「リターンマッチはこれからだ。」Ⅲ
「……俺、行かなきゃな。」
「ちょっ!進道ちゃん、まだ話が」
ノブ子の言葉から逃れ、客が忘れたと思われる店内の壁に掛かっていた革製の黒コートを纏い、『ラブリー・エンジェル』から出ようとする。背中をドアに向け、手を伸ばした瞬間――
ガシッ!
その時、俺の腕を掴んだのはノブ子ではなく、白い包帯に巻かれた手だった。
「Подожди。」
焦りの混じった声。包帯の手の主、サルタナが俺を引き止める。額に滲む汗、荒い息、そして青い瞳に映る焦燥……必死そのものの光が、俺の胸を押す。
「ま、待ってくれ。オレを連れて行ってくれ……イーゴリに用があるんだ。」
サルタナの声が微かに震える。俺は一瞬だけ、彼の目をじっと見つめる。あの青い瞳の奥に、信念とも言えるものが宿っているのを感じた。けれど俺は冷静を装い、口を開く。
「……悪いけど、邪魔だ。」
言い放った自分の声が、耳に少し冷たく響く。無情な響きだと自覚していたが、構わなかった。
「それに、俺はお前を信頼していない。」
俺の言葉にサルタナは目を見開き、ほんの一瞬だけ唇を噛む。振りほどこうとしたが、サルタナは一歩も引かず、俺の腕を握り続けた。
「頼む、行かせてくれ!」
腕にしがみつくサルタナの手には、これまで感じたことのない緊張が宿っていた。微かに震える指先から、必死さが伝わる。
「頼む……アイツに姉さんを人質に取られているんだ。」
言葉に詰まり、震える声。俺は無言で彼を見つめながら、突き放そうとした手を止める。
(サルタナの任務ってイーゴリの護衛じゃなかったか? しくじったって、俺が暗殺しようと攻撃したからだよなぁ? はぁ、後味悪いな……)
内心で思う。しかし、彼の瞳は揺らいでいなかった。絶対に諦めないという決意だけがそこにあった。
「頼む……頼む、一緒に連れて行ってくれ。」
その目が真剣すぎて、俺は一度目をそらしてしまう。俺だって、世里奈のために行くつもりだしな。
「……おい、死ぬかもしれないぞ。」
頭に浮かんだ言葉を咄嗟に口にする。瞬間、サルタナの返答が返る。
「それはお前にも言えることだ。」
とサルタナが返してきた。返されるた俺は思わず苦笑いする。
(……全くだ。俺も世里奈のために行くようなもんだしな。はぁ……それにしても、なぜ俺の周りは変態とバカと死にたがりしかいねぇんだ。)
「勝手にしやがれ、このシスコン野郎。」
つい口に出す。サルタナの肩が少し緩み、安堵のような息が漏れた。
「……か、感謝する。」
ホッとした様子で、彼の肩の力が少し抜ける。目の奥の必死さはまだ消えていないけれど、一瞬だけ安堵の色が見えた。
(……ったくよ。クライマックスに近付くにつれ仲間ができるなんざぁ、どこの打ち切り漫画だよ。)
と、心の中で呟きながら、俺はドアに手を伸ばす。
「俺は武器を揃えに、隠れ家へ行く。」
サルタナの服を整える時間すら待たずに、ドアを開ける。冷たい空気が店の中を駆け抜ける感覚が肌に伝わる。
「……本当にいいのね。」
後ろから再びノブ子の声。微かに笑いを含んでいるが、その目は鋭い。背後から伝わる圧力に、振り向くことはできない。
「ぶっちゃけ、二人でもキツいんじゃないのぉ? なんならアタシが行ってもいいのよぉ?」
言葉の端に笑いを混ぜながらも、その存在感は圧倒的だ。もしノブ子が本気で戦ったら、どれほどの力になるのか。そんな想像が脳裏を過る。
「確かに、ノブ子に任せたら全てが終わる……だけどな。」
俺は言葉を濁しつつ、ドアの取っ手を握る手にさらに力を入れる。外の夜風がかすかに店内に入り込み、緊張感を増幅させる。
「これは俺とアイツの喧嘩だ。それに世里奈はあんたに助けられるのを嫌がるだろ。」
「まったく、よく殺し合いを喧嘩に例えられるわねぇ。これが若さの力なのかしらぁん?」
(何を言い出すんだこのオカマッスルは。)
とノブ子に対して思いつつ、俺は外に足を一歩踏み出した。
「若さなんじゃねぇ、愛の力だよ。」
「あん?」
俺が急いでドアを閉めると同時に、ドアに穴が空き、俺の顔の横を弾丸が駆け抜けた。
「口に気を付けなクソガキ。娘に何かあったら殺す。」
ノブ子は銃なしで弾丸を飛ばしやがった。これが俗に言う指弾か。
「まだ話してるのか。」
準備の整ったサルタナが、穴の空いたドアを開けて出てきた。




