「プレミアムタワー」Ⅲ
「やぁ、以外と遅かったね……あれ? サルタナ、君は生きてたのか。」
ロビー前の広々とした空間に、イーゴリの声が軽やかに響く。天井の高さを強調する間接照明が、白い大理石の床に長い影を落とす。俺たちの足音はその床に反射し、冷たい響きを伴ってゆっくりと消えていく。遠くで自動ドアの空気が流れる音、どこかでエレベーターが停止する金属音が小さく混ざり、空間は薄く揺れているようだった。向こう側のガラス窓に映る自分たちの輪郭が、わずかに歪んで見えるのは照明のせいか、あるいはこの場所の空気がどこか異様に重いせいだろうか。彼は置かれた椅子に腰かけ、湯気の立つコーヒーカップを片手に持ちながら優雅にくつろいでいた。白いシャツの袖は軽くまくり上げられ、腕時計の金属部分が蛍光灯の光を受けてチラリと光る。胸元のシルエット、指先の動き、そして足を組む際のわずかな音までもが、あの男の余裕を物語っていた。
(……マジで笑えねぇな。)
頭の中で、さっきまで軽口を叩いていた自分が、を殴りたい気分だ。まったく……冗談のつもりで流していた言葉が、今となっては自分の首を締める縄になりかねない。視界の端で、サルタナが俺と同じように驚いた表情でイーゴリを見つめているのが見えた。サルタナの顔にはほんの一瞬、色が失せたような陰りが走る。普段は冷静な奴だが、やはり警戒の色が濃い。俺たちの緊張は互いに伝わり、気配として空気を張らせる。
「ああ、そうそう……進、進道だったかな君。君の物騒な知り合いは最上階のフロアにいるからね。」
イーゴリの声は穏やかだが、その一語一句の間には計算があり、含みのある響きがあった。警戒する俺たちの目をちらりと見やり、彼はカップを口に運ぶ。舌先に触れる熱さを小さく確かめるように唇をすぼめる仕草は、まるで観客に手品のタネを惜しげもなく見せるかのように無邪気だ。湯気と一緒に香るコーヒーの香りが、ここでは妙に異世界的にすら感じられる。唇に微かな湿りを作るその仕草だけで、こいつの心に何か企んでいることがあるのだと察せられた。どうにも不自然な余裕だ。
イーゴリの言う「物騒な知り合い」に対して、胸の奥に小さな緊張が走る。最上階──その言葉は、ただの階数ではなく、象徴的な高さと隔絶を意味している。そこにたどり着くための条件を、彼は淡々と述べる。単なる提案ではなく、ルールを示すような冷淡さに、こちらの選択肢が狭められていくのを感じた。
「君たちを最上階に招待しよう……だが、エレベーターを使わず自分の足で階段で上がって来てほしい。30階のフロアごとに私の幹部を置いておく。彼ら一人一人が持つIDがないと最上階の扉は開かないようにしてある。」
その台詞は、まるで迷路の地図を一枚渡されるようなものだった。彼の指先がカップの縁に触れ、わずかに揺れる。黄金色の瞳が俺たちを捉えた。そこにあるのは遊び心だけではない冷たい計算で、床を伝ってくる静けさが逆に恐怖を増幅させる。イーゴリはククク、と軽く笑った。その笑いは、真っ黒な海の上をかすかに波紋が走るように、あたりの空気を震わせた。笑い声が引き金になって、時折遠くで響いていたエレベーターの停止音がいっそう際立つ。無機質な金属音が、今いるこの場を現実に引き戻す。
(ここでコイツを仕留められないか……)




