「リターンマッチはこれからだ。」Ⅱ
しかし、美しい体を持つサルタナの全身を包むこの物淋しい気配は何だろう……。
先程まで殺し合いをしていたときの、あの鋭い殺気や張りつめた空気は、いまのサルタナからはまったく感じられなかった。肩の力が抜け、まるで戦意も生気もどこかへ置いてきたかのようだ。包帯の隙間から覗く肌は白く、額に浮かんだ汗が光を反射してきらめいている。胸の奥がざわつく。敵だったはずの男を、こんなに弱々しく見てしまう自分がどこか不思議だった。
(特に暴れだす雰囲気ないし……まぁ、いいか。)
自分に言い聞かせるように心の中でつぶやき、深呼吸を一つ置いてからノブ子に視線を移す。
「んで、どうすんのコイツ?」
と俺はノブ子の方に振り向き、親指でサルタナを指した。
「アタシが面倒見るわよ。」
ノブ子はあっけらかんと言い切る。その顔には一切の迷いがない。腕を組み、ふっと鼻で笑った。
「……」
俺はその即答に無言になる。思わず口を閉じた。ノブ子の目は……真剣そのものだ。筋肉だらけの腕を組んだまま、じっと俺を見下ろしている。茶化すような仕草も声色もない。
(……話題を変えよう。そう言えば誰かいないような。)
微妙な沈黙に耐えきれず、俺は視線を泳がせる。店内を見回すと、カウンターの上に置かれた酒瓶がまだ揺れている。さっきまで誰かがそこにいた証拠だ。しかし、その「誰か」が見当たらないことに、遅ればせながら気づいた。
「……おい、ノブ子。」
「何よ進道ちゃん?」
「世里奈、俺の上司の居場所を大至急……俺に教えてくれ。」
俺の声は思った以上に低く響いた。冗談ではなく本気で聞いていることが自分でもわかる。途端に店内の空気が重く沈んだ。さっきまでのネオンの明るさが遠ざかり、色が褪せて見える。
「……知って、どおする気だぁ?」
ドスの効いたノブ子の声が響いた。耳に心地よい低音ではなく、胸の奥を直接震わせるような重さを持っている。さっきまでの乙女よりのオカマではなく、完全に男に戻った声だった。
「進道……お前を助ける少し前、お前が俺様の娘と一度デートに行ったことを……本人から聞いた。」
一拍置いてから告げられた言葉に、背筋が凍った。やばい、ノブ子から滲み出てくるプレッシャーが半端ない。イーゴリと対峙したときよりも、遥かに重い。冷や汗が一気に噴き出した。
俺は視線を反射的に上へ向けてノブ子を直視しなかった……いや、直視できなかった。まるで睨みつけてくる巨大な獣の前に立たされたような気分だった。心臓がドクンと鳴るたびに、床の振動まで感じる気がする。
「……えっ、まっ、ちょっ!い、今はデートとか じゃなく」
声が裏返る。自分でも情けないと思うが、止められない。ノブ子の眼光は鋭く、すべてを見透かしているようだ。
「吐け。俺様の愛娘、世里奈と付き合ってるのか?ああん!!?」
言葉と同時に、分厚い手のひらが俺の肩を掴んだ。岩のような握力で、骨が軋む感覚が伝わってくる。
(……ノブ子怖えよ、マジで怖ぇよ!)
足が震え、口の中が恐怖で乾く。喉がカラカラになり、唾を飲み込む音すらやけに大きく響いた。
「そ、それよりさぁ。俺はただ世里奈が一人でイーゴリの暗殺しに行ったのか……」
必死に話題を逸らすように言葉を重ねる。声が少し掠れていたが、なんとか言い切った。
「行ったわよ。」
即行で答えられた。あまりにもあっさりと。ノブ子の視線がふっと和らぎ、店内の雰囲気が少しだけ軽くなる。
俺はなんとかノブ子の怒りから逃げ切れたことに気づき、肩から力が抜けた。安堵と同時にどっと疲労感が押し寄せる。
「進道ちゃんが目覚める一時間前に、あの娘は出ていったわよ。」
ノブ子の口調がオカマッスルに戻っていた。




