「世里奈」Ⅱ
「……で、進くんは」
私が声をかけると、彼は少し間を置いて口を開いた。その間、カウンターの奥に置かれたグラスが微かに光を反射し、店内の柔らかい光と混ざり合う。目の前に座る進の表情をじっと観察していると、普段見慣れた顔のはずなのに、何か新しい一面が垣間見えた気がした。
「『くん』をつけないでほしいなぁ。俺たち、恋人なんだからさ。」
言葉の軽さと笑みの混ざった口調に、私は一瞬だけ肩の力を抜く。だがすぐに、現実的な考えが頭をよぎった。
「……進は仕事中の私がいる所と、今使っているスマホの番号、どこで知ったのかな?」
問いかける声には、警戒心が微かに混じる。言葉にせずとも、目元や口元に現れる微妙な緊張感が、私の中で自己防衛の感覚を呼び覚ます。個人的な情報が外部に漏れることは、組織の上に立つ者としては許されないことだ。たとえ相手が恋人であっても、無警戒に受け流すわけにはいかない。
「愛の力です。」
進は軽く笑いながらそう答えた。あまりにも軽く、無邪気で、まるで冗談のような返答に、私は思わず真顔で彼の右頬を打つ。
「……スンマセン。」
進が白状し、少しだけ肩を落とした様子を見せる。普段は軽口やふざけた態度で場を和ませる彼が、こうして少し沈んだ仕草を見せると、私の中で不思議な温度差が生まれる。警戒心と安堵感、苛立ちと優しい気持ちが交錯する。
「ノブ子からです……スンマセン。」
「……最悪。」
舌打ちをして、私はわずかに眉をひそめる。オカマの名前を聞いた瞬間、思わず感情が露わになった。進は自分が責められたと思い込み、少し落ち込んだ様子で俯く。その姿は普段の軽やかさとは裏腹に、どこか子供のようでもあり、心の奥で許せない感情とともに、愛らしさを感じさせる。
オカマの情報屋。昔は最強の殺し屋と称された男。私の母親を捨てた男であり、憎むべき存在でありながら、どこか信用してしまう自分が許せない。腹立たしい変態的な魅力すらある、憎めない父親でもある。
「……まだノブ子には俺たちが付き合っていることを話してないよ。あのオカマッスル、怒ると怖いからなぁ。」
進は言いながら、頭をかき、舌を軽く出してみせる。ふざけた仕草の裏に、緊張や配慮が隠れているのがわかる。私は思わず彼の額に軽くデコピンを入れた。反応はやはり軽く、彼はくすっと笑うだけだった。その笑みは、少し安心感を伴いながらも、私の心にほんのわずかな温度を残した。
「俺、世里奈が心配なんだ……失いたくないんだよ。だから……世里奈の受けた依頼、手伝うよ。」
彼の言葉は真剣で、声の端々に緊張と覚悟が混ざっていた。普段は軽口ばかりの進が、自分から仕事の話を持ち出すのは珍しいことで、私は少し意外に思い、視線を彼に向ける。言葉の裏にある真剣さと優しさが、普段の軽やかな彼とは異なる重みを持って胸に響いた。
「へえ。自分から仕事の話って、君にしては珍しいわね。」
自然と口をついて出る言葉に、少しだけ驚きが混じる。進はそれを察したかのように、にやりと笑った。笑顔の端に、普段見せない覚悟や決意の色が滲んでいるようで、私の心に強く残る。
「当たり前だ。何でたって俺は世里奈の彼氏だからな。」
進は言いながら、私の手を握った。掌の温もりが伝わり、心臓がほんの一瞬だけ早鐘を打つ。温度感と力加減、指先の感触のすべてが、普段の軽口や冗談とは異なる、真剣さを伴ったものだった。その瞬間、今まで意識していなかった自分の感情が、胸の奥で静かに揺れ動く。驚きと照れ、ほんの少しの幸福感が交錯し、私は自然と視線を逸らすことなく、彼を見つめていた。




