「タワー攻略戦(1)」Ⅲ
ーSide・サルタナ
オレの人生は、お世辞にも綺麗だとは言えない。裏も表も擦り切れて、金で買えない穴がいくつも開いている。だが、どれだけ汚れていても守りたい人間はできる。オレの場合、それが姉さんだった――それだけの話だ。
今は走っている。三十階の研究フロアは照明がちらつき、天井の配管が低く這うように並んでいる。床には割れたガラスや散乱した機材が点在し、空調の吐息と硝煙が鼻腔を満たす。足音は硬いタイルに反響し、影が揺れるたびに世界がずれて見える。姉の顔だけが頭の中で揺れ続ける。
気配を感じたら、ためらわず銃を振るう。それが生き残る術だ。アサルトライフルの冷たさが掌に馴染む間もなく、引き金を引く。弾丸は吐かれ、硬質な装甲に当たって乾いた金属音だけが返る。装甲は分厚く、関節のわずかな隙を狙わなければ意味がない。今は走りながら戦うしかない。
(さすがに硬いな)
何度撃っても変化はない。隙間を正確に狙える余裕はなく、オレは撃つのを止め、逃げることに専念する判断を下す。経験が、無駄を省く。だが背後から嗜虐的な声が滑り込んできた。
「逃げるのかなぁ〜? 裏切り犬♪」
反射で体を捻ると、青く閃く刃が頬を掠める。刃の風圧が肌を刺し、火花のような冷たさが残る。無理に左へ跳び、回転しながら片手で着地する。芯のぶれない動きは、自身の才能と日々の鍛錬に数え切れぬ経験の賜物だ。
「さすが、常人離れした身体能力だねぇ。裏切り犬♪」
追ってくるのは、青い人型兵器だ。前日に実戦投入された試作機は、人間に寄生して暴走するような不気味な性質を持っていた……が、今回は違うようだ。どうやらあの博士率いる開発チームが幾度も改修を重ね、前の欠陥を潰しつつ、より精密に、より高機動に仕上げて生まれた人型兵器というところだろう。以前のように無差別に暴走するだけではなく、着用者の意志を素早く増幅して動くと推測する。
オレの脳裏には、マッドサイエンティストな若い博士の顔が浮かぶ。白衣を翻し、好奇心で目が輝くその顔。奴は道理で科学を用いるのではなく、己の狂喜染みた楽しさのために科学を利用している。その遊び心が……いま、オレを殺そうとしているのがたちが悪い。
また気配を察して、反射的に頭を右に傾ける。後方から刃が襲う。避けたつもりだったが、冷たい何かが首筋に触れ、赤い線が一瞬で浮かぶ。血がにじみ、重心が一瞬崩れる。刃が残した切り傷は浅いが、連続して受ければ確実に消耗するだろう。
(……このままでは長くは持たないな)
息を整えつつ、頭の中で次の展開を組み立てる。身体能力に頼る戦いは、いつか限界が来る。相手は改良型であり、同じ手は二度通用しない。だが、単純な力比べで勝てないからといって、勝機がないわけではない。環境を利用し、相手の特徴を逆手に取る方法はある。
血の味が口に広がり、息が荒くなる。掌が微かに震えるが、それは興奮と痛みの混在だ。計画は頭の中で輪郭を取り、手の中の銃がそれを祝福するかのように冷たく震える。オレは深く唾を飲み込み、視界を一点に絞った。
(……だが策はある。諦めるのはまだ早い。)
オレはある場所を目指して走った。




