「世里奈」Ⅲ
「ところで、世里奈の仕事ってどんな仕事なんだ?」
進が軽く身を乗り出して、私に尋ねてきた。カウンターの上に並んだグラスが、柔らかい光を反射して微かに輝く。目の前の進の瞳を覗き込むと、普段は冗談めいた軽やかな表情のはずなのに、今日はどこか真剣で、私の胸に小さな波紋を立てた。
「……あっ、ゴホンッ。」
私は少し咳払いをして、気を取り直す。肩の力を抜きつつも、自然に背筋を伸ばした。夜の酒場の静かな空気が、心を少しだけ落ち着かせてくれる。
「ロシアの大型マフィアの首領を暗殺。」
言葉を告げると、進は一瞬眉を上げ、驚いた表情を浮かべた。カウンターの向こう側に置かれた小さな観葉植物の葉が、灯りに照らされて淡く影を落とす。
「おいおい、かなりヤバイ仕事じゃないか!?」
その言葉に、私は軽く肩をすくめるだけだった。確かに危険極まりない依頼だ。暗殺――しかもマフィアの首領相手。依頼を受けた瞬間、背筋に走る緊張と覚悟を思い出す。だが、後戻りはできない。依頼を受けた以上、進むしかない。
「……そうね。」
言葉は短く、簡潔に出す。心の中で渦巻く不安や後悔を隠すように、少し視線を落とした。外の街のざわめきや雨に濡れた舗道の反射光が、窓越しにちらちらと目に入り、現実感を少し和らげる。
「もうやめることはできないよ。」
私は目を少し伏せ、言葉を慎重に選んだ。進は黙って聞いている。沈黙の間に、店内のジャズが柔らかく流れ、遠くで笑い声が響く。街と酒場の静かな音が、私たちの会話の緊張をやわらげているように感じられた。
「俺が行く。俺一人で首領を殺る。だから世里奈は殺らなくていい。」
進が顔を真剣にして言う。軽口を交わすことが多い彼が、こんなにも真摯に私を思ってくれる――その事実が胸に深く響いた。指先の震えや体のわずかな硬直が、言葉以上に覚悟を伝えてくる。
「……。」
私は言葉を失った。進の真剣な瞳に、自分への思いが凝縮されていることが伝わり、嬉しいと同時に、少し胸が痛むような感覚に襲われる。
「大切な彼女を守ることが」
進の声が、カウンター越しに静かに届く。その端々には緊張と覚悟、そして優しさが混ざっている。
「彼氏の仕事って言うのかな?」
思わず私は先を読んで、軽く呟いてみる。口に出すことで、自分の緊張も少し和らぐ。
「……ハハッ。」
進が目を細め、にやりと笑う。その笑顔には、普段見せない決意の色が滲み、胸の奥に小さな温もりを落としていく。
「その通り ! 」
彼はウィンクして、軽やかに手を私の手に重ねる。掌の温度が指先からじんわりと伝わり、心臓が一瞬だけ速く鼓動する。触れ合う手のひらに、言葉以上の安心感と覚悟が含まれていることを感じる。
外の街では、雨が上がった後の舗道にネオンが反射し、濡れたタイルが宝石のように光っていた。店内では、ジャズのメロディが静かに空間を満たし、木の温もりとアルコールの香りが微妙に混ざり合う。私たちの静かな時間は、まるでその光と音に包まれているかのようだった。
「じゃあ、そんな素敵な彼氏に私は最高の武器を用意してあげよう。」
言葉に出すことで、自分の決意も強くなる。進が無事に任務を終えられるよう、返り討ちに遭わぬよう、私にできる限りの準備を整えたい。手元でグラスを握り、ゆっくりとアルコールを口に含む。ワインの香りが口内で広がると、心が少し落ち着き、同時に進を守りたいという思いが静かに膨らんでいく。
進は私の視線に気づき、微かに眉を上げる。軽口を交わすことも忘れず、でもその瞳の奥には確かな決意が宿っている。私はその眼差しを受け止めながら、心の奥でそっと呟いた――この人を守りたい、この人と共に歩きたい、と。




