「世里奈」Ⅰ
私は護衛を連れてかないで、夜の街中を歩いていた。ネオンサインが闇の中で鮮やかに光り、濡れた舗道に反射して夜の街を彩る。舗道の水滴が靴底に跳ね、かすかな水音を立てるたび、街のざわめきと混ざり合い、不規則なリズムを生む。酔っ払いがふらふらと通りを横切り、時折口から漏れる汚い笑い声や怒声が夜の空気に散らばる。オタク風の若者たちはスマホを片手に笑い声を上げ、互いに何かを撮り合ったり、指先を速く動かしてSNSに投稿しているようだ。客引きが手慣れた口調で声をかけ、通りを横切る人々に対して次々と営業を仕掛ける。眉をひそめたヤンキー風の連中は、下品な好奇の視線を向けてにやにや笑いながら、通行人の反応を楽しんでいる。それでも私は気にしない。彼らの視線や言葉は、私の存在を脅かすものではないことを、肌感覚で知っている。いつもなら部下に任せるこの行動も、今夜は自分でやろうと決めていた。護衛なしの行動には危険が伴うが、私はそれを恐れていなかった。
危険は伴うが、私は殺し屋組織の上に立つ者として恥ずかしくないよう、日々実戦用の格闘訓練を重ねてきた。拳ひとつで相手を制する自信があるだけでなく、瞬間的な判断力と身体の柔軟性も鍛え上げている。通りの雑踏の中でも、音や人の動き、微かな気配から危険を察知できる自信がある。さらに服の下、脇に装着したホルスターには実弾が装填されたガリルMARがぶら下がっている。もし変な奴が近づいても、私は冷静に対処できる。銃を抜くのは最終手段に過ぎないが、その存在が抑止力となり、相手の行動を縛る。私はこの街のざわめきに埋もれながらも、常に状況を把握している。
私は『青空』という酒屋の前に立った。控えめな青いネオンサインが外観を彩り、夜の街に溶け込んでいる。街灯に混じる青い光が、雨で濡れたタイルに淡く反射し、通りの陰影を複雑に描く。ドアを押して店内に入ると、空気が少し変わった。柔らかい明かりの下、奥には小さなステージがあり、男三人がギターを弾きながら歌を披露している。ライトに照らされた顔が赤く光り、音楽のリズムが店全体に漂う。店内には木の温もりが感じられ、カウンターや椅子、棚に置かれたボトル類が独特の落ち着きを作り出している。空気はほんのりとアルコールの香りが混ざり、ジャズのメロディと共鳴している。
私はカウンターに腰を下ろした。今日ここで待ち合わせている人物――進道 進――がすでに座っている。彼は私の部下で、戦闘では信頼できる右腕のような存在だ。普段の冷静沈着な姿とは裏腹に、時折見せる無邪気な笑みが、私にとっては不意打ちのように心をくすぐる。少し不思議なことに、私にとっては恋愛的な感情も絡む存在――いわば彼氏(?)のような位置づけでもある。カウンター越しに目が合うと、進くんは軽くにやりと笑った。
「ワインを一つ、お願い。」
まずは注文を済ませる。指先で水の入ったグラスの縁を触りながら、私は目の前の静かな時間に意識を向ける。店内の音楽と遠くで聞こえる通りの雑踏の混ざり合いが、妙に心地良い。
「時間通りだね。」
進くんは言った。低く落ち着いた声が、店内の静かな音に柔らかく溶け込む。
「なぜこの店なの?」
私は疲れた調子で問いかける。戦闘や組織のことを考えれば、場所選びは慎重になるはずなのに、今日は特に気にしていない自分がいた。少し肩の力を抜きたいという気分もあった。
「別に意味はないけど、嫌いじゃないだろ?」
進くんは肩をすくめ、軽く答える。彼の自然な態度が、妙に落ち着きを与える。
「普通……かな。」
「何シケてんですかぁ。せっかくのデートが台無しですよ。」
進くんは茶化して言う。思わず苦笑がこぼれる。
「ここでデート、ねぇ。」
私は小さく呟く。声に出すと、少しだけ自分の緊張が解けた気がした。カウンター越しに、ギターの音がふわりと届く。店の奥で、演奏に集中する男たちの姿が、いつもと違う日常を象徴しているかのようだ。
そのとき、老人バーテンダーがすっと近づき、注文した赤ワインを私の前に置いた。目付きは鋭く、長年この店を守ってきた風格が漂う。静かにグラスを置く仕草から、長年培われた動作の正確さが伝わる。横で進くんは黒ビールの瓶を手に取り、ストローを差し込んでゆっくり吸っている。
(ビールにストローって、変だなぁ進くんは。)
今さらながら思う。少しだけワインを口に含み、アルコールの香りで舌を滑らかにしてから、私は口を開いた。




