象画が飾られている。
金色の縁がついたバーカウンター、シャンデリア、壁面スクリーン。
何を描いているのか理解できないくせに、やたらと値段が張りそうなオーラを放つ絵画が、このフロアの悪趣味さをさらに際立たせていた。
大富豪が“世界を見下ろすためだけ”に設計したような、嫌味なくらい豪華で悪趣味な空間。
タワーに突撃する前、サルタナが言っていた。
――『イーゴリは派手なものを好む。』
その言葉を、俺は思い出す。
(いやいや、派手すぎるだろよ……このブルジョアめ!)
と内心で呟く。
その派手で悪趣味なフロアの奥に、たったひとつの扉があった。
飾り金具は繊細な彫刻で、ドアノブには宝石のようなカット。
明らかに場違いなほど贅沢な造りだ。
だが、その奥にいるのはイーゴリと世里奈だろう。
俺は腰に触れ、残された武器を確かめる。
コルト・ガバメント.45
サバイバルナイフ一本。
――これだけ。
だが、ここまで来た以上、もう十分だった。
やるしかない。
俺は頭をガシガシとかき、呼吸を整え、そして扉に手をかけた。
金属と宝石が混ざったような、冷たく硬い感触が掌に伝わる。
その冷たさが、逆に意識を冴え渡らせる。
ゆっくりと押した。
軋む音を立てながら、扉が左右に開いていく。
眩しいほどの照明が流れ込み、俺の影を長く伸ばした。
その向こうはどう表現すべきか……そう、惨状だった。




