「タワー攻略戦(2)」Ⅰ
ーSide・進
ただいま八十四階。
階段の踊り場に片足を踏み入れた瞬間、ぶわっと冷気が全身を包んだ。タワーの空調が完全に死んでいるのか、あるいは誰かが意図的に切ったのか――理由は知らないけど、上の階に行くほど気温が落ちていく気がする。吐いた息は白く、すぐに空中で霧散していった。
「いちち……」
息を吸うたびに胸が軋む。身体中にできたアザや擦り傷は、動くたびに疼き、皮膚の下で鈍い痛みを訴えてくる。自分がどれだけボロボロなのかを思い知らされるが、立ち止まるわけにはいかない。痛みは無視。考えるのも後回しだ。
いまの俺に必要なのは、ただ前に進むこと。それだけだ。
階段を駆け上がる足音が、やけに大きく塔の内部に響く。静まり返った建物の中では、自分の呼吸と靴底の衝撃音が妙に生々しく聞こえる。暗がりに満ちたこの空間では、それすら敵を呼ぶ合図になりかねない。
(それにしても……六十階の幹部は恐ろしい奴だった。格闘技の達人で銃弾を素手で止めるとかどんだけだよ。)
思い返すだけで背筋が冷たくなる。あの怪物じみた動体視力と反射神経、人間離れした身体能力――真正面から戦っていたら、とても勝てる相手じゃなかった。銃を向けても構わず踏み込んでくるし、ナイフで斬りかかったところで逆に受け流されるのがオチだ。
俺が勝てた理由はただひとつ。停電。あれがなかったら、いまごろ八十四階どころか、どこかのフロアの途中で転がっていただろう。
階段を上りながら、俺は背後に気配を感じ取った。反射的に、手の中のコルト・ガバメント.45を後方へ向ける。視界を向けずに、音と気配だけで狙いをつけ、引き金を絞った。
パンッ。
「ギャッ!!」
乾いた音が一つ。
俺の弾丸は、隠れてついてきていた敵の額を、見事に貫いていた。倒れる音はしなかった。おそらく、階段の途中で落ちたんだろう。撃たれた瞬間に息絶えたのか、悲鳴もそれっきりだった。
(……あの停電がなければ俺に勝算は無かっただろうな。)
暗闇のなかで閃光弾を使い、フロア全体を一瞬真っ白に染めた。その隙に距離を詰め、倒れ込むようにして撃ち込んだ。
同時に予備電源で電気が復旧し、明かりが点いた瞬間――あいつが地面に沈んでいるのを見た時は、正直、手が震えた。
あれは運が九割、腕が一割だった。
そう結論づけられるほど、あの幹部は強かった。
八十五階、八十六階。
フロアを通るたびに機械の唸りや人の声は減っていき、かわりに風の音だけが残った。
壊れた窓がどこかにあるのか、冷気が吹き抜けるたびに、薄手のジャケットの中まで容赦なく入りこんでくる。
背筋が震え、肩をすくめる。
だが、九十階――そこで空気が変わった。
最後の段を上り、踊り場に足を踏み入れた瞬間、ふわっと温かい空気が顔を撫でた。まるで、ここだけ別の世界みたいに。
つめたい空気に慣れていた肌が、一気にゆるむのがわかる。
凍えるような階層から、突然、温室に入ったみたいだった。
「……助かった」
思わず声が漏れた。
寒さに耐えながら無理を続けていれば、集中力も落ちるしミスも増えていたはずだ。ここで暖かい空気に包まれたのは、精神的にもかなりデカい。
(よかったぁ。寒いの……俺、苦手なんだよな。)




